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子どもに嘘をつける世界を

先週の更新の準備をしている最中に戦争が始まった。先週のnoteを読んでもらえれば分かるが、戦争と全く無関係な内容で、こんなことを書いている場合か?と思いながらも木曜日絶対更新の誓いは破れず、泣く泣く更新を済ませた(こんなご時世にも関わらず先週のnoteを読んでくださった方々、本当にありがとうございます)。

それから1週間が経過して、プーチン大統領が核のボタンを押すかもしれず、それでも変わらぬ日常が今のところ私が住む日本では続いている。

Twitterで、幼い子供2人を抱えながらウクライナの首都キエフのシェルターに避難している日本人のアカウントを見つけた。最初に見た時はフォロワーが100人くらいしかいなかったのに、瞬く間に数万人に増えた。爆撃が行われる首都のシェルターで、どんなに不安だろうか。日本中が彼女を見守っている。

今回の戦争が始まって、ロシアやウクライナ情勢について少しでも知るために関連書籍を読み始めた。戦争はつい先週、急に火蓋が切って落とされたように(愚かにも)認識していたのだが、全くそんなことはなかった。クリミア半島やドネツィク州、もうずっと前から戦争の火種は燻っていて、今回ロシアがとうとう侵略を始めたのだと、私は事が起こるまで全く知らずにいた。


3歳の娘がいる身で、戦争が起きたらどうしようという想像をこの1週間何度も繰り返した。戦火の中、シェルターに逃れて、爆発音がする中で外にも出られなくなって、その時私は娘に何を語るのか。極限の状況に置かれたとして、今何が起きているのかを3歳の娘に語る難しさに取り憑かれ、ひどく不安になった。

平和な日本で娘を育てた3年間、私は娘に幾度となく嘘をついてきた。

戦争が始まってから、進撃の巨人を初めて1巻から通しで読んだ。作中で何度も語られることがある。強い者が弱い者を喰らう理のあるこの世は本質的に残酷だということだ。それは全くその通りで、力を行使して侵略行為を行う者に対して、対話を試みるのは無意味だ。誰だって、殴りかかってくる人を言葉で説得しようとしたりなんかしない。

娘にとっては親である私と夫、優しい保育園の先生、無垢な同年代のお友達だけが世界である。誰も娘を傷つけようとしない。善意は必ず報いられ、悪意は決して許されない。世界はそういう場所なんだよ、だからあなたも他人に優しくしてあげなさいと教えるのが、3歳の娘の親としての役目だと思っている。

でも、ある日突然侵略行為が始まり、生活の全てを投げ打ってシェルターに逃げ込まなければならなくなったらどうすれば良いのだろう。爆発音が響き、食べるものも限られ、大人たちは皆一様に怯えて暗い表情をしている。知りたがりの3歳児は、間違いなく、何が起きているのと私に問うだろう。あなたが生まれてきたこの世界は、人と人とが殺し合う、そういう場所なんだよと、私は教えられる自信がない。

辛くも命が助かっても、シェルターの外に出て見る景色は戦争が始まる前とは全く変わってしまっている。歩き慣れた道は破壊されて陥没し、建物は骨組みしか残らず、友人が知らぬ間に命を落としている。そしてそれらは全て敵国の人間がやったことで、少なくとも向こう数十年は彼らに対して向けざるを得ないであろう激しい憎しみを、子どもにどう伝えれば良いのだろうか。

どうして人は殺し合うのか、殺し合いに至るまでに何が起きたのか、そして私や娘はどうして今まで殺し合いに直接加担せずに済んだのか。本来であれば順を追って説明していく必要がある。しかし、3歳の娘にとっては意味が分からないだろう。分かって欲しくもない。

園から帰ってきた娘が遊ぶリビングで、私は7時のニュースを見ていた。爆発が起き、黒煙が上がり、めちゃくちゃになった家の前で抱き合って泣く人たちが映っていた。娘は遊ぶ手を止めて、これはなあに?と私に聞いた。
遠い国でね、大変なことが起きているんだよ。泣いている人たちはね、大きな火事で家が燃えてしまったんだ。そんなふうに私が説明する間、娘は映像の中で燃える火の激しさに少し怯えたような顔をしていた。
ねえ、消防車くる?と娘は私にきく。消防車来たら大丈夫になるよね、消防車が助けてくれるもんね。保育園で消防車に乗せてもらったばかりの娘の言葉を聞きながら、私はそうだね、と答える。消防車が来ても決して助かることのない絶望的な状況を画面越しに眺めながら。

誰にとっても戦争は残酷なものだと思う。でも、幼い子どもにとってはとりわけ残酷さが際立つ。現地にいる親たちの心境を思うと心が痛む。大人が子どもに優しい嘘をつける世界であって欲しい。幼い子どもが世界の残酷さを目の当たりにするようなこの状況が、一刻も早く終わることを願っている。

Big Love…