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だが、情熱はある

私は自分で自覚するくらいには人見知りが激しい

激しいというかもはやコミュ症

高校生くらいからその片鱗はあったのだけれど小さな島を飛び出して都会の専門学校に行った時には完全に自覚した

人の目を見て話すのが苦手だし
基本的に声は小さいし気心知れた人以外は何喋ろうって考えすぎてぎこちない会話になって盛り上がらず意気消沈
誰かと話して気まずい雰囲気になるくらいなら誰とも話さず1人でいる方が楽だけどちょっと寂しい

みたいな自分でもだいぶしんどいタイプの自覚があります

で、ようやく本題。

先週放送のオードリー若林さんと南海キャンディーズの山ちゃんをモデルにしている「だが、情熱はある」で若林さんの言葉が良すぎて響きまくったって話

若林さんのお父さんが亡くなったことで感じたことを若林さんが言っていた(綴っていた)のだけれど、


会いたい人にもう、会えないという絶対的な事実が「会う」ということの価値を急激に高めた

「誰と会ったか と 誰と合ったか」

もう、ほとんど人生は
「合う人に会う」
ってことでいいんじゃないかって思った

誰とでも合う自分じゃないから
合った人に会えるように頑張る

それが結論でいいんじゃないかなって思った


あ〜、そっか、そうだよな〜!って私も思った


こんな異質な自分が誰とでも合うわけじゃないのはもう、自分が1番わかってはいるつもり

「合った人に会えるように頑張る」

これに尽きるし、会いたいと思える人はいつまでもそこにいてくれるわけではないから会いたいと思った時に会いに行こう!って思った

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