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受け取ってもらえない愛はどこへゆくのか
あなたは今恋愛をしていますか?恋人がいるか、もしくは片思いをしているか。人間にとって恋愛は切り離すことのできないもの。でも、恋愛を自分の人生においてどのくらい重要視するかは人それぞれ。今回は愛について考えてみようと思う。
狂うしいほどに好き
最近話題になったニュース。
23日、東京・新宿のマンションで知人男性の腹を刺したなどとして現行犯逮捕された女が「好きで好きで仕方がなかった」などと供述していることが分かりました。
このニュースを見たとき、好きすぎて殺めてしまう事が本当にあるんだ…と不謹慎ながらにもちょっと感心してしまった。そして、この事件を見てまず考えた事が受けってもらえない愛はどうすれば良いのだろうかということ。
好きな人を自分のモノにするには殺してしまう?生かす?でもこれらはどちらにせよ愛自体は受け取ってもらえないで終わる。自分の中で勝手に生まれてきた愛は操る事ができない。想い人に受け取ってもらえない愛はどうしようもできない?どこに吐き捨てる?愛って捨てられるもん?受け取ってもらえなかった愛はそのままほっとかれて枯れてしまうだけなの?
一方的な愛はどうにも残酷に思える。狂うしいほどに愛を向けても振り向いてもらえないことはどんなに苦しいのだろうか。自分に見返りがなくても何かをまっすぐに愛せる人は本当に強い。愛って苦しむ為にあるの?相互愛でない愛は何のために存在するの?愛にだって需要と供給は必要なのではないのか。例えば、恋人はお互いに愛を注いでいる。成り立っている。アイドルとファン。こちらも一見ファンの一方的な愛に見えるがその分元気や生きる上での活力を与えてもらっている。成り立っている。猫と飼い主。飼い主はひたすらに愛を注ぎ、癒しをもらっている。成り立っている。じゃあ、受け取ってもらえない愛は?
そもそも愛って何?
愛と恋の組み合わせは凶器
大好きだった人のことが急に嫌いになる事ってある。誰もが経験したことがあるのではないだろうか。それは人に限らない。簡単に言えば、元々猫が好きだったのにある日野良猫に噛まれてトラウマになり嫌いになってしまった。こういうエピソードをよく聞く。過激なもので例えれば、恋人に振られてしまい、許せなくて殺してしまう人。愛→憎しみに簡単に変換されてしまうのは何故なのか。それは結局のところ自分への見返りが欲しかっただけなのではないか。愛を注ぎたいのではなく、愛が欲しいのだ。よく考えてみて欲しい。基本的に、自分が嫌いな人には嫌われている。ちゃんと嫌いが成り立っている。だが、そこに恋が混ざってくると話は別だ。
基本的に愛はお互いに成り立っているものである。しかし盲目的な恋が混ざると厄介になる。恋というものには独占欲が付き物。つまり、愛の対象を自分のモノにしようと必死になる。そうなると愛は凶器になり、自分も愛の対象も傷つけ始める。これも愛の一つの形なのかもしれないが。
無償の愛
愛の中でも、見返りがなくても無条件に愛を持ってしまうものがある。それは家族である。人間は家族という概念にかなり囚われている。小さい子が親に虐待され、酷い言葉を投げつけられても必死についていこうとするのは無償の愛が働いているからである。例外ももちろんあるが、家族に対してどんなにムカついてもそこで縁が切れる事はあまりない。友達だったら簡単に切り離せるものも家族であると何かで繋ぎとめられているような感覚がある。好きとか嫌いとかではなく、何かが。
愛を繋ぎ止めるもの
愛って何で繋ぎとめられているんだろうか。情?恋人という概念?夫婦という法的な縛り?家族という自分ではどうしようもできない縛り?それともちゃんと“愛”という概念があるの?
ここまで長々と愛について考えて思った事。愛ってきっと優しさでできている。愛にはその人の優しさがにじみ出ている。それに見返りを求めちゃうと急に凶器になってしまうのだ。愛しているからって全て許されるわけではない。愛は相手に投げる前に自分で受け止めよう。そして、愛を伝える術を探そう。それはきっと強い武器になる。まずは自分を愛せるようになろう。何もかもうまくいかなくなったら、愛の対象を全部自分に向けてしまえばいい。
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