見出し画像

15歳の君に叱られても

目眩がするほど忙しい!息継ぎの無い日々だ。

短めの文章を勢い良く書いていきます。

先日、母校のそばに行く機会があった。
ちょうど枝垂れ桜の季節である。最寄駅から校舎に向かう道を歩けば恐らく懐かしさで胸がいっぱいになるだろうなという予感はあったが、改札を抜けた時点でもう"エモ"に押し潰されそうになった。

幾度となく抜けた改札、これから帰りますの連絡をするために毎日使っていた緑色の公衆電話、壁に描かれた色褪せて剥がれかけた鳥の絵。この20年ほどで改修される駅も多い中、母校への最寄駅は驚くほど当時のままだった。

地上に上がって桜の樹の植えられた道を歩く。かつて毎日歩いた道に、足が勝手に動いた。

校舎までの道に、急な坂がある。
かつてここを登っていた頃、華の女子高生だった私はいつもぶすくれた顔をしていた。中高と通った学校は淑やかさを重視する校風でそれ自体悪くはなかったが、私の性格には合っていなかった。

高校生くらいの人間が全員そう思うように、私は私自身の能力が正当に評価されていないように感じていた。毎日怒りで火の玉みたいになりながら、急な坂道の斜面を一歩一歩踏み締めて通学した。桜の咲く季節も紅葉が美しい季節も、坂を登る思い出の中の私は常に顰めっ面である。

ちょうど今は卒業式の季節だ。高校3年の卒業式が終わった後、学年全員で集まって最後の思い出に合唱をしようと同級生の誰かが言い出した時、私は聞こえないフリをしてさっさと家路についた。2度とこんな場所に来るもんかと思った。私は清々しい気持ちで勢い良く坂を下って行った。

35歳になった私が久し振りに登る坂は、ただただ懐かしかった。美しい石畳の、両側に桜の樹の植えられた気持ちの良い坂道である。

坂を登り切ると、校舎が見えてくる。古ぼけた校舎と聖堂を眺め、中に入りたいと思ったが、高い門の前で警備員が目を光らせていたので中に入るのは止した。

あんなに怒り、2度と来るもんかと思っていた校舎に入りたいと思う日が来るなんて、当時の私が知ったらどんな顔をするだろうか。

今の私の胸の中では、怒りよりも懐かしさが勝った。あの頃の怒りの記憶が私の中から消えたわけではない。一歩一歩踏み締めて坂を登っていたあの頃の私を、私は昨日のことのように思い出す。

それなのに、坂を登る今の私感じたのは、"あの頃もまあ、悪くはなかったな"という郷愁にも似た感情だった。怒りで火の玉みたいになっていたのもまた青春だったなあなどと思い出に対する再定義が行われ、あの頃確かに感じていた怒りが勝手に良い感じの思い出に塗り替えられてしまった。

15歳の私が知ったら怒り狂うだろうな。"誰も私のことを分かってくれない!"という怒りを後生大事に抱えて、あれは15歳の私が縋れる唯一のアイデンティティだった。それもまた青春だね笑などと安易な解釈をされたなら、15歳の私はそいつを絶対に許さなかっただろう。

15歳の私が感じた怒りは本当のまま、35歳の私はそれを懐かしく甘い思い出として眺めることができる。あんなに全身で怒っていたのに、それすら20年も経つとこんなふうに思い出という名の箱に綺麗にしまわれてしまう。

35歳の私は坂を登りながら、"これからもなんとか生きていけるかもしれない"と思った。どんな怒りも悲しみも永続せず、時間と共にその形を変えるなら、それは希望と呼べるだろう。

Big Love…