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平成医療福祉グループ サービス企画課 座談会 @OUCHI vol.1

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はじめまして!
平成医療福祉グループ 介護福祉事業部 サービス企画課の水戸です。

私たちは、東京・大阪・徳島などで、医療・介護・福祉サービスを展開するグループの企画部門に所属している6名です(東京5名・兵庫1名)。
サービス企画課のメンバーは、キャリアも年齢もバラバラのチーム。また、必ずしも医療・介護・福祉業界での知識・経験を持っているわけではありません。そんな私たちが、「サービス企画課」としての活動を通じて、何をカタチにしていくのか、その想いや実践の記録を残すべく、noteを始めてみることにしました。

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初めての投稿は、企画課座談会。
まずは「そもそもサービス企画課とはなんなのか?」というところを、座談会形式でメンバー同士の対話を通じてお伝えします。
約1時間半の座談会。予想通りまぁまぁな文字数になったので、自己紹介と合わせて、全2回でお届けしてみようと思います。

▽座談会テーマ
  ・メンバー紹介
  ・今ここにいる理由
  ・サービス企画課のミッションとは?(vol.2)

メンバー紹介(出身地・前職・好きな食べ物)


▶水戸さん @東京(本日のモデレーター)
東京生まれ、東京育ち。
前職は、地方と都会を繋ぐ、交流や旅の企画をつくる仕事をしていました。
その前は、人材業界で採用のアウトソーシング。上場企業の新卒・中途・障がい者採用に携わっていました。
好きな食べ物はグミ。
新商品は必ずチェックします。
一番好きなのはハリボーのハード系。

▶北里さん @東京
東京都出身、幼少期は静岡に住んでいた時期もありました。
前職はブルーボトルコーヒーのバリスタ。
造園学科卒ということもあり、ブライダル装花、造園設計事務所、お花屋さんでの勤務経験もあります。
好きな食べ物はカルボナーラです!

▶太一君 @東京
兵庫県出身。
前職は設計事務所の家具デザイナー。
好きな食べ物は、タイ料理(ソムタム・ラープガイ)。
タイ語勉強中。

▶城野さん @東京
群馬県のド田舎出身。
大学から東京に出てきました。
前職は、小さな広告代理店でオールラウンドに働いていた、何デモ屋。
好きな食べ物は焼肉です。

▶グレイブスさん/鍼灸師 @東京
千葉県出身。
家のすぐ近くに田んぼが広がるのどかなところに生まれました。
前職は、世田谷記念病院のリハビリ助手。
その前は、アロマセラピストをしていました。
好きな食べ物は、歯ごたえがあるもの。
レンコン、軟骨などが好き。

▶平田さん/ココロネ淡路 施設長 @淡路(今回はオンラインで参加)
北海道のとある村出身。
大学で札幌に出て、卒業後はアルバイト。
その後、徳島のリハビリ専門学校に!
リハ職10数年。
医療・介護ときて、今は福祉に携わっています。
肉の塊が好き!

今ここにいる理由

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水:では、座談会をはじめますね。
1つ目のテーマ「今ここにいる理由」についてお話して頂こうと思います。
企画課のメンバーになった経緯はそれぞれだと思うんですけど、前職についても少し触れつつ、現在に至るまでの流れを話してください。
まずは、東京メンバ―の中で一番長く在籍しているグレイブスさん。

グ:グレイブスです、よろしくお願いします。
私はもともと世田谷記念病院のリハビリ助手をしていました。そこからケアホーム千鳥に異動して、その後今いるケアホーム板橋という流れ。
病院に勤務していた時に思っていたのは、もう少し患者さんに関わりたいということでした。してあげたい事があっても、病院のいちリハビリ助手という立場では実現できないことが多かったんです。その課題感を副代表に相談したところ、福祉の方がいいんじゃないか?ということで、当時立ち上がり期にあったケアホーム千鳥の話が出て、異動ということになりました。

当時は鍼灸学校の学生でもあったんですけど、千鳥では引き続きリハビリ助手をやりながら、これまで病院でやりたいと思って出来なかったことも、実現しながらお仕事していました。
その後、鍼灸学校を卒業するタイミングで、スペースに余裕のあるケアホーム板橋に鍼灸治療室を開設するということになったんですけど、板橋では鍼灸治療だけじゃなくて、利用者さんにとって、施設がより良く過ごせる場所になるような空間や関係性づくりという部分も担うことなりました。

またこの時期は、OUCHIも立ち上がってすぐの頃だったので、OUCHIに関してもカフェの事を中心に色々やりました。

例えば、クッキー。
施設の売店に卸していた米粉とおからの手作りクッキーの原材料を変えて、もっと美味しく食べやすくなるように改良したり、カフェのメニューを提案したりというようなことをしていました。

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水:じゃ、グレイブスさんの場合はサービス企画課そのものの形がないところからのスタートだったんですね。

グ:そうですね。タイミング的には、ちょうど企画課をつくろうと思っているという時期で、メンバーに関しても、これから新規で募集をかけてみようかというところでしたね。

水:その時の募集の記事(日本仕事百貨)を見て、我々が今ここにいるという訳ですね。

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では、次。北里さん!
北里さんは企画課所属ではありますが、実際今はOUCHI専属という形でお仕事していますよね?どんな経緯で今ここにいるんですか?

北:学生の頃、空間設計に興味を持っていて「その人にとって居心地の良い空間」について考えることが多かったんです。
当時の興味の対象は、studio-Lの山崎亮さん。ソフトのデザイン、地域の魅力を引き出すデザインとかコミュニティデザイン、ブランディングに興味がありました。
ただ、そこに興味を抱きつつも、大学では造園を学んでいたので、卒業後はお花とか、植物、緑地というところに関わっていました。

実は7年前に体調を崩した経験があるんですけど、ネガティブな自分と向き合うことは、自分の人生や仕事との関わり方や考え方を変えるきっかけになって、そこから「もっと自分自身が興味のあることを仕事にしたい!」と思うようになりました。
そんなタイミングで、ここの求人に出会いました。
例えば、自らのコンプレックスみたいなところも活かして、人の為になる何かをしたいと考えた時、「福祉業界」という選択肢があるということは自分の中ですごく大きかったです。

入社後の今は、現場(OUCHI)にがっつり入っています。
現場にいると、利用者さんには、病気を感じさせないくらい元気な方もいれば、通所すら安定しない方もいて、日々向き合い方の難しさを感じます。「誰もが安心できる空間づくり」という所にまでは至れていないなという感じ。
今後はもっと、利用者さんを引っ張ってあげられるような仕組みや関係性を創り出せたらなと思っています。

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では一方、どこか一つの施設にどっぷりではなく、企画課ど真ん中にいてあちこち飛び回っている城野さん。今は、ほぼ全ての企画に関わりを持ちながら仕事している印象ですが、城野さんはどんな経緯で入職したんですか?

城:私も、入口は日本仕事百貨で見た求人情報でした。
ちょうど30代になるタイミングだったんですけど、実はその直前まで家族の都合で1年間北京在住だったんです。
北京でも仕事はしていましたが、当時は自分自身の仕事内容やこれからの働き方を客観的に考える機会になりました。「30代、このまま同じように今の仕事を続けていいのかな?」とか。

広告代理店に勤めていた頃は、何かを企画する際、まずクライアントがいて、その先に消費者やユーザーがいるという構造で、自分の仕事が誰かに何かしらの影響を与えられているか?否か?を直接見ることは少なかったんですよね。
でも、もっと現場に近い所で、誰かと顔の見える関係性を近くに置いて働きたい、その方が30代を幸せに生きられそうだなって思っていたところで、ここの求人を見つけました。

ここであれば、利用者である障害をお持ちの方やお年寄りの顔を直に見ながら仕事ができるかも、と。しかも介護・福祉業界であるにも関わらず、専門スキルのない文系私立大学卒の人材でも受入れ歓迎と言っている。面白い会社だなと思いました。 

水:城野さんも日本仕事百貨を見てだったんですね。
ちなみに、今の話の流れだと、最初から医療・介護・福祉のジャンルに絞っていたわけではなかったんですよね?転職活動中、あまたある求人の中からこの求人をどうヒットさせたんですか?

城:日本仕事百貨に掲載されている求人って、私が求めていた人の顔が見える関係を仕事にするような求人が多かったので、それらを見ている中でここの求人に辿り着いたという感じです。
前職でも医療や福祉業界との関わりがあって、医療現場の方々とのやり取りが多かったんですけど、幸いなことにその頃仕事で出会った専門職の方々は、誰かのために仕事をする、という熱い想いを持った素敵な方が多かったんですよね。だからこの求人を見つけた時、「そんな中に自分も入れたら、きっと楽しいだろうな」って想像してました。

水:なるほど。
実は私も、募集要項に「特に医療・福祉の知識は必要ありません」って書いてあるのを見て、こんな求人なかなかないよなって思いました(笑)

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そんな稀有な求人を見て応募してきた、3人目は太一君。
太一君はデザイン業界からの転職ですよね。その業界で培った、それこそ専門性を捨ててまでここを選んだ理由が前からすごく気になっていました。

太:日本仕事百貨は、実は学生のころから読み物として読んでいました。だから去年の5月に掲載されていたここの求人も、もともとは転職を強く意識して見ていたわけではなかったんです。

実際、記事を読み進めると仕事の内容がすごくざっくりで(笑)
でも逆に、経験職種にも仕事内容にも制限がなく、なんでも出来そうだなって思いました。しかもよく見ると大元は平成医療福祉グループ!
そんなグループに、医療・介護・福祉の知識経験がない自分にも入れるチャンスがあるんだ!という点に強く魅力を感じてエントリーしました。

水:でも、デザイナーとしてのキャリアがここで活かせるかどうか?という点については、なんの担保もない状態でしたよね?
結果として、今は制作物を含め太一君でなければ出来ない仕事が企画課にはたくさんあるわけなんだけど、エントリーした時にはどちらかというと、そのキャリアは一旦手放すという印象だったんじゃないですか?

太:そもそも僕の場合、すでにできている企画に必要な形をつくるとかグラフィックをつくるということではなくて、それよりも前段階の企画の部分から関わりたかったので、何かを形にできるとか、ソフトが使えるとかいうスキルは、道具としてあればそれでいいかなって思ってました。

企画の仕事って、大学とかでそれ自体を学んでいなくても、そっちの道でキャリアをスタートさせる人も多いですよね。なのでデザインから企画という道もありなんじゃないかって、学生時代から思っていました。
それに同期や先輩にはデザイナーとして働いている人が多いので、自分が違う分野にいたら、面白いだろうなと思ったんですよね。

水:なるほどね。太一君のキャリア選択について、気になっていたことが解消されて、スッキリしました。

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では4人目は私が話しますね。

以前、新卒・中途・障がい者採用の企画提案をする採用のアウトソーシングの仕事に長く携わっていたんですけど、ある時、企業における障がい者の法廷雇用率が引き上がった年がありました。その時のクライアントは一部上場企業で、約6千人という社員がいたので、ほんの数パーセントの雇用率引き上げでも結構重たくて、これまで以上に積極的に障がい者採用をするために何かしらの手を打つ必要がありました。

で、まず考えたのが、複数の就労Aなどの施設とパイプをつくること。
ところが、実際話を聞きに行ってみると、例えば30名の利用者さんがいたとして、1年間就労支援施設で訓練をしていても、その後就職するところにまで至れる人は2名~3名。さらに、その後ほとんどが1年未満で就職先を退職してしまうという話だったんですね。
それだと、意味がない…ということで、パイプづくりは止めました。
その時感じたのは、世の中には障がい者の就労機会を支援する仕組みや機関がたくさんあるのに、肝心な出口のその先のフォローがないということへの違和感でした。

これをきっかけに、自分自身のキャリアの選択肢に福祉の業界も入れるようになりました。専門性がないからこそ、見えることや出来ることがあるんじゃないかと、謎に思い込んで(笑)畑違いの人材が職員の中に混ざることで、利用者さんにとって課題解決につながるような価値ある何かが提供出来るんじゃないかと思ったんですね。
でも実際には、その感覚は当時はどこにも受け入れてもらえませんでした。
募集要項を見てエントリーすると、一旦書類は通るし2次面接くらいまでは行くんですけど、最後の施設長さんとの面談では落とされちゃう。
相性もあったのかもしれませんが、結局は、それこそが価値だと捉えている部分、つまり“専門性の欠如”がネックだったんだろうなと思います。

そしてその後、去年の春ごろに、みなさんと同じく日本仕事百貨の求人を発見して「何これ、医療・介護・福祉業界の案件なのに、資格も知識もいらないって書いてある~!」ってびっくりしたのを覚えています。
昨年度までの私はフリーランスで、地方と都会を繋ぐ交流企画をつくる仕事をしていたんですけど、それに加えて福祉の業界でも企画の仕事が出来たらいいなと思って「何か一緒に出来ることはないですか?」って、問合せをしたのが始まりでした。

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はい、では次は平田さんお願いします!真打登場的な感じで(笑)

平:いやー、経緯か。これほんと、僕のは記事に出来ないです!(笑)

一同:爆笑

水:大丈夫です。記事は空気読みつつうまくまとめます(笑)

平:僕は元々平成医療福祉グループの中の人間だったんで、サラリーマンだし、自分の意思ではないところから始まっています。
ちなみに、淡路に来る前は徳島の本部にいて、当時から気に食わないことにはかみつくタイプで、迷惑をかけていましたね。

水:尖ったナイフ系ですね(笑)

平:そうそう、尖っていたんですよ。だから「そんなに言うなら、淡路のリハビリ部で、やりたいようにやってみろ!」といことで淡路に来ることになったんです。それが4年前。

で、その後新設のココロネ淡路の話が出るんですけど、施設スタート当初は病院の方が安定してきたのと同時期で、正直あまり関わりたいとは思っていませんでした。
そんな私でしたが、2年前の9月にココロネ淡路の責任者になるんです。

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ちょうどその頃、わざわざ私のためにお酒の席を副代表とリハビリ部長に設けていただきまして、想いを聞く機会がありました。
その時に聞いた、「ぼくは福祉をやりたいんだ!」というアツい想いに、「あぁこの人たちがこれだけやりたいと言っていることなら、やる価値あるんかなぁ。」と思ったことが転機となって、そこから施設長としてココロネ淡路との向き合い方が変わりました。

でもその後がしんどかった。
今の「つながる」というコンセプトや、コーヒー企画なんかにもなかなか辿り着けなくて、苦しい時期がありました。
挫折を繰り返している中、本部に乗り込んで事業計画の説明を行ったんですね。そこで初めて「じゃ、今日から平田君は介護福祉事業部の企画課だね!」と言われたんです(笑)

水:それで今、施設長×企画課という立ち位置になっているんですね。
二足の草鞋状態。この状況、実際にはどうなんですか?

平:いや、やっぱりしんどいです(笑)
でも、企画課にいることで、多様なメンバーと繋がれて、話ができることはとてもいいなと思っています。


次回、
平成医療福祉グループ サービス企画課座談会                                                @OUCHI vol.2へ続く

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