家族をとりもどす。
夫が今お父さんとして奮闘している。
私にはそう見える。
我が家の恥をさらすようで
こんなお話をするのもどうかとも思うが、
とても考えてみたいことなので、書いてみたい。
家族ってなんだろう。
生まれてすぐに必要性のあるものだが、
自らは選べないものとして存在している。
自分の人生に多大な影響を与えるものだと思う。
しかしながら
あまりに必然的に存在しているが故、そのことを深く考える人はあまりいないのではないか。
特に幸せならば。
私の幼い頃の家族はしんどかった。
しかし、同時に楽しくて最高にハッピーであった。
お金とギャンブルに対して病気なほどの執着があった父は様々な問題を起こして家族を恐ろしいほどの不安に陥れた。
しかし、私は父が大好きであった。
いや、わたしだけではなく、
あんなに苦しめられた母もまた
父を大好きだったにちがいない。
矛盾しているようだが、
父は、家族を楽しませることがうまかった。
私の家族の大きな問題は父であることは明確であったが、私個人の大きな問題はむしろ母との関係にあったように思う。その違いはなんなのだろうと考えた時、やはり行き着いたのは「愛」であった。
あんな父ではあったが
私は父からたくさんの愛をもらったと感じ、
命懸けで子どもたちを守ろうとした母は
少しも私を愛していなかったであろうと今も考えてしまうのだ。
不思議なものだ。
自分の子育てをふりかえると
私にはなにも目標はなかったと思える。
それよりも
私の心にギュッとおしこまれていた
私の子ども時代を
自分の子どもたちと一緒にまたやりなおさせてもらったような気がして
子どもたちには大変感謝している。
私は自分の幼い頃の「家族」の
地獄と天国のことを常に思い、
その意味を考えることが多かった。
常に二つの「家族」を思い、
当時の両親を心底恨みながら
そして、心から愛しながら、
我が子をみつめてきた。
「家族」をとりもどすかのように
「家族」にこだわり、
わたしの「家族」をつくるのだと、
必死だった。
夫は
不思議なくらい子どもたちに興味がなかった。
家族ということをなんとも思っていないようだった。
生活はしっかり支えてくれた。
常識のある正しい人。
父と比べたら
最高に素晴らしい人物のはずであったが
私はだんだんに不満をいだくようになる。
3人も子どもがいて、
なぜそんなに
「家族」を楽しまないのかとなじった。
夫は私が言っていることの意味がわからないと言って戸惑い、怒った。
夫婦喧嘩はいつも平行線であり、
同じことの繰り返しだった。
子どもたちが20歳をすぎ、
次男ははっきりと父が嫌いだと言った。
娘は人としてありえないと言った。
次男は
父が家族をリードしないことを恥ずかしいという。
夫はけしてリードしないわけではない。
いやむしろ
少し上からの言動を娘が冗談めかしにからかいながらディスるくらいであり、
それをリードするというのならば、
父の威厳は保たれているともいえる。
まるで感情を動かさず
自分のペースを崩さない
こんな父親はたくさんいるだろうし
問題ない家族もいっぱいあるにちがいない。
けれど私は
我が家の「家族」を問うこの機会を興味深く思う。
次男や娘と私は同じことを言っているのだと
夫は気づいているのかいないのか。
私に言われた時は反発したが、
子どもたちからの言葉にはうろたえた。
お父さんとして
ようやく何か思うものを感じ、
家族をとりもどそうと
心を動かしはじめた。
やはり「家族」なのか。
その深くて大きな箱に
「愛」は入っているのだろうか。
みんなが幸せであってほしい。
みんなが、
家族の愛を受け取ったと感じられる人生であってほしい。
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