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わたし、ポンコツなんです。50代ですが「生きやすい」を考えてみたい ❻やっぱり向き合うことになる「考えるということ」

テレフォンオペレーターの仕事をしています。
始めた頃は言葉遣いもダメダメで、電話をきるたびに上司からダメ出しばかり。覚えなくてはいけない事も山積みで、うわ!この仕事全然無理かもと毎日真っ青な気持ちで出社していました。

どうにかこうにかわかるようになってきても、人よりできるようになるまでが遅く、ミスも多いため上司からの注意も多く、精神的にも追い込まれていました。
とうとう6ヶ月目の派遣の面接で言われてしまいます。
「いまのもちもちさんの課題が超えられなかったら、次の契約までかなあ」

わたしはもうその時限界でした。
がんばっていることは理解してもらえていたかと思うのですが、なにしろわたしの能力が会社としてはまだまだで、尻をたたかねばならなかったのでしょうが、「これが出来なきゃ雇ってやらない」というニンジンに食いつく気力もなく、「はい、そしたらもういいです」という気持ちでクビ宣言を覚悟しておりました。

でも、その3か月後の面接で
「じつはあなたはお客様からの評価が高いので、続けてもらえないか」と言われ、拍子抜けしました。

たしかにお礼の電話とかをいただくことがあったり、アンケートのハガキなどにも名指して誉めていただくことがありました。また、わたしが入ってからお客様満足度が常に90%を超えているといいます。でもそれなら私だけの力ではないし、たまたまかもしれないと言うと、いやいままで90にはなかなかいかなかったんだよ。意外と難しいことなんだと言うのです。本当ならちょっと嬉しいとも思いました。

でも本当はわたしより後に入った人が、今回1人辞めるという事らしく、わたしもやめたら2人分の引き継ぎは大変です。
もともとギリギリの人数でやっているなか、少しでもベテランのわたしを残そうかとなったのでしょう。

お金をいただけるのは嬉しいのですが、やはり環境を考えたらこれ以上なにかしでかさないうちに退散してしまいたい気持ちが正直なところでした。でもだからといっていくあてもなく、わたしなんかをひきとめてくださるならと、次に入ってくる人が慣れるまでと考え、お受けしました。

でも、マニュアル人間のわたしにやがてもっと高い壁が立ち塞がります。特にクレーム対応は難しく、マニュアルどおりにはいかないことも多いのです。
いくら経験してもなかなか慣れません。いや、慣れた感じが怒らせることもあるので、それが武器になるともかぎらず、お客様がヒートアップするのには様々な原因がありました。

この仕事全般に思うのですが、特にクレーム対応には「読解力」を必要とされると感じます。
お客様も考えや気持ちがまとめられていないまま勢いで電話をかけてくることもあるので、結局一番いいたいことはなんなのか、質問しながら探っていくこともあります。
質問も、相手が怒っていたりするとどんな言葉も腹をたたせてしまうことがあります。2度も同じことを聞いたら大変なことになるのでメモをとりつつ的確な質問を選び出さなくてはなりません。
商品のことを言っているけれど、本当に言いたいのはその裏に隠された不安や寂しさだったりすることもあり、そんなことを感じる時、こういう仕事の意味を考えさせられます。

人はなにかを買う時、商品を買っているのではないという言葉もきいたことがありますが、
「こうなりたい」という期待にできるだけおこたえしなければと意識して寄り添うことでストンと解決することを経験すると、ああ、こういうことなのかなあと思うのです。

でもこの仕事でわたしはやはり「考え」が浅いなあと思うことが多く凹みます。「こうかな?」「もしかしたらこうかも?」といういろんな角度から考えるということが苦手です。あ、これは前回書いたまさに将棋の考え方ですね。将棋が苦手と書きました。将棋はすばらしい競技だと思います。棋士の方たちを心から尊敬します。憧れます。わたしはどうしてこういう考え方ができないのだろうと悔やまれます。本当にこの「いろんな角度から物を考える」能力はすごく大事だと思います。今からでも訓練したらそういう「習慣」が身に着くなら少しでもいいから習得したいです。

考えてみるとわたしは子供の頃から推理小説が嫌いでした。「犯人はおまえだ!」みたいなシーンが怖くて怖くて読めなかったのです。
そのせいだけでもないでしょうが、いま仕事において、「もしかしたらこうかも?」が1種類くらいしかでてこず、あげくにまちがっていたりするので、「それはもちもちさんの思い込みだよね」とバッサリ。ダメ出しにつながるのでした。がくん。

でも、そうです。思い込みはダメです。間違いというのはたいてい思い込みじゃないかしらと思うことがよくあります。

この仕事でも「おもいこみ」が激しくていくら説明しても納得してくださらないお客様には途方に暮れることがあります。日頃からこの調子ならご家族にも煙たがられているかも・・・それこそ「生きにくくないかな・・・」と、大きなお世話ではありますが考えてしまう事があります。

わたしはつらいとき、かなり無理やりな逆説を考えたりすることがあります。たとえば、「おもいこみ」でとにかく自分が正しいと主張する人がいたとします。その人はなにをいっても他人の意見を聞かないのです。そうなると、他人はきっともう誰もが「勝手にどうぞ」になるでしょう。
この人には言ってもしょうがないと思っているから何も言わないのに、その人は勘違いして自分が正しいから何も言われないとおもいこみ、さらにおかしな方向に自己肯定感が築かれます。

これは、なんて恐ろしい事でしょう。自分は正しいと思っているのに、だれともうまくいかないのです。だれも自分を好きではないみたいなのです。窮屈な心のまま、身近な人ともうまくいかず、本当は間違えたままだったりして、そしてそのうちだれも自分を理解してくれないという怒りを抱えて生きていくことになる気がします。

それよりも「こんな考え方もあるよ」「それはどうかと思うよ」と気軽に言ってもらえるほうがいいのかも!と考えてみることにしました。皆にダメ出しされつづけるのは凹むけど、意見や注意を言いやすい人であるほうが、自分の成長につながるにちがいない!われながら、やはりちょっと無理やりな考え方のようにも思えますが、「注意されやすい」ということをそんなふうにとらえてみるのも一つかなと考えることがあります。

でも、やはり一番は「多方面から深くものごとを考えられる人」になりたいです。こういう事を習慣にすることができればミスの多さも減らしていけるかもしれません。

わたし、好きな事を調べたりするとき、いろんな資料をさがして読んだり見たりすることは大好きなのです。少しも苦ではありません。それならそこから訓練していけるでしょうか。

また子供の話になりますが、長男は法学部、次男は理系の大学にすすみました。どちらも理論的思考が問われる学問かと考えると、わたしとは違う構造を脳に得たのだということを感じ、本当によかったと心からホッとしています。
そして彼らの幼少期を考えると、二人とも「三度の飯より大好きで夢中になる世界」をもっていたのが思い出されます。長男は鉄道の旅。次男はパズルでした。彼らの論理的思考は絶対にあの時に脳にきざまれたと思っています。
大好きな世界から知らない間に学んだのです。好きな事をしながらいいものがもらえるなんて、幸せですね!

「好きな世界」をとことんまでつきつめるのがきっと、コツです!
わたしもそんなふうに「好きな世界」にのめりこんでいきたい!

身をもって示してくれたこどもたちをリスペクトしながら母であるわたしもいまさらながら後に続きます!!




※豊川しんうんさんの作品を使わせていただきました!ありがとうございました!

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