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東京23区に73か所!すべての富士塚をめぐる挑戦 [18]谷中富士

かなり久々の富士塚巡りに行ってまいりました!

「谷中冨士」?
私が最初に「富士塚」という存在を知った時には聞いたことがない富士塚でした。

谷中に富士塚があるんだ!!
個人的に谷中はもともと大好きな場所です。
毎年初詣は「谷中七福神巡り」をしていることもあり親しみを感じております。
そこに富士塚!是非とも見てみたい!お参りしたい!と出掛けてまいりました。


最寄りはJR日暮里駅。
途中朝倉彫塑館を左側に見ながら通り過ぎます。

ふと、寄ってみたくなりました。
以前お邪魔したのはいつだったろうかと考えましたが記憶が定かではありません。もうかなり前ということは確実です。

入口に貼ってあったポスターを見て、
今はこんな展示をしているのかあと思いました。
以前この美術館にて鑑賞した、猫だったかうさぎだったかの作品に感動したことを思い出し、「あの」作品がみれるかな、みたいなあと思いました。

たくさんのねこさん犬さんの作品が展示されていました。
結論としては「以前感動した作品」はどの作品だったかわかりませんでした。
でも今日見たねこさんの中ではこのねこさんが一番好きだったかなと思います。

朝倉文夫氏は「東洋のロダン」と言われていたようですが、ロダンに直接的に手ほどきをうけたというようなことはなかったようです。でも独学でかなりロダンを勉強したのではないかと言われているそうです。
うわあ!ねこさんがいっぱい!しかも愛されていますね!
20匹近い数のねこさんと暮らしていたようです。
室内から中庭をのぞむ

作品をみてからおうちの中へ。
このおうちがとにかく素晴らしいのです。

朝倉文夫氏は1907年(明治40年)24歳の時にここをアトリエと住居としました。当初は小さなものでしたが増改築や敷地の拡張、建て替えを経て現在の建物は1935年に完成しました。ここを「朝倉彫塑館」と命名し、門下生を育成しました。いわば住まいと学校と制作の場が一体となった空間だったのです。「パンフレットより


日本好きな外国の方ならきっと感動されるのではないかなあ。いや、私もとても感動いたしました。
ああきっとかなりの人でいっぱいの時間もあるのだろうなと考えたら、私がお邪魔した時は朝も早かったせいか人もまばらで、よかったなあとつくづく思いました。ゆっくり丁寧にまわらせていただきました。


ゆったりした優しい気持ちになって、外に出ました。
また、谷中富士塚を目指します。

途中谷中墓地が横道先遠くに見えました。
朝倉文夫氏もここに眠っていらっしゃいます。
谷中墓地はほかにもたくさんの有名な方のお墓があります。
渋沢栄一氏もこの場所にお墓があるようです。

さて、谷中冨士の近くには谷中名物のヒマラヤスギがあるのだと聞いて、その住所からGoogle先生に教えてもらい、テクテク向かいます。

ありました!わあ!大きいなあ!
おお!景観重要樹木なんですね!この木の裏手すぐに富士塚があるというのですが・・

あ!みいつけた!

小さいけれどキチンと整備されています。
清潔で美しく、また、かわいらしくもあり。
大事にされている富士塚ですね
小さいけれど黒ボクでしっかり作られています。黒ボクの周りは、歩いて回ることだ出来るように整備されています。

現地にはこんなことが記載された看板(?)がありました。

日本人は古くより富士山を崇拝してきましたが、江戸時代に入ると「冨士講」という、富士山を登拝する信仰組織ができ、江戸を中心として各地に富士塚が作られました。
黒ボクと呼ばれる富士山の溶岩を置き、大きなものは富士山を象り、浅間神社を祀り、富士詣ができるようにしたのです。
ここはお寺にはさまれた三角地で、江戸時代の地図にも「谷中村分」とあり富士塚や井戸もあったことから人々の集まる処だったことが窺えます。
千寿庵の庵主は長年、書画や富士講、富士塚など江戸の文化を研究してきましたが、この昭和初期の長屋を修繕するにあたり、敷地内に古い小さな富士塚があることを知り、深い縁を感じました。
そこで、北口本宮冨士浅間大社宮司上文司厚様より、「谷中冨士」という名前をいただき、皆様がお参りできるように周りを整備いたしました。
富士塚を拝む方向に富士山があります。どうぞお参りください。

現地看板より
御朱印も置いてありました。うまく押すことが出来ました
無くなった富士塚はたくさんあるかと思うのですが、このように現代にまたよみがえる富士塚はあまりないのではないかと思います。江戸時代の人々の思いを受け継ぎ、富士山を愛し崇拝するという、この地の方々のお気持ちから復活した富士塚。素敵です!

富士塚やっぱりいいなあ。
まだまだ行っていないところにもたくさんあります。
また巡りにいきたいと改めて思いました。

さて、ここから少し歩くと根津に出ます。
和菓子屋さんがありました。
私の子どもの頃はこんなふうに和菓子を売りながら店内でもあんみつやかき氷が食べれるというところが近所にもいくつかありましたが、今ではすっかりなくなってしまいました。

和菓子屋さんをみつけると、お団子はあるかなあといつものぞいてしまいます。ここはお団子が名物とのこと。みたらし団子を買いました。

私は結婚してすぐ、この根津にほど近い弥生というところに住んでいました。なので根津は買い物によく訪れる場所で懐かしいお店も。

この飴やさんは、この飴を入れている箱?がとても素敵でときめきます。私が子どもの頃よく行った駄菓子屋さんはすべてこういういれものにお菓子が入っていたことを思い出します。
今日のおみやげ

この辺りは上野にも近く、また本郷の方にも歩いて出たりも可能です。
昔の東京の良さを味わいながら楽しい時間をいただきました。


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