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入院日記19日目心のよろいをはずしたい。

え!もう、すぐに働くの?

リハビリを毎回担当してくれる女の子の1人Rさんが
心配そうに私の顔をのぞきこんだ。

あれ?(わ。驚かれた!ダメって言われるか?)
…ん、そのつもりです。
だってもうこのクラクラが完全に消えるまでなんていつになることやら。
だからもう日常に突入して早く慣れようかなって思って。大丈夫、です。うん、その方がいい。
最後はちょっと自分に言い聞かせるようにうなずきながら一緒に歩いた。

うん、まあ日常に戻るのが一番のリハビリなんだけどね。歩き方もだいぶいいし、大丈夫…かな。
でもね、日常にもどると結構違うからね!
できればねすぐじゃない方がいいかなって思うけど…
でも退院は金曜日?よかったですね!
今日はじゃあおうちに帰ってからの練習しましょうか。布団から起き上がるとか階段の登り降りもやりましょう。

今日は病室を離れて、リハビリセンターで行った。
ここまでやってくれるのかと驚いたのは、
レジ業務のシュミレーション。
それぞれ患者さんの復帰する仕事にあわせて指導してくれるのだそうだ。

私も時々ふと思い出しては仕事の勘がすぐに戻るかなと不安になっていた。でも気になっていたのは支払いの手順とかボタンの位置を間違えないかとかどちらかといえば機械の操作にあったので、いつものようにやってみてくださいといわれながら、これは不安解消にはならないかなと思っていた。

でもいざやってみると手元近くのすぐ下周辺が見えにくいというか、以前より少し自分の視界が遠くを中心にしていることに気づく。
手元を自然に見ることが少し困難になっているのだ。
だからカゴからカゴに商品を移す時にカゴにぶつけやすく、商品を倒したり落としたりしそうになり慌てた。
これ現場で初めて気づいたら焦ったなと思う。
もう以前みたいには早くはできないかも。
間違えるよりはゆっくりを意識してやろうと思った。

家では、ベッドではなく布団ですと前に伝えてあったので、その時の動作を再現すべく
地べたにマットをひいてそこから起き上がる練習も。
想像していたようにできたけど、病院でのベッドのありがたみを感じる。

さて階段。
これが意外にも全然思っていたのと違っていた。

うわ。足が重〜い!
思わず違和感を口にする。
そうなんですよー。入院で結構体力落ちるんです。
階段は片足になるし、
皆さんやはり階段で疲労を感じやすいですねー。

そうなんだー。
約3週間たしかにほとんど歩かないような毎日だったけど、こんなに影響するとはなあ!!

この足のダルさは、初めての感覚ですー。
私が驚きながらアレコレ伝えるとRさんは横でうんうんとうなずいていた。

そうか、階段。
これは自分のシュミレーションに入れてなかったなあと思った。この感覚だと「急ぐ」のは無理だ。
すぐに朝の出勤時間を思う。
退院後すぐに働きに出ることにはじめて不安を覚えた。

過信している訳ではなかったが
自分の体力の急激な衰えは少々ショックだった。
子どもの運動会の保護者競技で
思いがけず前に足が出なくて転ぶお父さんの絵が思い浮かぶ。笑えない。あんなことになったら大変だ。
仕事の復帰宣言少し早すぎたかなあ…

退院後二日目から働こうとしていることへの不安が
むくむくと頭をもたげはじめた。


また、よろいを着けていたんだろうか、と思う。
良い人に見られるようにと
私が無意識のうちに着けてしまう「心のよろい」だ。

はやく復帰して役にたたなくては。
嫌われたくない、迷惑だと思われたくない。
いつもいつも私はコレにふりまわされているなあと感じる。なんでこんなに顔色をうかがってしまうんだろう。

ただ自信がないから?それもある。
でも、そこからの延長線で
私は自分を堕とすことで安心しているところもないか?そう考えたら、なんだかとてもしっくりくる。

自分の弱さを理解してもらおうと自分を堕とし、
とっさに自分を守っているのだ。
謙遜でもなく謙虚でもない。
それは必死ですらある。
でも本当に必死にならなければいけないのは
そこではない。

自分をいたずらに卑下することをやめるために
少しでも自分の能力を向上させる方向を
必死に考えるべきなのだ。
しかし、その努力はしても無駄だと最初からどこかあきらめている自分がいる。
あきらめているだけならまだいい。
勝手にしろって話だ。

私の心のよろいはそうではなかった。
私の自己防御は「守る」なんて程度の
かわいいものではなかった。
相手にまでそれを求めている。
「守れ」と、強く相手に承認をつきつけている。

私の能力がないことを認めた上で私を守ってもらうことを補償してもらおうとしている。
能力が無いことで私を責めないでくれと懇願している。懇願どころではない。
向上する努力をはなからあきらめている私をしかたがないと優しく受け入れなくてはいけないと言い切る。

私の心のよろいは
かぎりなく自分勝手に暴走していくのだ。

でも私は今回ようやくきづいたのだ。
この考え方は
同時に自らのすべてを停滞させていることを。
自分の能力はもちろんのこと、

守ってももらえず
結局は嫌われていく

ここからぬけださないかぎりは
心のよろいをはずさなければ
自分の欲望はかなえられない。

安心はいつまでたっても手に入らない。

今の私は、自分から望んでいる世界を拒んでいるのだ。
なりたい自分を遠ざけているのだ。

なにがそんなに不安なのだろうか。

そうだ、
このいくらでもおしよせてくる不安はなんなのだ。

どうしたら
持続的で確かな安心は得られるのだろうか。




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