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【公開終了】 映像 《still humanの世界》

ここで公開する映像は、2022年4月1日〜10日に、六本木ANB Tokyoで行われた『KUMA EXHIBITION 2022』、および、2022年5月20日〜29日に東京藝術大学美術館 陳列館で行われた『擬風景展』で展示されていた映像です。この映像を、6月28日まで限定公開します。

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この映像は、1年間、still humanを行なってきて最も印象的だった5つの瞬間をまとめたドキュメントです。
1つ目の映像「コンビニエンス」は、still humanが実際のコンビニに買い物に行く挑戦の記録です。2つ目は、公園で出会った小さな男の子がstill humanたちを手懐けてしまう「飼われたい」。そして、ベッドの上で見つめ合う2体のstill humanに起きた秘匿的な瞬間「LOVE」、熊野古道の深い森で世界の厳しさを知る「那智の森」、最後は、目だけでなく、さらに腸管を拡張したstill humanたちの食事風景「口」という5本となっています。
人間を逸脱しようとする存在と世界との関わりを、是非ご覧ください。

"still human"とは

still humanを知らない方のために基本的な説明を記しておきます。

"still human"とは、「生まれ直し」の実践である。肉体のどこかにカメラを装着し、その映像をヘッドマウントディスプレイを通してみることで、この社会において過剰化する感覚器としての「目」を、肉体の異なる場所へと移動する。そして、そこから立ち上がる環世界は、肉体の構造そのものを組み換え始め、これまで埋め込まれてきたあらゆる振る舞いを解体し始める。そうして彼らは、この全てが意味づけられた「正常」なる肉体から、逃走することを試みる。

装置
第一回肉体逃走合宿, 戸山公園, Photo by 今宿未悠

展示風景

この映像が展示されていたのはこのような空間でした。

KUMA EXHIBITION 2022, ANB Tokyo, Photo by 公益財団法人クマ財団
KUMA EXHIBITION 2022, ANB Tokyo, Photo by 公益財団法人クマ財団
擬風景展, 東京藝術大学美術館 陳列館, Photo by 津田みなみ
擬風景展, 在廊パフォーマンス, Practiced by 齊藤コン, 作者撮影

本編: 映像 《still humanの世界》

前置きが長くなりましたが、こちらが本編の映像となります。キャプションと合わせてご覧ください。

[映像: 公開終了]

「” コンビニエンス”」 2分59秒
この時の実践者は次のように語る。「自分の世界に入り込んでひたすら楽しかった。コンビニに向かおうと外に出た時はひたすら早く目的地に着きたくて駆け出したかった。車が来た時は周りの協力者が声をかけてくれたので、実際はそれほど恐怖はなかった。途中集団に絡まれた時に「捕まらないの?」と言われた時は「何も悪いことはしていない!」「ただコンビニに行くって言うごくまっとうなことをしているだけだ!」と心の中で思っていた。still human でいる時、ある種の全能感があった。世の中のルールやモラルから抜け出たような感覚だった。黒タイツが恥ずかしいだとかは関係なくなっていた。苦労の末、コンビニにようやくたどり着いた時、達成感と同時に、煌々と輝く照明に感動を覚えていた。 」(筒/tsu-tsu=アーティスト・俳優)

「飼われたい」 3分54秒
その子に出会ったのは、隅田公園でのパフォーマンスの終わりだった。見ないふりをして離れていく大人たちと違って、子供たちはいつも、何のフィルターもなしに僕たちをみてくれる。じっと見つめてみたり、近づいて触ってみたり、自らの感覚で確かめてくれる。 だから、この子みたいに、安心してしまえるほど近くにいてくれることもある。「よーしよーし」と撫でられるたびに、じんわりと嬉しさが込み上げてくる。彼が「この子育ててもいい?」と母親に尋ねてくれたことが本当に嬉しくて、私は心から「飼われたい」と思っていた。

「LOVE」 4分28秒
肉体逃走合宿(=still humanを泊まり込みで行う合宿)の最終日の昼下がりに、たまたま「彼」と二人だけになった。そこで、互いにじっと見つめあったらどうなるだろうね、という話になり、ベッドの上で still human となって見つめあった。すると、だんだん互いのカメラ(目)は近づいて、そして、コツン、とぶつかった。 その時、お互いに確かに何か、甘い電流のようなものが走るのを感じた。 その瞬間はまさに、小さい頃「キス」という概念すら知らないまま、不意にそうしてしまったときのような。

「那智の森」 4分29秒
肉体研究家の齊藤コンは、和歌山県・那智に住みながら、四足歩行を日常的に行っている。その人に連れられて、私は、那智・熊野古道の森にいた。この時、私は後頭部にカメラを装着していた。この形態は特に、「タイプゼロ」と呼んでいる。なぜなら、人間がかつて四足動物であった頃の目の位置に近いからだ。その体で、よく鹿も通るという、苔むした森を歩く。道は険しく、急な坂や、小さな崖がたくさんあった。その度に、齊藤さんーもはや人であるとも思えない"それ"ーは私を助けてくれた。"それ"が、崖の下側に体を入れ込んで落ちないように助けてくれる時、そして、森のいろんな現象ー鹿の足跡や、水が流れる感触ーを手をとって教えてくれる時、 包まれるような優しさや森の厳しさを教えてくれた。私はその時、動物的に、"それ"を「親」だと感じていた。

「口」 2分30秒
これまで扱ってきた「眼」が、この現代社会において肥大化する欲望器官であるとすれば、肛門から至る腸管の始まりである「口」は、生物として最も原始的な欲望器官の一つであろう。カメラの下から出したチューブのもう一方の先を口に加えることで、この腸管を延長し、「口を移植」することができる。そして、「喉の渇き」というかつてなく切実な欲望によって、肉体が動き始める。試行錯誤の末、飲めた瞬間、チューブを伝う冷たい液体の感触と、喉を通り過ぎたあとの液体の感触を味わい、そしてそれらは連続し、腸管全体の形がわかるほどに、全身が喜んだ。

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最後までご覧いただきありがとうございました。


「擬風景展」で配布したハンドアウト、差し上げます。

「擬風景展」では、中村陽道さんのデザインによる、キャプションや思考のスケッチをまとめたハンドアウトを配布していました。少し余りがあるので、希望する方に先着で差し上げます。

開き方なども、ハンドアウトの方向を回転させながら読むという、still humanのコンセプトを意識したものとなっており非常に工夫されています。




P.S.
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