天敵彼女 (12)
それから話は一気に進んだ。
まるで、予め俺抜きでおおよその打ち合わせが済んでいたかのような手際の良さだった。
俺は、少し複雑な心境だったが、そもそも俺に決定権のある部分が少ない為、ただ見守ることにした。
「ここには、いつ頃引っ越されますか?」
「なるべく早くと思っていますが、ご迷惑じゃないかしら?」
「迷惑なんて思わないでください。丁度あいている家がありますから」
「すみません。よろしくお願いします」
父さんが滅茶苦茶頼りになる人に見えた。俺は、驚きを隠せなかった。
ちなみに、空いている家について説明すると、本来我が家は二世帯住宅だという事だ。
この家は、父さんの両親、つまり俺の祖父母が将来父さん夫婦と一緒に住む為に建ててくれたそうだが、父さんが大学生の時、祖父母は不慮の事故で他界。それ以来、祖父母の家は空き家になっていた。
今でも祖父母の家財道具が若干残っているが、定期的に掃除もしており、住むのには問題ない。
確かに、奏母娘のマンションをストーカーに知られている以上、一時的にせよ身柄を隠すのは良い対策だと思った。
受け入れ態勢を整えるために、若干の手間はかかりそうだが、俺はそういう事なら今すぐにでも祖父母宅の掃除を始めようと思った。
この時点で、奏母娘の受け入れは問題なく決まった。
次に、父さんは鞄からパンフレットの束を取り出し、机の上に並べ始めた。どうやらホームセキュリティの案内のようだった。
もうそんな事まで手配していたのかと驚く俺をよそに、父さんはどんどん話を進めていった。
「これは気休め程度かもしれませんが、一応両方の家で契約するつもりです」
「そんな悪いわ」
「いいんですよ。何かあってからでは遅いですから」
「本当にすみません」
「いえいえ」
恐縮しきりの八木崎のおばさん。奏は、伏し目がちにパンフレットに目を通していた。
完全に一人取り残されていた俺に、父さんが久しぶりに話しかけてきた。
「そうだ、峻。ひとまず、今週末に工事に来てくれるそうだから立ち合い頼む」
「う、うん」
ただ、頷くだけの俺。また、俺抜きの話が始まった。
「八木崎さんは、工事の事は気にせず、準備ができ次第引っ越して頂いて構いません。一応、鍵を渡しておきます。あと、これは確認ですが、本宅の荷物はどうされますか? ストーカーに尾行されて、ここを知られる危険性が
あるかもしれませんし」
「そうですね。荷物はそのままにしておきます。今の仮住まいに引っ越す時も、当面の着替えを持って出た感じでしたし、足取りをつかまれないようにするのが最優先でしたから。問題は、家具類ですが、必要なものはこちらで買いそろえるつもりです」
「わかりました。一応、ストーカーの件は地元の警察には連絡済みですので、パトロールの回数を増やす等の対応はしていただけるそうです。今持っている非常通報装置はそのまま使えるそうです」
「何から何まですみません」
「おじさま、本当にありがとうございます」
「気にしないでください。私も峻もあなたたちにはどれだけ助けられたか」
俺は、気が付けば一人ポツンとしていた。
それくらい何も出来る事がなかった。
目の前にものすごい手際の良さで物事を進めている大人がいる。何と、ここに来るのは二度目の引っ越しにあたるそうだ。
ストーカー対策とは言え、奏も八木崎のおばさんも目が回るような日々だったに違いない。
そんな二人に手助けをするには、同じかそれ以上のスピード感が求められる。
父さんは、間違いなく奏母娘の役に立っている。それは、俺が知っているどこかぼんやりした優しい父さんとは違う。
今、目の前にいるのは、紛れもなく俺の知らない父さんだった。
いつ覚醒したんだと思う程の別人感がすごかった。
父さんは、いつの間にか奏達の相談を受け、引っ越しの提案をし、さらにストーカー対策の為にホームセキュリティの契約と工事日程の調整、地元警察との折衝を一気に済ませていた。
その間、奏の転校手続きも終わらせているのだから、八木崎のおばさんも含めてどんだけだよと思った。
「じゃあ、これから家を見に行きましょう」
父さんが立ち上がった。
俺達は、父さん達の後ろについていく形で祖父母の家に入った。
その時、俺は重要なことを忘れていることに気付いた。
「あっ、ちょっと待……」
俺の制止の声は、仕事人モードになった父さんには届かなかった。
無情にも開け放たれたドア。
部屋の中には、一番目立つ場所にサンドバッグスタンド。傍らに置かれたオープンフィンガーグローブが痛々しさを倍加し、止めとばかりにダンベルセットが壁際の棚に鎮座していた。
その他にも、トレーニング系のグッズが地味にスペースを占拠しているが、問題はそんな事ではない。
何より俺のメンタルを削ったのは、あるDVDのパッケージだ。
俺は、この部屋でトレーニングをする際、とある格闘技の教則ビデオを見ることにしていた。
それは、特殊な事情で教室に通えなくなった為の苦肉の策なのだが、それがまさかこんな事になるなんて……。
いつの間にか室内に入っていた奏は、迷うことなく問題のDVDを拾い上げた。
パッケージには、どう考えても軍人にしか見えない教官が写っており、大きく「素手で勝て!」との文言があった。
「うわあああああ、こここれは」
盛大に焦り出す俺。
父さんは、そんな息子を残し、八木崎のおばさんと他の部屋を見に行ってしまった。
ストーカー対策の重要度に比べて、この部屋の痛さなど物の数ではないと言わんばかりの態度だった。
そっとしておいてくれてありがとう。後は、自分の不始末を自分で処理すればいいだけだ。
そう自分に言い聞かせる俺の背後で、DVD片手に微笑む人影。
奏は、あくまで冷静に俺の恥部をえぐった。
「クラヴ・マガ? へぇ、最強の護身術なんだ」
奏のジト目。冷静に目の前の惨状を分析している感じが、地味に堪えた。
「そういえば、習い事に行っているって言ってたよね? もしかしたらこれ?」
「う、うん」
うなだれる俺の目の前で、教則ビデオの解説を熟読する奏。しばらく考えた後で、ぽつりと呟いた。
「私の事、これで守ってくれるって事ね。ありがとう」
もう奏の顔は見れなかった。
俺は、無言で頷いた。
全身の力が抜けていく感じがした。
これで、この部屋はこのままにしておけなくなった。俺は、俺のメンタルを守る為、速やかにこの痛部屋を片付けることにした。
俺はしばらく考えた後、ずっと空き部屋になっている旧毒母部屋にでも運び込もうと思った。
正直、足を踏み入れたい場所ではないが、この際仕方がない。
俺は、色々と話しかけてくる奏に生返事を返しつつ、密かに今後の計画を練ったのだった。
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