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嘘と欺瞞の年末年始

木曜日だ!更新だ!
4歳児が冬休みに入り、更新のための時間がほぼ取れないため変則的な時間にアップするぞ。ここ数日、仕事と家事と子どもの相手しかしていない…。あとは文鳥の吸引と読書とポケモンのランクマッチ、匿名ラジオトークイベントのオーディオコメンタリーを聴いたり…意外と色々やってるな…。ただ、仕事以外の時間はほぼ常に4歳児と一緒にいるので行動範囲がかなり狭くなっている。職場との行き来を除けば基本的に自宅から半径1km以内で生活しているな。極めて小規模な生活。

クリスマスが終わって街が完全に年末ムードに入った。26日の世間の雰囲気の変わり身の早さ、何度経験しても面白い。昨日まででっかいクリスマスツリーがあったところに正月飾りが鎮座し、チキンやケーキがあったところに佃煮や紅白の蒲鉾が置かれていたりする。”クリスマス…?なんのことですか?今のトレンドは正月だが…”みたいなスンとした佇まいに毎回ウケてしまう。

街もいつもよりなんとなく静かな感じがする。空気が冷たくて空が高くて青い。地方に帰省する人が増えて地元から人が減っているせいなのかもしれないし、年末が好きな私の心が見せる幻覚なのかもしれないが、いずれにせよ私は12月26日から31日の空気感が好きである。

昨日は近所のよく行く肉屋に行き納めをした。単に夕食のための買い物をしに行っただけなのだが、年末は普段のなんということもない習慣にも”納め”の意味づけが加わって、それなりに有意義な感じになる。

肉屋にはサシの入った肉がたくさん並んでいて景気が良かった。普段は買わない贅沢なものを買うことが許されている雰囲気も私は好きだ。しかも、26日から31日は全然本番じゃないというところが良い。本番は正月なのだ。31日まではあくまで助走期間だから、街の雰囲気もなんとなく抑制が効いていて良い。正月になると初売りとか新年のめでたさとかで街がワァッと華やぐが、そういう新年の雰囲気にはちょっと気後れしてしまう。私は助走期間の方が好き。ずっと26日から31日が続けば良いのに。

15歳くらいの思春期を拗らせていた頃、新年の0時を自分だけの特別な時間にしたくて年越しの瞬間は自室にこもって好きなアーティストの曲を聴いていたことを突然思い出した。ウワーッ恥ずかしい!陰気な拗らせオタクだ…。

そういうふうに1年のある瞬間を本当に特別に感じて、自分なりの装飾を施そうとしていたのって何歳くらいまでだったかな…。今は正月もクリスマスも、かりそめの輝きはその日が過ぎれば消えると知ってしまっている。はしゃいで見せても常にどこか寂しい。

引用すべき元ツイートを見失ってしまったのだけれど、人間が季節の行事を設定して楽しむのは、長すぎる人生の平坦さに耐えられないから、というようなツイートを数日前にタイムラインで見た。その通りだと思う。

行事といえば、我が家のクリスマスも無事に終わった。4歳児はたまに外がまだ暗い午前5時とかに起きてリビングで黙々と遊び始めることがあるので戦々恐々としていたのだが、クリスマスの朝は常識的な時間に起きてくれたので助かった。ビーズのセットがサンタさんから贈られてきたが、今のところかなり長時間集中して遊んでくれているのでかなり良い買い物だった。

子どもにはサンタを信じさせてはいるが、正直なところ、サンタがプレゼントを持ってきてくれるという嘘をついてまで子どもを喜ばせなければいけない意味はよく分からない。世界は基本的に欺瞞に満ちていて残酷なんだよということを親が責任を持って教えるためだとしたら、サンタの存在は結構重い。

生まれてきてからしばらくは、この世界は生きるに値する楽しいところだよと、嘘も交えて演出するのが親の役目だと思っている。役目が終わったら書き割りを壊してネタバラシをしなければならないわけで、サンタが嘘だよと教えるのもその一つなんだろうか。

今日の更新が2022年最後の更新となります。正確にはメンバーシップ向けの更新はあと1回あるんですが、全体公開はこれが最後ですね。1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。来年は1回くらい音声での日記を公開してみても良いかなと思っています。

更新を始めた頃は更新時刻の24時間前には下書きが完成していないと落ち着かなかったのに、今や更新時刻の1時間前に1文字も書かれていなくても全く動揺しなくなってしまった。画面に向かいさえすれば、書かねばならないという状況さえ作れば、何かは書けるという自信がついたのは、この1年定期的に更新し続け、また、皆さんが読んでくださったおかげだと思います。自分一人では辿り着けなかった場所にいる。皆様、良いお年をお迎えください。

Big Love…