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私たちが生きている世界を、はじめてみたものみたいに見せてくれる写真  東京都写真美術館 本城直季個展

新聞でこの個展の事を知り、この作家さんの事を知りました。

朝日新聞 4/12

たしかにバスや鳥居がミニチュアのようにみえて、なんだかかわいい。写真の技術でこうなるんだろうか。本物の写真をみてみたい!

行ってみよう!



東京都写真美術館はJR山手線恵比寿駅(東京メトロ日比谷線でもよいのですが、駅を出てから遠くてわかりづらいかもしれません)でおりて、恵比寿ガーデンプレイスの敷地内にあります。

1995年に開館。3つの展示室と映画の上映が出来るホールがあります。日本国内では唯一の写真・映像総合美術館です。
愛称はTOP MUSEUM。

恵比寿ガーデンプレイスは改装中でしたが
たくさんの人が訪れていました。

本城直季さんは1978年東京生まれで「small planet」で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ANA機内誌「翼の王国」で連載。作品はメトロポリタン美術館やヒューストン美術館にパーマネントコレクションとして収蔵されています。

この写真展は5月15日まで開催しています。


会場にはたくさんの方々が訪れていて、年齢も様々でした。写真の大きさも様々で、テーマ別にはりだされていました。


とにかく、大満足!

もうただその一言です。

面白いのです。飽きないのです。
あの新聞記事で書かれていた通りでした。
どうしてなのでしょう。

真ん中にぶら下がっている作品は
「small planet」

館内は撮影OKでした。
でも、写真をとりながら、その写真の一番良い距離というのがあるような気がして、私が写したものはちゃんと不思議になるかなあと心配になりました。ただの風景写真のようになってしまったらつまらないなあ。

だけど、写真展でこんなにわくわくした展覧会ははじめてでした。見慣れているはずのものが見たことない「絵」になっているのがときめくのでしょうか。

絵を描くのはどんな色を持ってきてもいいしデフォルメしたり見たままの構図でなくてもいいけれど、写真はそうはいきません。
あるがままのものをどこでおさまるように考えたら一番しっくりくるのか。本城さんのその絶妙さのセンスがひかります。


●small planet
●Kenya
●small garden
●kyoto
●tokyo
●LIGHT HOUSE
●scripted LasVegas
●tohoku 311
●Industry
●plastic nature
●play room
テーマ別に写真がグループになっていて展示されていました。



「small planet」の作品たちは本当にどれも愛らしく、いとおしいものばかりでした。

なんだか現実の世界にみえないのです
東京駅です。影が長いですね。
朝かな。夕方かな。どちらが東かな。
ハワイだそうです。ヤシの木の葉っぱのひかりかたが
つくりもののようでした。
おもちゃみたい!
トミカの世界!
緑に白い道。赤い車。木の形もかわいい
模型のようです




「Kenya」は不思議と本城さんの写真の良さがあまり感じられず、動物たちがいる、というただそれだけの写真のようにみえました。

flamingo
ここにいてこれをみたら
すごくすごく感動したと思うのですが。




「kyoto」はこの建築を建てた当時を思い、当時の人すごいなあと改めて感じました。

kinkakuji
だってほら水の中に入って作ったんですよね。
いまみたいな機械もないのに
これだけのものを作るなんて!




「tokyo」これが私は一番!でした。一番不思議で一番好きでした。
展望台にのぼって東京の街をみるのはいままであまり興味がなく、高いお金を払ってまでみなくてもいいなと思っていたんですけど、本城さんの写真の「tokyo」は、なんだかとても感動しました。

なかでもこれが一番良いと思いました。
そう思う人が多かったのか、
この写真の前にはいつも人がいました。
レゴで作った東京タワーみたい!
ぎっしりと建物が


頭の中ではわかっていた東京の風景ですが、面白くて飽きなくて新鮮です。わたしが見ていたのは目ではなくて頭だったのかもしれません。目で見た風景は初めてみるような風景で、感動しました。

自然がまるでないですね。
グレーばかりの建物が気持ち悪いくらいぎっしりとひしめきあっています。すごいですね、東京。

人間なんて一人もみえないけれどわたしはたしかにここにいるんだなと思いながら写真をみつめました。

これは本当の世界なんですよね?





「tohoku」の写真のある一枚にハッとしました。

Rikuzentakata、IWATE 2021

我が家の双子たちは小学生の時に同じ野球チームに所属していましたが、あの震災の後、その野球チームで震災の募金活動を何度かしたことがありました。ユニフォームを着た少年野球チームの子供たちが駅に並んで声を張り上げている姿をみて、温かい言葉をくださいながらたくさんの方が募金箱にお金を入れてくださり、思っていた以上にお金が集まりました。

資金が集まるたびに被災地に送り、何年目だったでしょうか、陸前高田市の野球チームの方から練習試合の申し込みをいただいたのです。
どうにか野球グランドができたのでこちらにきませんかといってくださいました。保護者は私と、もう一人ということで、全員の子供たちとバスに乗って行ったのでした。


バスの中ではチームの会長のセレクトでチャップリンの「キッズ」が上映されました。子供たちは最初大笑いしてみていましたがそのうちしんみりとなり私も感動しながらいい映画を観たなあという気持ちでいっぱいになったのを覚えています。

現地では被害の様子を説明してくださる方と様々な場所をまわり、大変だった箇所をたくさんみせていただきました。

「あそこまで水がきたんだよ」建物の上の方に見える線をみあげ、あんなところまで?と皆で驚きました。その時の恐ろしさを改めて想像しました。

寝泊まり出来るように改築した小学校に宿泊させていただき、まだまだ大変な時だったのに大きなホタテ貝を焼いたものなどをごちそうしてくださいました。

野球グランドはとてもすてきで立派でした。
その時の練習試合はこどもたちにとっても忘れられない良い思い出となりました。


グランドはこの写真みたいに二つ並んではいませんでしたが、この写真をみてあの時の事を思い出し、陸前高田市の野球グランドというのが本当に偶然でおどろきました。

この写真の隣りには震災のあったすぐくらいの写真も並べられていました。

Rikuzentakata、IWATE 2011

津波が根こそぎもっていった土地。

本城さんは連日報道されていた被災地の映像が頭から離れず、震災から3か月経って撮影する決心をして現地にむかわれたそうです。

「街がなくなるということが、どういうことなのか、自分の眼で確かめたかった」という思いだったそうです。


あの時一緒に野球をしたおこさんたちも、今ではもう、うちの子たちとおなじ17歳や18歳になっているんですね






粉砂糖をふりかけたお菓子みたい
棒でぎゅーって掘ったわけじゃない。
この道を作るの大変だったろうな
ラスベガスにある、ある場所なのだそうです。
水じゃないみたいな水。
本物じゃないみたいな家。


「近年メタバースといった仮想現実への関心が高まり、これまで以上に現実とバーチャルの境界線がおぼろげになっている。テーマパーク化が進む都市部は非現実的な雰囲気を醸し出し、都市に住むことはますます仮想現実の空間にいるようである。そしてそれは、人の脳内に作られた世界、整然と設計された模型の世界のようにも感じられる。」


本城さんの文章の中に「メタバース」という言葉が出てきました。

18歳になる我が家の娘が最近この話題をなにかにつけて話すので、よく耳にはしていたのですが、聞けば聞くほどわからなくなるところもあり、しっかり議論できるほどには理解していません。

でも米IT大手のフェイスブックが社名を「メタ」に変更するなど、メタバース分野に注力するという発表もあり、確実にこのキーワードの存在はますます大きくなってくることでしょう。

VRが登場した時、ずっと昔ディズニーランドで乗ったキャプテンEOという乗り物を思い出しました。マイケルジャクソンが主役の物語になっていて、宇宙船に乗る時、トラブルが起こり…というような内容だったかと思うのですが、高いところから落ちるシーン等が怖くて、目をつぶってしまったのですが、その時ただ椅子がガタガタ動いているだけでちっとも怖くなくなり、え?ただ見ているだけでこんなにも「体感」できるの?怖かったのは映像のせいだったんだ!ということにすごく驚いたんです。

だからVRはまさにあれだ!と思いました。

キャプテンEOでは、「これは現実ではないんだ」と頭ではわかっていても映像の世界の方がどうしても勝つのだということを体験しました。だからVRで見る世界が本当みたいになってしまうであろう感覚はすごく理解できます。とても面白いと思うのですが、その可能性とはうらはらにリスクも山積みと専門家は警鐘をならしているようです。
暴力や性的動画が映るような空間に簡単にいけるといわれると、なるほどと思わせられます。


しかし、現実世界を「これは本当か?」と思うなんていったいどういうことなのでしょう。


今回本城さんの作品を見て「おもちゃみたい」と思ったり「ここにわたしはいるんだなあ」と改めて考える場面がありました。
「現実ではないみたい」な感覚を知らず知らず感じることに「新しさ」を感じたということが、すでにメタバースの世界の体感を楽しんでいるということなのでしょうか。



芸術作品としての写真でもあり、
現代社会のこれからをなにか暗示した作品でもある。

やはり優れた作品というのは、強いメッセージを私たちに提示してくれるものなのですね。

そしてまた、
アートにはそういう力があるのだと
改めて考えさせられました。







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