犠牲
大学3年生の冬。全国大会の一回戦の朝。
移動中のバスの中で私はこの文章を見て非常に考えさせられた。
元慶應義塾大学サッカー部の方が後輩に向けたメッセージに感銘を受けた。
「君の輝かしい努力と成果の裏で、誰かの夢が途絶えたかも知れない。
君がスタメンだったから、サッカーをやめた人がいるかも知れない。
君が合格したから、落ちてしまった人がいるかも知れない。
慶應生、ソッカー部員なら、そのことを忘れないでください。
落ち込んだ時も、うまくいく時も、その誰かのために頑張って欲しい。
君達は誰かの夢であり、憧れです。」
大事な試合前で集中しなければいけないことがあったのに
非常に考えさせられたのを今でも覚えている。
自分が今まで成し遂げたことで喜んでいた人が周りにはいた。
それ以上に悲しんでいた人、誰かを不幸にしてしまったかも知れない。
この考え方は高校生の頃では感じられなかったと思う。
大学生になって様々な感情を抱いてきた。
大学サッカーでは凄く悩んだ。苦しい時も多かった。
けど、この言葉を見て自分の悩みはちっぽけなのかも知れないと感じた。
一番行きたかった大学に行けた事。
憧れていた選手、環境の中で練習出来た事。
もしかしたら、自分以上にこの大学に進学したかった人もいたはずだ。
その人の分まで責任を持ってやらないと。誰かの想いも背負わないと。
4年間の中でサッカーを辞めた仲間や活躍できなかった姿を
見てきたからこの感情が生まれたかも知れない。
このブログを読んで一つ成長する気付きを与えて貰えた。
自分自身サッカーを諦めた側の人間。
自分の周りにもプロになった人は多くいる。
小さい頃から知っている仲間がプロになったのは嬉しい。
けど、嬉しい以上に悔しさの方がある。
自分は夢が途絶えた側の人間だ。
だからこそ、プロになった人には是非活躍して欲しい。
君達は誰かの夢であり、憧れだから。
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