ヒント 病院のマーケティングはこれから始まる!

高齢化社会における社会保障財源が問題視されるなか、医療はその中心的な話題のひとつとして取り上げられる。そのテーマは"医療費の伸びをいかに抑制するのか"その一点であるといっても過言ではなかろう。

病床数が多すぎる。高額医療機器が多すぎる。高額薬品を使いすぎる。原価管理の基本に忠実といっていいほどに、数量の規制と単価の引き下げという手法がとられている。病院経営者は気づいているかもしれないが、国は国民に対する医療サービスの提供者の論理を用いており、医療機関はその系列仕入先といったところである。一定の保険料を徴収して、それに見合ったサービスを提供する。そのために医療機関のラインナップを工夫しなければならないというわけだ。
これまでは店の棚のいたるところに高級品をならべていたが、それを続けていたのでは赤字がひろがる。高級品を一か所に集め、なおかつ店舗によって品揃えをかえれば売上と費用のバランスが取れるかもしれない。現代の医療制度改革というのは、きっとこんな感じなのだろう。

さて、そのような状況にあって、現実のサービス提供者である医療機関はどのように考え、どのように振る舞えばよいのだろう。従前のパラダイムにあって、"皆保険制度の枠組みのなかでしか医療機関は生きて行けない。"という固定観念に縛られていないだろうか。だから、診療報酬の動向が、即、経営方針の原材料となるわけだし、病床数の試算も疑うことなく受け入れることになる。挙句、自らのアイデンティティも近隣病院のアイデンティティも考えない、単純な合併・統合論を唱える経営者まで現れるほどだ。すべては従前からのパラダイムの呪縛である。

混合診療を提唱するある学者の論理はこうだ。公的保険は強制保険である。だから、被保険者には病気になったときにその保険を利用する権利がある。それに加えて、自分が良いと思う治療方法を医療機関に要請する権利がある。そして、その治療方法が公的保険によってカバーされていない場合には、その分を自費で払えばよい。保険で認められていない治療法が僅かに入っただけで、すべての診療が保険から外されるという混合診療の禁止は被保険者の権利を侵害する、というわけだ。
彼の主張には一理あるように感じるが、そのあまりにも利己的な権利論には同調しかねる。皆保険の理念は"いつでも、どこでも、だれでも、一定水準の医療を受けられる。"ことにある。一定水準を踏み台にして、それ以上の医療を金ずくで上乗せするというのは公平性の原則や互助の精神を毀損するおそれがあると思うのである。お金のある人は保険料をいくら払ったなどというケチなことをいわず、潔く自由診療の道を選択すればよいと思う。

これは制度への"ただ乗り"というより、制度の"便利使い"である。公的医療保険制度において、"ただ乗り"は許されないが、"便利使い"も許されるべきではないだろう。となると、彼らに選択肢を用意することで、彼らの公的保険に対する不満や医療に対するニーズを汲み取ることを考えることに意味はありそうだ。つまり、自由診療という選択肢についてである。

自由診療は保険診療よりも市場原理が働く領域である。したがって、マーケティングによる市場創造が欠かせない。これもまた、古いパラダイムの通用しない世界である。従前のマーケティングは単なる患者の受療動向調査に過ぎない。シズルと購買力を有する市場を特定し、そこにサービス提案をしてこそ新たな展開が見出せると考えるのが市場創造のマーケティングである。平たくいうと、人間ドックやペット検診よりもさらに商売っ気を出さねばならないだろうし、そのためには、医の倫理もしばらくわきに置くくらいの覚悟が求められるかもしれない。市場原理の世界で、医を商売道具とするということだ。保険診療とは別の世界で事業展開を図るということなのである。

そして、その際に中心的なテーマとなるのは、いかにして市場を創造するかだ。
つまりは顧客を獲得できるか、と、その顧客をつなぎとめることができるか、に事業の成否はかかってくる。顧客を獲得するには相応の新たなサービスを提案する必要があるだろうし、しかも、それは保険診療の延長線上にあるようでは訴求力に乏しいと思われる。顧客が驚くような何かを提案しなければならないのである。そして、それが顧客層に定着するような仕組みも構築しなければならない。そのような取り組みは、新たなる医療文化の創造であるといえる。

きっと、"そんなことできっこない!"とか"バカげた空想だ!"との否定的・批判的な意見はあるだろう。筆者もその一人である。しかし、こんな空想が実現しないという確証などない。皆保険以前、わが国の医療提供体制はどうであったか?アメリカの医療から何を参考にするか?医療財源はどこに求めるのか?などなど視野を広げて考えて行くと、閉塞感のあるわが国の医療において、まだまだ開拓すべき原野は残されているように思えてくるのである。
あとは、フロンティア精神に満ちた事業家の出現を待つばかりなのかもしれない。そこにあるのは"創造的破壊"でも"破壊的創造"でもない。"新たな市場創造"であり"パラダイム・シフト"という極めて健全な経営活動なのである。

そのようなことを考えていると、'医療はいちど崩壊すればいい!'と言ったある経済人の意見も、あながち暴論ではないように思えてくるから不思議だ。

谷田一久の医療経営学
2016年9月13日

医療経営学の視点から、病院経営の抱える問題について、解決策を考える上でのヒントになれば幸いです。