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銀杏を食べる

お店でぎんなんが売っているのをみつけて、以前娘から「どんな味がするの?」と聞かれたことを思い出し、話のネタにと買ってみることにしました。

子供の頃、ぎんなんが好きだったことは覚えているのですが、大人になってから家で茶わん蒸しを作る時は入れたことがなく、お店で食べた茶わん蒸しに入っていたものは特に美味しいとも思わなかったので、なぜこれがおいしいと思ったのか、自分でも不思議におもうことがありました。

当時、どうやってたべたのか、どんな味だったか、すっかり忘れてしまっていたのです。


ぎんなんで思い出されるのは

ぎんなんが落ちてくる季節になるとわりばしとビニール袋を持って拾いにいっていた小学生の頃の事。わたしにとって、ぎんなん拾いは季節のイベントでした。

文京区本郷というところに住んでいたので、近所に東京大学があり、そこにはたくさんのイチョウの木があって、かなりのぎんなんが落ちていました。


学校が終わってから、友達と東大に拾いに行ったあの日。

「ぎんなん拾ってんのか!よし!待ってろ!」という声が聞こえて、そちらをみたら、ひとりの足袋を履いたお兄さんが、すぐ横のイチョウの大木に走り寄るのがみえました。そして、その人はそのままその大木にタタタタタンタンと、登って行ったのです。

お兄さんはあっと言う間に見上げる場所に小さくみえました。

え?ええー?

もうそのはやさと軽やかさとにびっくりして、あぜんとしていたわたし。すると、


「行くぞー!」


次の瞬間、


だんだんだんざわざわバラバラボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボト

何が起きたのか、すぐには理解できませんでした。

ただたくさんの音とともに目の前にぎんなんが雨が降るかのごとく落ちてきて・・・

お兄さんは木の幹を足でリズミカルにダンダンダンダンと蹴っていました。その振動で木がゆれています。

金色に輝くものがバーっと落ちてくる!落ちてくる!

ただもうびっくりして、でもすごくわくわくしてきて。


あの光景は忘れられません。


「あ、ありがとうございます」

やはり軽やかに降りてきたお兄さんにようやっとお礼をいうと

「おうよ!」てなかんじで颯爽と去って行ったのでした。

お姿から、とび職の方だったのではないかと思うのですが、真実はわかりません。



買ってきたぎんなんは、穴の開いたビニールのパッケージにはいっていて、そのまま電子レンジへ。子供の頃、電子レンジで殻を割った覚えはありません。どんなふうにしていたのかなあ。

私はあのかたい殻を剥くとでてくる、濃い茶色と薄い茶色が半分になっている薄皮も好きでしたが、またその皮を剥くとでてくる、翡翠色とでもいうのでしょうか、なんともいえないつややかなみどりいろが大好きでした。

あの艶や色、大きさなど、浅田飴を思い出すのですが。似てなかったかなあ。


高校生の娘は「うーん、おいしいともおいしくないとも思わないなあ。まあ、一度でいいかな。くさーい。」というご感想。

「お母さんこれ好きだったんでしょ?」へんなの、といわんばかりの顔。

そうなんだよね、好きだったんだよねといいながら、私も何十年かぶりに茶碗蒸し以外のぎんなんをたべたのでした。


おいしい!


茶わん蒸しにはいっているものとは味がちがうのではないかと思いました。茶碗蒸しのぎんなんは、蒸して火がとおりすぎて味がなくなってしまうのかもしれません。



やっぱりお母さんぎんなん好きだわ。

おいしい!おいしくない?おいしいよ、おいしい!


ひとり興奮気味に次々と殻をむいて食べました。

やっぱり私ぎんなん好きだあー。


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