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非力やから、科学者になったんや

父は工学部を卒業した、王道の理系である。
そんな父はよく、「非力やから、科学者になった」と言っている。
身体もそこまで大きくない父(170cm)は、いつも支点、力点、作用点♪
と歌いながら作業をしていた。

父は科学(正確には工学部)の知識を使って、よく作業をしていた。
道具や公式を用いて、するすると進めていく。
六角レンチ🔧やドライバー🪛は友だちで、いつも家の中にあった。
工具箱は他人の家よりも明らかに中身が豊富だし、技術家庭科の授業ではんだ付けの授業をした時は「こんなことしたことないやろ!」という教師の発言に「家にあるし、普通にやっとる…」と心の中で反抗したのを覚えている。

紐や棒も使っていた。
家族の誰かが引っ越すとなると荷台にいろいろくくりつけて動かないようにしていた。何より、家族の中で1番空間図形に強いので、荷台への搬入は的確で、いつも感謝していた。
設計が得意だったと言うのはあながち間違いではなさそうである。

テレビ、電話、リモコン、おもちゃ…。世の中のだいたいの電子機器は直してくれた。今でも、何か壊れたらとりあえず父へ依頼するのは鉄板である。
腕時計だけは壊されるので諦めて渡すが、他のものはなんとか直してくれることが多い。時計はよく壊されるが、電池交換のために店に出したことがないので、電池交換の値段の高さにこの前びっくりしたところである。
自転車のパンクは十八番なので、今だに自転車屋さんで自転車のパンクを直すという経験をしたことがない。こちらも、修理費の高さに驚き、改めて技術料の高さに驚いた。

非力やから技術者になったんや。
父は決して力がある方ではない。しかし、知識を活かして生活していた。
わたしも。いつか知識を活かして生活できるようになりたい。
そして、最後に。
一家に1人、理系(技術系)はかなりおすすめだよ!!!

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