祈りってなんだろう。祈りを見に行く。「みちのくいとしい仏たち」
「仏像」というものに全然興味がなかったんです。
美しくて完璧な造形。厳かでありがたいお姿。
しかしどこか他人事で、はるか遠い世界のお方。まさに「神の世界」を遠くから拝ませていただくような感覚しかありませんでした。
また、商業的というか、政治的な意図がみえかくれすることにも興覚めするような思いもあったように思います。
しかし、このチラシの「仏像」を見た時
いままでの「仏像」に対するものとは違うものを感じました。
この像を造った人、この像に手を合わせる人が見えるようで、秒速で心をぎゅっとつかまれたような気がしたのです。
あは。かわいい。
「神様、お元気ですか?」
なんだか話しかけたくなっちゃいます。
人々の日常的な祈りが聞こえてきそうです。
「祈る」ってなんだろう。
「富士塚」という存在を知ってから、
私は当時の人々の祈りの場をめぐるようになりました。
富士山のパワーへの憧れや願い、その強い思いだけで様々な大きさや形に作り上げた「富士塚」は、まさに祈りの形そのものといえます。
この展覧会のいわゆる地方民間仏といわれるような像にも山や村で暮らす人々の願いそのままが映し出され、その素朴なお姿に「祈り」そのものを感じさせます。
山村の素朴な仏像と聞くと、円空仏や木喰仏の存在を思い出させますが、二人は布教の旅を続ける中で造りだした像であり、つまりは僧による造形物ですから、そこはやはりまた少し違うものなのかなとも思え、「祈り」に対する自分の固執したこだわりを改めて知ることとなりました。(今回の展示には円空作の作品もあり、またその像に影響をうけたのではないかと思われる像の展示もあります)
この展覧会には
自分が考えたい祈りの世界があるかもしれない。
「祈り」を見に行ってみよう!
現在東京ステーションギャラリーで開催中の「みちのくいとしい仏たち」の仏像たちは、岩手展京都展を経て、東京にいらしてくださっています。
こうした地方民間仏の大きな展覧会は今回が初めてのこころみなのだそうです。
会場にてたくさんの像を目の前にしたとたん、ありがたさで胸がいっぱいになりました。
はるばるお疲れ様でした。お会いできてうれしく思っていますと心の中で深々とおじぎをしました。
ここに展覧会の開催内容を記載させていただきます。
「仏像」というのは
本来「仏陀の像」のことをいいます。
6世紀頃日本に伝わったとされる仏教とともに、経典や仏像が知らされ、お寺や像を造る人々が来日しました。
日本での仏像作成には「経典」と「儀軌」というものが基本とされ、しっかりと技を持った職人仏師が厳密な規定をもとに造るものとされていました。
日本の仏教美術史界が取り上げてきた仏像は飛鳥、奈良、平安、鎌倉時代が中心で、それ以降は見るべきものがないとされてきたのだそうです。
しかし、仏教が一般市民にまで普及した鎌倉時代以降、そういった教科書的なものには沿わない仏像、例えば江戸時代の円空仏や木喰仏のような素朴な木彫が造られるようになり、近年になりようやくその価値が見出されはじめました。
その祀られていた場所が都市から離れた村々であることなどからも、それまでの、どちらかというと権力者側の人たちによって造られたものとはちがう、庶民のための造像と認識され、またそういった像こそが日本人の信仰心そのものを具象化しているのではないかということが評価されるようになってきたのです。
「いとしい仏たち」の展示にある仏像はさらなる素人である庶民の作品であり、どこまでも素朴です。親しみやすくその愛らしいすがたにほっこりとさせられます。また、どんな思いでこの像をつくったのだろうと考えると、「祈り」ということの意味がより深く感じられてきます。
展示の仏様を見ていきながら、
以前から知らないままにしていた言葉などが気になり始めました。
聞いたことがあるけど、どんな意味があるのだろう?
ホトケとカミとは?
神仏習合?本地垂迹って?
如来と菩薩はどう違うの?七福神の神様は少し違う仲間のようだけど・・・
調べてみるとどれもこれも「答え」があり、おもしろくなってまいりました。知れば知るほどますます広がり、枝分かれしていきます。ひょんなところがつながるなど、混乱することもありますが、
じっくり取り組みたい課題を得た想いです。
今回は全く知識のない私が興味をもった像をとりあげながら展覧会の記事を書かせていただけたらと思います。常識的なことからわかっていなかったため、退屈な説明もあるかと思いますがお許しください。
今回、仏像にはいろいろな種類があるのだという事を知りました。
大きく分けると「如来」「菩薩」「明王」「天」に分類することができます。
この中でいちばん位が高いのが「如来」です。位の判断基準はなにかというと「悟りを開いたかどうか」なのだそうです。
仏教の創始者である仏陀はこの世に実在した人物でした。
シャカ族の王子として生まれ、29歳で出家35歳で悟り、ゴーダマ・シッダールタという名前からゴーダマ・ブッダと呼び名が変わりました。ブッダとは「真理を悟った人」という意味です。
『シャカ族の「真理を悟った人」』ということから釈迦如来と言われます。「如来」は仏陀の漢訳。
つまりですね、厳密には如来像のみが「仏像」なのだそうです。
しかし一般的には薬師如来や観音菩薩、不動明王、また羅漢や諸天、高僧の像までも「仏像」と呼ばれています。
今回の展覧会で、私が個人的に気になった像をご紹介したいと思います。
展示物の撮影はできませんでしたので、文章のみの説明となりますが、もしご興味いただきましたら会場にも足を運ばれてみてください。
作品№8「十一面観音立像」
この仏像は平安時代の12世紀作といわれ、所在地は岩手県の県境に近い青森県南部町。個人蔵である仏様です。
十一面?顔が?どこに?見たい見たい!と思って探しましたが、そのお顔はすでにないとのこと。残念でした。
しかし「十一面観音立像」という仏像がどんなものなのか見てみたいと思い、調べてみました。
奈良県聖林寺にある国宝をここでご紹介したいと思います。
この像は8世紀後半の作品で高さが約209㌢あるのだそうです。大きいですね!木心乾漆造漆箔の技法で造られています。この技法は天平後期に名品が多くみられ、平安初期にかけて使われていました。ペースト状の漆を使って体つきや指先、天衣の細部が整えられています。
この像も十一面のうち化仏3体がなく、如来相(頭の上から突き出ている顔面)と菩薩面7面が残っているのだそうです。足の下にある六重蓮華座はほぼ当時の姿のままだとか。美しいですね。
さて、この仏像はさきほど4つのグループに分けた中の「菩薩」の種類に入ります。「菩薩」は2番目の階級であり、「将来悟りを開くことを目標に修行をしており人々の救済を実践して」います。将来如来になることが約束された修行者なのです。十一面観音は観音菩薩の変化型で、仏像の本来の顔以外に東部に突き出た仏面一つ、その周囲に十の菩薩面があり、その位置によって名称や役割が異なります。
十の菩薩面は十種勝利、仏面は四種果報などの功徳を表しているといいます。十種勝利とは<病気にかからない><財産や食事の心配がない>など現世での十の功徳であり、四種果報とは<地獄に堕ちない><極楽浄土にうまれかわる>など来世での四つの功徳のことです。
観音立像の持ち物としては一般的には左手に蓮華を挿した花瓶、右手に数珠などを持ちます。写真でご紹介した「十一面観音立像」が持っている花瓶にはつぼみの蓮華が挿されていますが、これは開花にいたらない衆生を表しているのだとか。(衆生とは生きるものすべてのこと)
どういう意味なのかというと、「本来の美しい心を忘れず迷いにまどわされず、立派に開花させるように」という応援のメッセージが込められているのだそうです。
しかし№8の作品は両肘から先がなくなっているのです。
この像が以前どんなものを持っていたかなどは全くわからず。残念です。
作品№ 35~37、38、39「不動明王立像や二童子」40、41「二童子」
SECTION5では不動明王にお会いしました。
「お不動さん」のこと、何にも知らなくて、改めて調べてみたらこれまた奥深い世界でした。像のお顔がなんだかみんな怒ってる?と思いましたがそれもちゃんとした理由がありました。
790年~890年頃の平安前期のこの時代、最澄、空海らにより密教が到来し平安貴族たちは密教の修法に深く依存するようになっていきました。
空海は大日如来を密教の本尊としこの像を宇宙の中心におく真言宗を開きます。
この大日如来を中心におく密教の究極のビジュアルが「曼荼羅図」です。
大日如来の世界を「形の世界(胎蔵界)」と「論理の世界(金剛界)」の二種にわけ中心にある大日如来が無限に変化することで仏の宇宙を形つくり、両者があわさることで「毘盧遮那如来となります。
真言宗では大日如来のほかにも五大明王像、天部像などが登場してきます。
明王は如来の化身とか使者などといわれ、大日如来からの命を果たすためにほとんどが忿怒の相で表されます。煩悩に迷う衆生の救済のために怒った顔をしているのです。
この五大明王像の中心にいるのが不動明王です。持物の特徴としては右手に三鈷剣、左手に羂索を持ち衆生の煩悩や邪悪な心を退治します。
「いとしい仏たち」の展示ではかぎりなく素朴なため、忿怒のお顔であってもどうもかわいらしさがさきにたち、ほほえましくなります。しかし№39の像などは火焔光背なども見られ、怒りを最大限に表現しています。
また、不動明王には多くの従者がいるとされていて、三十六童子や四十八使者ともいわれていますが、一般的に知られているのは二童子と八大童子です。
今回の展示の№35~37には二童子を左右に従えた不動明王がいます。また、№40と№41はその二童子の矜羯羅童子と制咤迦童子それぞれであり、すっかりすすけています。(この二童子にあと6人を加えて八大童子とされています)しかし№40の作品などはニコニコな笑顔なんです。うふふ。そんな優しい表情をしていたら不動明王様に怒られてしまわないかなと心配になります。
作品№ 42、43「毘沙門天立像」44「吉祥天」45「多聞天」
七福神の中で、個人的には一番興味があるのが毘沙門天です。
まずはこの「天」とはなにかということですが、天上界に住んでいるとされている神々のことで、多くがインドからやってきました。神様の中では、人間界に最も近い存在です。
四天王という4人の守護神がいますが、その中の多聞天は毘沙門天と同一の神様になります。毘沙門天は最初は戦いの神様として造られましたが、今では福徳神や財宝の神様としてのご利益も強まりました。
なぜ毘沙門天に興味があるかというと、その像の足元にあります。
すべての像ではありませんが、多くの像が邪鬼をふみつけているのです。
その邪鬼は、人間の煩悩なのだということを知って、がぜん興味がわきました。鬼たちの表情も様々で面白い像が多くみられます。
面白いことはまだあります。
毘沙門天はインドでは暗黒界に住する夜叉鬼神の長とされていて、
5千を超える夜叉の頂点となる八大夜叉は毘沙門天に仕えているのだそうです。また、そのほかにも毘沙門天に仕える二十八使者がいるというのですから、毘沙門天ってなんてやりてなんだ!と思わずにはいられません。
また、毘沙門天の使いの動物としては虎がいます。
毘沙門天がかかわってきたあらゆる言い伝えに寅の月、寅の日、寅の刻が関係することが多いことから毘沙門天と虎を結び付けるようになったそうです。毘沙門天が祀られた神社やお寺では縁日が寅の日であり、寅の日に毘沙門天を祀る寺院にお参りすれば、寅の日詣でと言って、とても大きな力が頂けます。
また、毘沙門天には吉祥天という奥さんがいます。また、5人の男の子がいて、その末っ子の 善膩師童子は家族の和を深める神です。毘沙門天は幸せな家族を築き、家庭円満のご利益もある神様になりました。
今回の展示にも毘沙門天の像は2体あり、他多聞天も1体、吉祥天も1体ありました。毘沙門天像1体と多聞天は、期待通りの鬼を踏んでいる像です。表情には少しコミカルさもありほほえましく、私は特に№42の像が心惹かれました。
№45の作品は素晴らしい出来で、地元の船大工さんか宮大工さんが造られたであろう作品のようですが、技はもちろんのことそのデザイン性のレベルの高さにも驚きました。竜神、閻魔王、大黒天、多聞天のすべての要素が盛り込まれていることも見どころです。背中にいる竜の彫刻は細部まで美しくしばらく見惚れてしまうほどでしたが、楽しんで造られたであろう様子も目に浮かぶようで、作品がさらに魅力的に感じました。
さて、展示会場にはまだまだ興味深い魅力的な作品がたくさんあります。
今回の展示で「十王像」という存在を初めて知ったのですが、
閻魔大王をふくむそれらの像をつくることで、死後の世界への恐れを緩和させたのかなあと思ったり、ユーモアやあたたかさを感じるような素朴な作品に私もホッとさせられました。
北東北の自然は私などが想像できないような厳しさがあり、ご苦労も多かったにちがいありません。
そんな時気持ちをきいてもらえる神様が身近にいるということはなによりの救いであり、それこそが祈るということの一番の恩恵だったのではないでしょうか。
雨の日も風の日も日照りの日も、なんの文句も言わずに
そこに住む人たちの心に寄り添ってきた神様たち。
一体一体を確認しながら、
たくさんの人たちのたくさんの心をなぐさめてくれた像なんだなあ。
たくさんの祈りを聞いて受け止めてきたんだなあ。と考えました。
素朴でかわいくてちょっとおかしくて、
でもずっと見つめていると、少し涙が出るような気がして困りました。
笑ってくれている神様に心があつくなるのでした。
もうすぐ2023年も終わります。
今年もありがとうございました。
来年も我が心にある邪鬼、いわゆる煩悩と戦い、少しでも自分に成長があるようにと祈ります。
さて皆さんは
一年の最初に何を祈りますか。
来年もまた、皆さんにたくさんの良きことが訪れますように!
今年も大変お世話になりました。
皆様のご多幸を心からお祈りしております。