【美術とファッション】花魁のかんざしは12本⁉浮世絵で見る豪華絢爛な衣装たち
以前、友人が「簪の美術館に行ってきたんだ」と教えてくれてその存在を知りました。※今回調べてみたら昨年から休館しているようでした。
先日すみだ北斎美術館に行き、開催中の「歌舞音曲鑑」展をみていた時に北斎の弟子の1人である渓斎英泉の名前があり、英泉の描いた絵を思い出しました。たしかあの絵の女性はめちゃめちゃ豪勢に簪を挿していたんじゃなかったかな?友人のかんざし美術館の話も同時にあわせて思い出し、とても興味がわいてきました。
あ!たしかゴッホがそんな浮世絵の女性を描いていたような・・・
そこから作品を調べてみましたら・・・あ!ありました!これですこれです!渓斎英泉の花魁!
やはりみごとな簪!しかもこの挿し方、落とさないかと心配になります。
簪は鼈甲や象牙など、また銀や錫などに珊瑚を組み合わせたものなどがあり、年齢や身分によって素材を選んだり、つけられないものもありました。
花魁は簪を通常12本、櫛は2,3枚使うのが標準だったそうです。この花魁はどうでしょうか?まず簪から見ていきたいと思います。
植物の繊細で緻密な細工が施されています。しかも12本以上あるようです!
また、櫛に付いている黒いものは何だろうと思っていましたが、この図を見てわかりました。どうやら鼈甲の黒紋のようです!高価だったようなので、この花魁の身に着けている髪飾りはどれも大変な高級品のようです。
笄でしょうか、その大きな板のようなものにも驚きます。笄は1661年頃から存在していたものだそうですが、その当時使われていた素材には竹、鯨髭、鶴の脛骨などがあり、その後は鼈甲などが主となりました。
髪型も遊女のものとしていろいろ種類があるようなのですが、この女性のものははおそらく上図のような形ではないかと思われます。
この図の髪型は「結綿」といわれるもので、「つぶし島田」というスタイルに手絡(髪の毛に使用している布地)をかけた形になります。
また、この手絡の色によって年齢をあらわすのだそうです。十代の少女は赤色、年増の女性は水色や紫なのだとか。この女性は赤色ではないからそれなりのご年齢ということなんでしょうね。
着物の柄もすごいですね!黒地に龍(しかも登龍?)が描かれ、帯には蝙蝠が!これでもかといわんばかりの奇抜さと豪華さにも目を奪われます!きっとこれもとても高価なお品かと思われます。
迫力あるなあ!
この絵が1886年5月1日号の「パリ・イリュストレ」日本特集号の表紙を飾り、その時なぜか印刷が反転されていたためそれを見たゴッホの模写も左向きになっています。
トレーシングペーパーをつかって模写し油彩の作品として制作。そのあと「タンギー親爺の肖像」にも描きました。
19世紀後半ヨーロッパで流行したジャポニスムは多くの画家を魅了しました。ゴッホは特に影響を受け、浮世絵の要素を自分の技量として取り入れようと丹念に模写しては油彩の作品に仕上げました。
パリのモンマルトルにあった画材店の主人タンギーはゴッホの作品をショーウインドウに置いてくれたり、画材を出世払いで渡してくれるような人でした。彼の肖像画の背景に浮世絵を6枚も描いたのは、タンギーに感じていた感謝と愛を、尊敬にも似た気持でみていた日本という存在に重ね合わせていたのかもしれません。
ゴッホは画商の弟テオにあてて、当時の手紙の中でこんなことを書いています。「まるで自身が花であるかのように、自然の中に生きる、こんなに素朴なこれらの日本人がわれわれに教えてくれるものこそ、真の宗教ではないだろうか」
ゴッホの手紙にたびたびでてくる「日本礼賛」にはいつもちょっと驚かされます。憧れすぎでしょうなんて思ったり。
どんなユートピアと思っていたのかなあ。
でも嬉しくもあり、またゴッホをがっかりさせたくないなあなんて気持ちにもなるのです。そして今回あらためて日本人として日本の文化のすばらしさを感じるだけでなく、浮世絵のことほとんど知らないことを恥ずかしく思いました。ゴッホさん、こんな日本人でごめんなさい!なさけないけど、日本の絵のことこれからもっと勉強します!日本をもっと知りたいです!(苦笑)
さて、この花魁という存在を調べてみたところ、吉原遊郭の遊女の格は江戸期を通じてほぼ五段階に分かれていたことがわかりました。初期には最高級である太夫・格子制(太夫・格子・散茶・局・・・)がありましたが、費用が高すぎて中期の宝暦13年に崩壊します。その後幕末まで才色兼備が求められる太夫は空席となり散茶が繰り上がって花魁となりました。
江戸に初めて幕府公認の廓ができたのは徳川三代の元和3年(1617)。場所は現在の日本橋人形町あたりでしたが、明暦大火後に浅草に移転し、そこからは新吉原といいます。
現在大吉原展という展覧会が上野の東京藝術大学美術館にて開催されています。一部なにやら炎上しているとのうわさも聞きました。この展示はどんなふうなみせかたをしているのかなあ。
炎上している内容もふまえたうえで是非行ってみたいと感じています。
その大吉原展チラシに掲載されていた展示作品に高橋由一の花魁がありました。
高橋由一といえば、教科書でもよく紹介されている鮭の絵を描いた人です。
この高橋由一の「花魁」もよく見るとすごく豪華な着物を着ています。向かって左側の袖などには動物の毛?のようなものも感じますがなんだろう?
簪のすごさといい着物の派手さ、豪華さといい、すごく興味がわいてきました。明らかに他ではみたことのないような柄や布地を思わせます。花魁を描いた作品は他にもあったらみてみたい!とさがしてみたところ、浮世絵の中でいろいろな画家が描いていて、たくさんの作品がみつかりました。
ご一緒にごらんください!
まずは英泉。三曲合奏を行う遊女を描いた作品。遊女の名前も記されています。今回わかったのは浮世絵で描かれる吉原の遊女は花魁がほとんどなのだそう。絵が華やかになるからでしょうか。また、浮世絵を手にした時に豪華な衣装や教養もあわせもつ女性が江戸の誇る最も理想的な女性像として、お近づきになりたいと、男性軍に想いをはせてもらう作戦だったのかもしれません。
この方はどうやら売れっ子の遊女らしいのです。吉原の江戸2丁目にある若那屋という場所にいるとのこと・・・。あらためて吉原ってどうなってるの?住所があるの?そんな広いの?と疑問が次々にわいてまいります。
そして調べてみましたらなんと!すっごくわかりやすい記事がnoteにありました!太田記念美術館さん!浮世絵作品、特にこのあとご紹介する歌川国貞の作品がこの美術館ではたくさんみれるようで(たくさん所有されている)近々お邪魔したいと思っておりました!
このnoteで吉原をしっかりとイメージしたいと思います!
そして、この白露さん(お名前も素敵!)の持っている金魚の入れ物がですね、また興味深いのです!
金魚は江戸時代中頃から観賞用として大流行しました。最初は中国からはいってきたようなんですが、1748年に安達喜之が書いた『金魚養玩草』という金魚の育て方の本が出版され、それも大流行のきっかけの一つになったようです。そこには「らんちゅう」の記載もあるのだそうで、しかもこの白露さんの持っている金魚がらんちゅうなんだそうでこの時代にもいたのね!とか高価なのだろうか?とかいろいろ興味深い絵だと感じます。
金魚は現代ではビニール袋に入れてもらうかと思いますが、この当時ビニール袋はありません。だからこの白露さんが持っているのはガラス製の金魚玉というものだそう!風鈴をさかさまにしたような形なのだそうです。しかもですね、ストローのような棒が中のほうでT字になっていて、棒を持つと金魚玉がぶら下がる仕組みになっているですって!金魚買ったらこんな入れ物に入れてくれるなんて!金魚が水の中をたゆたっているのをみるだけでも嬉しくてドキドキしますが、こんなステキなガラス製のものに入っている泳ぐ金魚を想像するだけで胸が高鳴るのは私だけでしょうか?
弱いガラスだったようで、このまま飼うことはできないため桶や陶磁器の器などに移したのだそうです。
また、当時は3月3日は金魚の日だったのだそうです!知らなかった!それは江戸時代にひな祭りのひな壇に金魚鉢を飾ったからだそう。なんてステキな発想!女の子たちがひな壇の前で金魚をみながらきゃっきゃっとはしゃぐなんともかわいい光景が目に浮かぶようです。
次にご紹介する作品はなにやらぞろぞろと花魁の他にも遊女のような華やかな人たちが描かれております。
吉原の妓楼には「~屋」とする場所がいろいろあったのではないかと思われますが、タイトルに鶴屋とあるので、鶴屋いうところにいた花魁たちの姿を描いたものと思われます。「すがわら」は吉原細見(吉原遊郭の案内書で遊女の名を記したもの)によると突き出し(はじめて遊女としてデビューすること)となっている遊女で、それを記念してだされたのではないかと推測された作品です。
花魁は禿や新造と呼ばれる遊女見習いの若い女郎を連れて歩くのが定番ですが提灯を持つ番頭新造もつき、こんなに何人も従えていることから相当に期待された遊女であることがこの絵からわかります。作品には高価な紅色をふんだんに用いられています。
さて次はまた簪がめだつ女性が大きく描かれている作品です。
あれ?こちらも鶴屋?すがわら?同じ人でしょうか。こちらは「青楼五節句遊」のシリーズとのことで、五節句にあわせて遊郭の名妓を二人ずつ描いていくというものだったというので、やはりおそらく先ほどのおなじ鶴屋のすがわらさんなのでしょう。江戸時代の吉原版プロマイドということでしょうか。大変な人気の人だったんですね。2人のうち、下の人の髪型が独特ですが、これはまさに花魁の髪型だったようです。
「伊達兵庫」という名前の結い方です。江戸時代後期の遊女の髪型だとか。
下の図は「両兵庫」といってこれが伊達兵庫の原型になるようです。面白い形ですね!
横兵庫、両兵庫、二つ兵庫など、時代が下がっていくにつれ立てていた兵庫髷は横に寝ていき、輪が二つになったとか。
いろんなアレンジを工夫したり楽しんでいるんだり、おしゃれだなあと思います。
あ、次の絵の花魁も伊達兵庫のようですね。
歌川豊春は細見で背の高い美人を得意としていました。
花魁はこの遊女のように帯を前に結んでいる絵をよく目にします。この理由については豪華な帯を見せるためとか既婚者が前結びにする昔の慣習が残ったためなど様々な説があるそうです。
下駄は花魁が漆塗りの高下駄。禿はぽっくりをはいています。
さて今回初めてみた作品ばかりの歌川国貞の浮世絵を何点かご紹介させていただきます。
歌川国貞の作品には花魁の作品がたくさんあったこともありますが、彼の絵を数多く見ることができました。人物の作品が多いと感じましたが、その見せ方に工夫が感じられ大変驚かされました。グラフィックデザイナーさながらの構図、豪華絢爛な模様の粋な組み合わせ、技術力の高さと発想の面白さにおいて現代と全く引けを取りません!国貞の作品についてはまた改めて書いてみたいのですが、ここからは国貞作品の花魁を何点かみていきたいと思います。
よくみるとサボテンまでも販売している露店の植木売りを描いています。花魁の着物がまた素晴らしく豪華ですね!そして磁器で作られている植木鉢の染付文様の藍色が高級感を醸しだし、この作品をさらに豪華にしているようです。ためいきがでるほど美しい作品だなあと思いました。
この鏡の使い方も当時新しかったのではないかと思うのですが、切り抜き方、女性のしぐさなどユニークです。欧州で驚かれたジャポニスムがまさにこういう構図の大胆さだっただけに、浮世絵には切り取りがおもしろいという作品が本当にたくさんありますが、北斎といい広重といい、またこの国貞なども本当に見せ方がうまいなあ!とほれぼれしてしまいます。
北国とは江戸の町の北にあった吉原遊郭のこと。この花魁の櫛や簪にも鼈甲の斑がみられます。前帯には豪華な刺繍がほどこされ、素晴らしい衣装です。
このように、着物のがらの艶やかさも国貞作品の楽しみの一つで、本当にこういう着物を着ていたともいえますが、柄の組み合わせやその色合い、量など国貞のセンスを感じ、絵の技の力量とともに驚かされます!
でも浮世絵って彫り師刷り師とまた違う人物がいたわけでですよね。
国貞だけじゃなく、絵に携わった人たちみんなほんっとすごいなあ!!
八朔とは八月朔日の略で旧暦の8月1日であり、また徳川家康が天正18年8月1日に初めて公式に江戸城に入場したとされることから江戸幕府はこの日を祝日としていました。また、八朔白無垢とは8月1日に一斉に白衣装を着るという吉原の習わしのこと。ということで、この絵の花魁は成夏の装いをしていることになり夏衣装です。
また、下駄がちらりとみえていますが、これは吉原遊女用のもので漆塗りの高下駄です。
国貞の花魁作品の最後にこちらをごらんください。
花魁の背景には浄瑠璃の稽古本が描かれています。なんて斬新なデザインなのでしょうか!
文字の、いまでいうフォントも浄瑠璃本独特の書体をつかい、また表紙や本文をいろいろな角度において動きがあります。
現代の今みても新しさを感じるような作品です。
さて、今回花魁ばかりを集めて作品をみてきましたが、
もちろん一般庶民の方々を描いた絵もたくさんあり、男性女性問わず髪型や着物の種類が豊富で驚きます。
男性も本当におしゃれなんです!
正直、いままで日本画をみるときにこんなにじっくり人物のアレコレをみたことがありませんでした。こんなふうに気を付けてみると、しっかり当時の文化や流行りが描かれているんですね!
以前より日本画をみるのが楽しくなりました。
子どもの頃母が千代紙のぺったんこのお人形作りを教えてくれて、着物を着せるときにいろんな千代紙をつかって柄を少しみせながらちょうどこの上の絵の襟元のように少しずつずらして着物を着せていきました。
どんな組み合わせにしようか考えるのがとても楽しかったことを思い出します。
この絵の女性の着物のくみあわせ、粋だなって思うんですけど、当時としてはどうなのでしょうか。歌川国貞の作品にはこういうちょっとしたところにもセンスを感じるというか私の好みというだけなのかもしれませんがとてもおしゃれだなって思うんです。色使いとか柄使いとかとっても素敵です。髪飾りもとても愛らしい細工がされたものを使っていますね。
当時のおしゃれな女の子を生き生きと描いているようにみえます。
さて、長くなりました。
(お付き合いいただきありがとうございます!)
こんなにじっくり日本画をみたのは実は初めてで、知れば知るほど面白いことがわかってきました。江戸時代っていろんな文化が花開いた活気のある時代といわれていますが今回本当にそのとおりだなあと感じました。
この時代、一般の人たちが一番まねしたり憧れたのは歌舞伎役者や吉原遊郭の遊女だったそうです。北斎の展示でもみた、歌舞伎の様子を少し覗いてみましょう。
北斎はあくまで歌舞伎俳優やその場の賑わい、華やかさを描いていたと思われるため、観客にはそこまで力をいれていないと考えられますが、それでもよくみると女性のお客がいることもわかるし、男性は身につけているものなどから職業も推測され、当時歌舞伎が様々な人たちに人気があったことを思わせます。こうした場がいまでいう芸能人をみるような場所であり、ファンがこぞって集まり流行を作っていったのでしょう。
下の作品はまたちがう絵師の作品ですが、やはり歌舞伎の劇場の様子です。
こちらの方が女性客が多く描かれていて、ファッションなども細かくみることができます。お子さんもいます。ご連れも良かったのですね。っていうか、こんな乳飲み子連れてまでも来たかったんだなあ!という驚きも。とにかくお客さんぎっしりですね!
今回の浮世絵探索で、当時の人々が思った以上におしゃれに関心があることがわかりました。
帯の巻き方や着物の粋な着崩しかた、髪、まげの結い方、ヘアアクセサリーのいろいろ。
現代にもまさる、いや、その種類の豊富さたるや
現代以上に個人の「好き」が表現されていたように感じられました。
日本美術のなかの人たち、
これからももっとよく観察してみたくなりました!
おもしろい発見にワクワクします!
参考資料:
•江戸の女たちの暮らし グラフィック社
•浮世絵美人解体新書 世界文化社
•もっと知りたい 浮世絵 東京美術
•歌川国貞 東京美術
•江戸衣装図鑑 東京堂出版
•お江戸ファッション図鑑 マール社
•歌舞音曲鑑 北斎と楽しむ江戸の芸能
すみだ北斎美術館
※この記事を発表した後に太田記念美術館さんの記事に花魁のこと詳しく書かれているものをみつけました!
とてもわかりやすく興味深く、大変面白く読ませていただきました!
こちらに載せさせていただきます!