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(元)校長先生の留学日記 Feb.25

朝6時のレッスンで先生から「明日金曜はテストをする日だね」との発言があり。。。「え!そうなんだ!」。私は自主隔離を終えた8日から始まるコースを申し込んでおり、2週間は無料で参加させてもらっているので、何のコースに入っているのか?どう進むのかも知らないで日々参加している。毎日が新鮮だ。明日に向けて、ただいま絶賛試験勉強中です。

来てみて再認識したのは、日本の英語教育もそんなに悪くないということだ。英文法をしっかり教えられたことがかなりの武器になっている。語彙と文法を知っていれば、あとは聞いて話す訓練をすることだなと。

英語は耳からというけれど、確かにその手法もあるけれど、私は「どうしてそうなるのか?」が納得できないと一歩も前に進めないタイプだから、パズルの答えを解いていくようで、文法を抑えていく学び方は性格にあっていた。リスニングは中学3年間、部活終えて息を切らして帰宅し毎日聞いたNHKラジオ講座で身に付けた。当時はそれしかなかったし、今みたいに「いつでも聞ける」わけではなかった。

私が開いていた塾では、小学生に中学3年間分の英文法を説明して指導した。子どもたちは目を輝かせて中学生の問題集を使っていた。小学生は実は背伸びして難しいことを学びたいという気持ちを持っている。ちゃんと説明すれば理解できるのです。

でも学校では、もっと先のことを知りたい子どもには「先に進んではいけません」と言い、ゆっくり進んでほしい子には「早くやりなさい」と言わねばならない。それって、先生も生徒もしんどいんじゃないのかな。一人ひとりに合わせた教育っていうけれど、たった一人の教師が30~40人の生徒一人一人に合わせて授業なんてできない事は誰もが知っているはずなのに。

子どもに勉強を教える力を持っている親もいると思う。そういう場合は学校に行かなくても親が教えることで義務教育を修了したという認証を取れる選択肢ができて、それが特殊なことではないって認知される社会になるといいなと思う。海外の一部の国で実施されているように、30人くらい集まったら保護者が教員を連れてきて自分たちの学校を作れる仕組みも実現するといいのにと思う。

もう、コンクリートの建物の中で四角い教室に全員が黒板に向かって、どう考えても小さすぎて教科書とノートを置きづらい机に座って、大人によって決められた時間を決められた通りに過ごし、指導要領に書いてあるように授業が行われ、先生が求める答えを子どもたちが必死に察するというシステムって変えていった方が幸せになると思うんだけど。。とずっと思っている。

でも理想の学び舎を創ろうとすると莫大なお金が必要なので、塾をやるのだけれど、一日学校で机に座っていた子供たちをまた塾に来させるのって可哀そうだよなって思ってしまう自分がいる。木登りしたり森や林に入って探検しながらでも十分数学的思考や英語、国語、社会的知識や科学への好奇心は養えるプログラムを作れるのだけれどと思う。

カナダで私が受けているレッスンでは、6人の生徒に先生が一人つき、チャットボックスも使って瞬時に英作文を直してくれる。発言の場面がしょっちゅう回ってくるので、理解度もばれてしまう。できないから学びに来ているのだから失敗したり間違ったっていいのに、学校の教室って間違うことを許さない「空気」がある。それを変えるだけで子どもたちの気持ちは楽になり学ぶことが楽しくなると思う。

「学ぶとは変わること」 教育の醍醐味ですね

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