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まだまだ知らない人たちがたくさんいて、わたしはもっともっと知りたい

 いまやnoteを見ない日はありません。
ある日思いました。最初に出てくる画面はきっと私用なのだ、と。わたしがよく読んでいるテーマだったりnoterさんだったりがまずはでてきて、あなたの好きな世界ですよね、さあどうぞと準備してくれています。

でも、もしかしたら全然知らない場所があるんじゃないかな。と思いました。例えば毎日更新していて、しかもいつも100以上のスキが着いている人の文章ってどんななんだろう?コンクールで賞をとった人の文章って?1000以上スキがついた漫画、フォロワーが万の桁ついているひと!この極端に自分とはかけ離れている別世界に憧れます。わあ、見出し画像が素敵だなあ。この人の文章、始まりの一行にひきこまれる!そんなふうに、違う視点からさぐってみたら、おもしろい記事がいっぱいいーっぱいでてきました!さらに、その人が「何度でも読みたいnote」とか「出会ってよかったnote」とかまとめられていたりすると、そこからまたすばらしい文章とたくさん出会うことができました。そしてスキやフォロワーさんの数関係なく心にじんわりと感動が広げる記事をたくさん読みました。

これは、「話したいことが話せる」ような喜びに似ていると感じました。
わたしはnoteに自分の想いを書くことで、もしかしたら友達や家族より心をうちあけてるかもしれません。本当は友達や家族ともこんな話がしたいのです。でも、なかなかじっくり話せるきっかけがありません。自分は幸せと不幸とどっちを話したいのかわからないし、いまそんな話をしてもいいだろうかとどこかでブレーキをかけている気がします。

知らなかったnoterさんを知って、考えたこともなかった世界や考えてみたかった世界がこんなにたくさんあって、まだまだ世界は広いんだなあってなんだか嬉しくなりました。私が日ごろ心を置いていた場所は小さな狭い部屋だったんだなあと改めて思い、そのことに驚いています。知らないことは知らなくても、知らないのだから知らないことにすら気づかないでしょう。だからなにも困りもせず後悔もしない。でも知ったら、自分がこんなこと知りたかったって気づいて、会ったこともない人なのに会いたかった人に会えたみたいな気持ちがして、元気がもらえて。
もっともっと考えてみたくなりました。日常とか感情とか未来のことを。
生きる、この世界のことを。



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