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なにが読みたいのか、なにが書きたいのかわからなくなってきたのです

娘の通う大学にはお昼時間にキッチンカーが何台か入ってくるのだそうだ。いろいろな国の料理が販売されとてもおいしそうなのだとか。

キッチンカーかあ、どんな料理の車があるのかいままであまり気にしていなかったけれど、娘の話で二人で盛り上がり、今度たべてみたいねという話になった。そうやって興味をもって街にでると、意外とたくさんの場所でキッチンカーを見かけることが多くなった。

思っていた以上に様々な料理があり、車の装飾も素敵なものも多く興味深い。考えてみれば、平日のランチが勝負という車が多いのではないかと思うが、注文を受けてからどんなに手際よく用意しても対応できるお客様の数はある程度の人数になってしまうのではないだろうか。けして安くはないお値段を払ってでも食べてみたいと思わせるなにかがなくては勝負できない世界であろうことを考えると、売り物に対するアイデアだけではなりたたないご商売なのかもしれないと考えた。


最近noteに対する自分の情熱が変化してきている。

noteを日課のように開き、自分の文章にスキがいくつかついているのを見ると嬉しくなるが、しかし私の文章が上達したという訳ではないということが最近特に強く感じられむなしくなる。

「あなたへのおすすめ」だとかわたしの好きそうなキーワードの数々を確認しながらも、ダラダラとただ時間がすぎていくような気がして、もうこんなことやめなくてはとあわててスマホの電源をきる。

noteを書くのも読むのも、
自分が何を求めているのかわからなくなってきてしまった。

わたしの望みはなんだったのだろう。
常に持っていた優秀な人への憧れは、モチベーションになるどころか、知の較差を目の当たりにつきつけられ、途方にくれた。
自分がいまから優秀な人にはなれないであろうことは、あきらめという意味ではなく、理解していたが、同時に自分らしさを見失ってしまったのは大きな誤算であった。

ググればだれもが知ることが出来るような情報しか書けないなんて、
そんなことをして何になるのか。

「優秀」という意味はいくとおりもあるだろうが、
しかし私が考える「優秀」とは「オリジナル」であったはずだ。

そうだ、オリジナルだ。

キッチンカーのご商売をはじめる覚悟をした時、きっとたくさんの情報を集め、どんなオリジナルで勝負するか悩まれたにちがいない。
そして生き残るキッチンカーはきっと、そのオリジナルを活かしてリピーターを増やしているお店なのだろう。

noteは楽しい。
これからも活動を続けたい。

それにはオリジナル。


自分にはどんなオリジナルがあるか。
改めて真剣に考えてみたい。









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