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見知らぬあなたがそこで待ってる

暑さに全ての気力を奪われている。

どうもこんばんは、火曜日のnote更新です。

数日前に、他人(A氏とする)のnoteで”物語を好んで摂取するのは、人生というものを神の視点から眺めることで、雑味を取り除いて人生の全てを愛せるからかもしれない”みたいな文章を読んだ。

この文章には確かに共感できる部分が多い。私は他人と関わるのがそもそも苦手な人間だから友人が少ない。本を読んだり映画を観たりして、作品を通して眺める人生は美しいのに、どうして半径数メートル以内の人間と関わるのはこんなに難しいんだろう。

単純に、私は私自身がどう思われるかを気にし過ぎているのだろう。格好悪くありたくないとか、この人と関わると自分の悪い面が出そうで嫌だとか、そういうことばかり考えてしまって、他人と関わるのを躊躇している。物語の鑑賞ではそういうことは起こり得ない。紙やスクリーンの中の人生と私の人生はこちら側からの一方通行で、彼ら彼女らが私に対して何らかの感情を抱くことは決してない。

でも、幼少期の私が本を読み始めたのはそういう理由だけではなかったはずだ。傷つきたくないからという理由、ただそれだけで私は本を読んでいたわけでは決してなかった。

私が人生に関して抱いた疑問に対して、私と全く関係ない人間からのメッセージを受け取りたくて、私は本を読んでいたはずだ。私が最も物語を必要としていた時代、つまり小学生から高校生くらいの頃、何かについて悩んでいたとしても、相談できる相手は近くにいる人間だけだった。親が代表例で、他には弟、祖父母、学校の友人や先生。せいぜいそれくらいしか相談相手はいなかった。

彼ら彼女らなら、私が抱いた疑問に対してそこそこ優しい答えを用意してくれたはずだ。でも、それじゃあ意味がなかった。私は私のことなんてどうでもいい人間からしか、答えを受け取りたくなかった。

私のことなんてどうでもいいはずの人間が、私が抱いた切実な疑問に対して適切な答えを本の中に用意して待っている。本を読んでいると時折そういう奇跡が起きた。そのことに深い感銘を受けて、私は本のことが好きになったのだった。

今日は暑さでばてているから短めでもいいか?

勉強に関する近況を最後に書いておきます。ヨーロッパの国々は白地図を埋める作業を無事に終え、今はアジアの国々の位置を覚えようとしている。カスピ海周辺の国々がなかなか難しい。

白地図埋めと並行して世界遺産検定3級のテキストも読んでいる。4級から始めたけれど内容が薄めだったから、3級から勉強を始めても良かったかな…という気もする。まあ、下の級の内容を踏まえているからそう思うだけで、いきなり3級から読もうとすると全く理解できなかったのかもしれない。

1年後くらいに2級の試験を受けられないかな〜?と思っているが、どうなることやら。最近は夕飯の後に世界遺産関連のテキストを読んでいるから、明らかに飲酒量が減って、良い傾向だな…と思っています。このまま休肝日を作りたいな…休肝日、聞きなれない響きだから…。もう数年は作っていないんじゃないか?

今日の更新はここまで!また木曜日にお会いしましょう。皆さんも夏バテには気をつけてください。

Big Love…