お母さんがいいならいいけどね。
娘が先月から留学している。
それを知ると大抵の人が私に言う。
寂しいねー。
ん?寂しいか?
自分に問いかけてみるが、ちっとも寂しくない自分を感じる。娘が家にいないということに、寂しいとか寂しくないとかの基準はもう無いというか、心配ですらなくて親としてこんなんでいいのか?と、即答する前にしばし躊躇してしまう。
じゃあどんな気持ちかというと
「身が引き締まる思い」がするというのが
正直なところなのだ。
娘とはとにかくおしゃべりがつきなかった。
顔をあわせれば会話が始まってしまうので、仕事から帰るなり私達がおしゃべりに盛り上がり出すと、夕飯が遅れそうになることを密かに心配する夫の気配を感じることもあった。
食事中も食事後も話はつきなかった。
娘の関心のある話題は世界情勢で、
私は美術や河合隼雄さんや児童文学の話。
全く別世界だが、
不思議と融合されながらますます興味深い話になっていく。面白いねえー!と2人でいつもワクワクしていた。
だけど、夜の11時や12時まで語り明かすが続くとさすがに自分の時間も欲しいと思うことがあった。
いや、でも、考えたいことを娘と語らうことで思いがけず自分の考えがまとまることがある。
発見もあった。
だから、有意義な時間なのだという認識もあった。
しかし娘がいない今、
そんな時間が無くなって寂しいかというと
それよりなにより
充実した日々を送っているであろう娘が居ない、
いまのうちに!と思っていることがある。
娘が学んでいることを理解したいし
自分のやりたいこともやりたいし
なにより娘とまた会う日までに
目指したい自分があって、
それは少し焦りでもあり、
ワクワクするような気持ちでもあり。
だから寂しいなんて気持ちはまるでないのである。
私はよく、
娘に「あなたはお母さんのメンターだよ」と言った。
娘は「えー?」と言いながら少し照れたように笑っていた。
本当に彼女のおかげで私はいろんな自分を実現できたし、思ってもみなかった世界をみさせてもらっている。
娘とこれからも話しながら
更に「知りたい」を深めたい。
私の人間を変えていきたいのだ。
でももともと努力が続かないクセとでもいうのか、
じっくり頑張るを継続できず、なさけない。
3日坊主にすらならず、昨日決心したのに、もうウトウトしていたりする。
そんな時娘は言うのだ。
「お母さんがいいならいいけどね。」
ドキリとする。
恥ずかしくなる。
娘は基本優しい。
お母さん大好きとハグしてくれる。
好きなことだけしなね。と言ってくれる。
でも、手に入れたいものがあるなら
お母さん、変わらなくちゃダメなんだよと
ハッキリと言う。
「いままでうまくいかなかった自分を
やっぱり
どうしてもこえなくちゃいけないんだよ。」
それってすごいキツイの知ってるよ。
と娘は笑った。
「でもね、あのキツイ壁こえなくちゃなんだよ。」
まったく。どっちが親なんだか。