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あなたと仲良くしたい。それだけ!

私は毎日何におびえ、憂鬱になっているんだろう。

最近入院した時にそんなことを考え、
自分の今までをじっくり考えてみる機会を得た。
そうしたら
どうやら私は時間に余裕がないことが
一番不安だったらしいことに気づき、
だから、
1日の時間を立て直してみようと思い立った。

「退院したら不安なことはありますか?」
退院前、リハビリの人に聞かれた時、
まず朝の時間のバタバタが気になった。
体がうまく動かせなくて以前より「急ぐ」ということができないかもしれない。
もともと急いで急いでこなしていたから退院後は毎日遅刻の恐怖に悩まされるのではないかと心配になった。

私は朝8時から夕方5時までコンビニで働く。
通勤時間は約1時間。
遅くとも7時には家を出なくてはならない。

入院前は6時に起きていた。
それから家族の朝食と昼食の用意をして、
自分の朝食をとる。
洗濯、トイレ掃除、着替えてバタバタと家をでる。

夫は、退院後は家族のご飯用意しなくていいよ。と言ってくれた。たしかにそのことがなくなればかなりラクになるだろうし時間にも余裕がうまれる。

でも私はラクになりたいということではない気がした。夫が優しさで言ってくれていることはわかるので感謝しながらも、それは一時的な解決策であり、根本的なところで、私の望んでいることではない。
食事作りを免除してもらうことで、
むしろまた違った不安を呼び覚ますような気がする。

家族のご飯はいままで通り作りたいんだよね。
朝起きる時間をね、変えたい。
早く起きたい。

この意見は
夫にはなかなか本気で理解してもらえなかった。
私が気を遣っているのだと思ったようで
ご飯は気にしなくていいのにとばかり言う。
また、睡眠時間を削って早起きをするというのは体に負担になるのではないか、
「無理をする」ことになるのではないかと心配された。そうやって気遣ってくれるのは本当にありがたかったが、早く起きることを考えるとホッとするような心持ちがして、やはり不安の根源はここだなと思えた。

同時に気になっていた、
「この解決策には夫を巻き込まなくてはいけない」ということを夫は気づいていないように感じられて、むしろ問題はそこにあったので、
そのことにまとを絞って夫に説明しなくてはと「お願い内容」を切り替えた。


「起きる時間を変えたい」というのは
夫の協力が必要だった。

私が6時に起きていたのは
夫も6時に起きるからだった。
私はもともと5時でも4時でも起きるのはかまわなかった。問題なく起きれる。

それなのに起床時間が6時と決まっていたのは
それより前に私が起きて行動したら
うるさくて夫が寝ていられないだろうからという
暗黙の配慮があったのだ。

つまりは
私が「起きる時間を変えたい」ということは
私が早く起きることで夫の眠りを妨げないよう、
夫が今寝ているリビング近くの部屋から
私が起きたことで発生する生活音が聞こえないような場所へ、寝室を変えてもらうことが必要不可欠であった。

私が5時に起きても音が聞こえないように、
◯君がいままで通り6時まで寝れるように、
リビングに近い今の部屋から、
上の階の部屋に寝室を移動してもらえないだろうか?

夫はいろいろ保守的で変化を好まない人だ。
寝室を変えるというのは
夫にとってかなりのストレスになるのではないか。
自分の願望をかなえるために人を動かしてしまうというのは本当に申し訳ないのだけど、と詫びた。

長男が一人暮らしをはじめて、キレイになった部屋が一つ上の階に空いていたことも私に決意をうながせた。

夫はああそういうことか!というような顔で理解し、快く承諾してくれた。


はれて5時起床が始まる。
やはりこれは本当によかった。

1時間をまるまる
家族の食事作りにあてられるようになった。
気持ちに余裕があるせいか
機転をきかせることもできるようになり
以前より気の利いたものが用意できようになった。
そうなってくると朝の仕事が
「楽しくなって」くる。

いままで1時間でやっていたことが2時間とれるようになったことは
その後の1日の過ごし方にも大きく影響した。

気持ちを前倒しにできる。
先に先に予測して
その他にも気になっていたことにも意識をむける余裕がでてきた。
一つ一つ不安をつぶしていける。


私のシフトと全く同じ時間の人が二人いる。
その一人のベテランのAさんがなぜかいつも私にだけ風当たりが強く気になっていた。私の行動をまるで追いかけてチェックしているかのように私が何かをするたびに事細かにダメ出しをする。

最初は働きはじめだし仕方ないと思っていたが
ちょっと他の人と雑談していても私だけ怒られるし「それは今から私がやろうとしていたことだからやらなくていいのに!」と、言われることもあり、
しかもあきらかに私にだけ口調がキツく、なぜそんなにイライラされながら言われなくてはいけないのかと正直閉口した。

まあこんな人もいるさと思ってはきたが、
理不尽なことで不安にさせられるのは
不快でもあった。


朝バタバタだったころ、仕事場につくのはいつもギリギリで、Aさんは私より一足早く来ていて、
一人しか使えない着替えの場所がいつも塞がっている。
でも、朝の時間に余裕ができたら、
出発時間はどうにでもなり、Aさんより早く来ることが出来るようになった。
これは思っていた以上に精神衛生上快適だった。
Aさんが意味なく私に文句が言えない状況をもつくりだしたようだ。

そして気づいた。
私は、Aさんと仲良くしていきたいのだ、と。
それが本当の願いであり、
一番大きな快適なのだ、と。

私はいままで人間関係において
「まず人に好かれたい」という願望があった。
だから「あの人は私を嫌っているようだ」ということに敏感になり、そう感じるとたちまち萎縮して距離をおくことが多かった。
自分に身に覚えがない時などは
なぜ自分が嫌な思いをさせられねばならないのかと
ひそかに心の中で攻撃し疑心暗鬼に陥ることも少なくなかった。

でもそこまで考えなくてもいいのだ、と自分に言い聞かせた。

「仲良くしたい、そこで止めよう」

嫌われているかも。
私になんか好かれても嬉しくないかも。
誰からも好かれようなんて所詮無理。
合わない人もいる。
無理しないようにしよう。

そうやっていままで必ずと言っていいほど考えてきた気持ちを意識してやめてみようと思う。

あなたと仲良くなりたい、
それだけ。それだけ、なのだ。
他にはなにもない、のだ。

そうだ、本当にそうだ。と嬉しくなった。
この考え方は私を明るい気持ちにさせた。

そしてこの効果はすぐに現れ始めた。
仲良くしたいという気持ちは
相手に通じているんじゃないだろうか!と思えた。

人間はこんなにも響き合っているのか!と驚いた。

まずはお客さんの反応を感じた。
お客さんにも
「あなたと仲良くしたい」の気持ちを投げかけてみたのだ。

優しく接してくれる。
笑顔になってくれる。
ちょっとしたこころのつぶやきを話してくれたり
冗談を言って笑わせてくれる。
私のことを覚えてくれて毎回お疲れ様と言ってくれたり
うまく説明が出来た!と思った時に心からのあたたかいありがとうを言ってもらえる。

あらゆるお客さんから
「あなたを大切に思う」
という気持ちをいただいた。


そして仕事仲間との関係もどんどん良好になっていった。以前からは考えられないようなことだが、
Aさんとはダメだしどころかふざけ合うこともある仲になり私たちは声をたてて笑うようになった。

このような嬉しい反応は、私の気のせいの時もあるかもしれない。
でも私は確実に心があたたまり嬉しさでドキドキしていたことは事実だった。

まだまだ自分にはいろんな可能性があるように感じられて、ワクワクしてくるのだ。

そしてまた
人が好きになっていくのだ。



本当の自分の不安はどこにあるのか。

一瞬の幸せよりも
一生の幸せにつながることをめざして

真の声に耳をかたむけ
見えないものに目を凝らし、
不安を芯からほぐしていけるよう

これからも自分のこころに寄り添って
私の話をじっくり聞いてあげたい、と思う。







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