見出し画像

天敵彼女 (75)

 正直、何を食べたのか良く分からない感じだった。父さんの買ってきた弁当は、見た事もない地元スーパーの総菜コーナーのものだった。

 奏は、父さんと会話しながら、楽し気に食事をしていた。俺は、まだ少しモヤモヤしたものを抱えながらも、なるべく平静を装っていた。

 結局、俺は少し弁当を残してしまった。この後、何をするかを考えていると、俺は背後に気配を感じ、思わず振り返った。

「ねぇねぇ、かまど、かまどだよ!」

 俺には、一瞬何のことだか分からなかったが、奏に腕を引っ張られ、連れていかれた先にあるものを見て全てを理解した。

 どうやら、奏はかまどでご飯を炊きたいらしい。

 俺は、思わず父さんの姿を探した。既に、目の色が変わっている奏に、羽釜で米を炊くのは電気炊飯器のようにはいかない事を理解してもらわなければならない。

 このままでは、奏の圧に押し切られ、いつ食べるとも知れない米を炊く羽目になる。

 さすがに、昼ご飯を食べたばかりで、保温の効かないご飯を大量に抱えるのはまずい。

 俺は、何とか奏をなだめようとした。

「ご飯食べたばかりだよ?」

「うん、分かってる」

「もう少し後でもいいんじゃないの? 夕ご飯の前とかで……」

「それはそうなんだけど……いきなり沢山の量を炊くと失敗した時が怖いでしょ?」

「うーん、それってまずお試しで炊くって事?」

「うん! まずは一合とかで炊いて、それでうまくいったら、本番って感じにしようかと思うんだけど……」

「ちょっと待ってね。父さんに聞いてくるよ」

 俺は、ひとまず父さんを呼びに行った。

 うちの羽釜は確か二升位まで炊けるようになっていたはず。多分、五合くらいは炊かないと却って火加減が難しくなってしまい、失敗しやすくなるはずだ。

 後で縁さんが合流するとはいえ、少食な俺達に五合は多過ぎる。

 俺は、弁当の後片付けをしていた父さんに、事情を説明した。

「分かった。じゃあ、準備をしておくから、奏ちゃんと一緒にご飯を炊きなさい」

「でも、早過ぎない? 縁さん達そんなに早く来るの?」

「ああ、もう二時間位で来ると思う」

「そうなんだ。じゃあ、早すぎる事もないんだね……分かった。ここ俺がやっとくから奏にかまどの説明、お願いしていい?」

「いいけど、私は説明しかできないから、炊くのは峻が来てからでいいか?」

「いいよ。すぐここ片付けちゃうからよろしく」

「分かった」

 それから、俺は急いでゴミを分別し、コップを洗った。ゴミ袋は、帰る時に車に詰め込めばいいので、それまでは玄関先に放置しておけばいい。

 それより、今は奏を何とかしないと……俺は、奏達に合流する為、土間に向かった。

「おう、丁度良かった。一緒に車に来てくれないか?」

「いいけど、どうして?」

「来れば分かる。奏ちゃんも、一緒に来なさい」

「はいっ!」

 父さんの向こうに、期待に目を輝かせた奏がいる。

 この感じは、既に説得不可能だ。もう俺にはどうする事も出来そうにない。とにかく、羽釜でご飯を炊いて、奏に美味しく頂いてもらうしかない。

 そう言えば、薪とか米はどうするんだろうと思っていると、父さんがキーレスしてからトランクを開けた。

「わぁっ!」

 すごく嬉しそうな奏。ドヤ顔の父さんが指差す先には、どこで譲ってもらったのか分からないが、米や薪だけでなく乾燥した小枝や枯れ葉もあった。

 これで遅くなったのか? 俺は、父さんらしいと思いながら、荷物を運ぶのを手伝った。

 もう奏のテンションはMax……俺は、間違ってたら訂正してもらうよう父さんに頼むと、即席のかまど講座を始めた。

「じゃあ、まず羽釜を洗うんだけど、スポンジだけで洗剤は使わないでね」

「どうして?」

「鉄製品は洗剤で洗わない方がいいんだって。水とスポンジで洗って、ふきんで水気をふき取るだけでいいみたいだよ」

「そうなんだ」

「それが済んだら米を砥いで、一時間位水に浸そう。それが済んだら、いよいよかまどを火にかけるよ」

「やったぁ!」

 それからの一時間が死ぬ程長かったのは言うまでもない。俺は、なるべく奏の気を逸らすために、囲炉裏で鍋をしたり、炉端焼きをする準備をする事にした。

 その際、役に立ったのは父さんが冷蔵庫に詰め込んでくれていた食材だった。

 俺は、考え事モードになっていた為、全く気付かなかったが、父さんは弁当以外にも夕食の材料になりそうなものを買ってきてくれていたらしい。

 これなら一時間はあっという間に過ぎると思われたが、すぐにでもかまど前に戻りたい奏の家事スキルが炸裂した。

「あとやることは?」

「えー、うーん……もうない」

「じゃあ、かまど見に行こう! 行くよね?」

「は、はい」

 それからの俺は、何とかして羽釜の蓋を開けようとする奏をなだめ続ける事になった。

 途中で何度もちょっと中身を見る位良いんじゃないかと思いそうになったが、俺は何とか最後まで奏から羽釜を守り切ったのだった。

「ねぇ、どうして開けちゃいけないの?」

「一度セットしたら蓋を開けない方が美味しく炊けるからだよ」

「そうなの? ちょっと見るくらい変わらないよ」

「そうかもしれないけど、一応昔から言われてるんだよ……じゃあ、こうしよう。今回は蓋を開けないで炊く。次回は、蓋を開けても良い事にする。それで、食べ比べしよう」

「それ面白そうだね……分かった。今回は開けない事にするよ」

 ようやく納得した奏は、米の浸水時間が終わる頃には、徐々に他の事にも興味を示し始めた。

 とにかく、奏を落ち着かせなければと思った。俺は、薪をどう組めばいいかをしつこいくらい丁寧に説明する事にした。

 その間も、奏は時々羽釜をチラ見していたが、説明した通りに薪を並べてみてと言うとようやく奏は羽釜を見なくなった。

 その頃には、当初の予定を若干過ぎていたようだが、誤差の範囲だと思う事にした。

「じゃあ、火を付けるよ」

 俺は、奏にマッチを手渡した。緊張した面持ちの奏がかまどからはみ出した新聞紙に火を付けた。

「後は、薪に火が付くまで待って、後は火吹き竹で……」

 そこまで言うと、奏がものすごい勢いで振り返った。

「これが火吹き……一度やってみたかったの。やったぁ!」

 奏が嬉しそうで本当に良かった……俺は、気が付けば毒母やアノ人物の事をすっかり忘れていた。

 後は、沸騰するまで待ち、薪を抜いて火を弱めるのだが、予想よりも早く蓋の間から湯気が立ち込め始めた。

 どうやら奏が火吹き竹を使いまくった事で思ったよりも火力が強くなったようだ。

「父さん、いい?」

 俺は、父さんを呼んだ。ここからは俺一人だと失敗しそうだったからだ。

 父さんは、最初は俺達の後ろで様子を見守ってくれていたが、途中から部屋に上がる段差に腰かけていたようだ。

「おお、初めてにしては上出来だね」

 父さんがかまどを覗き込みながら言った。奏は、すぐにかまどの前を空けたが、火吹き竹は握ったままだった。

「峻の教え方が上手だったんですよ」

「それは良かった」

「はいっ!」

 嬉しそうな奏。少し頬が煤けていた。父さんは、火ばさみで薪を何本か抜き取ると、二つ並んだ隣のかまどに放り込んだ。

「これで十五分くらい待ちなさい。峻、後は分かるな?」

「う、うん……」

 今日何度目になるか分からないドヤ顔の父さんにお礼を言うと、俺は折り畳みの椅子をかまどの前に二つ並べた。

「座ろうか?」

「うんっ!」

 奏は本当に嬉しそうだった。相変わらず火吹き竹を握ったままだが、火ばさみにも興味があるようだった。

「これで薪をつかむんだね?」

「そう。十五分くらいが目安だけど、少しでも焦げ臭くなったらすぐ火を落とすから。その時はよろしくね」

「分かった」

 それから俺達は、米が炊けるのを待ちながら、とりとめのない話をした。気が付けば、父さんはいなかった。

 どこに行ったんだろうと思っていると、誰かが俺の肩をつついた。

「これ、使いなさい」

「えっ? うん、ありがとう」

 俺は、父さんが持って来てくれたウェットティッシュを奏に渡すと、頬を指差した。

「えっ? 何かついてる?」

「うん、黒くなってるよ」

「嘘、早く言ってよ」

「ごめんね。夢中になってたから言い出しにくくて……」

「そっかぁ……」

 俺と奏は顔を見合わせて笑った。こんな時間がいつまでも続けばいいと、俺は思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?