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カール・マルクス 著『資本論 』第一巻 第七篇 第二十一章、第二十ニ章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第一巻 第七篇 第二十一章、第二十ニ章に目次をつけたものを再掲載します。


第一巻 資本の生産過程

第七篇 資本の蓄積過程

蓄積 の 第一 の 条件 は、資本家がその商品を売り、かくして得た貨幣の大部分を、資本に再転化することをすでに終了している、ということである。

以下においては、資本はその流通過程を正常な仕方で通過することが前提される。

剰余価値を生産する資本家、すなわち不払労働を直接に労働者から汲みだして、商品に固定させる資本家は、この剰余価値の最初の取得者であるが、決してその最終の所有者ではない。

彼は、のちにこれを、社会的生産の全体において他の諸機能を果たす資本家や地主などと分配せねばならない。したがって、剰余価値は、種々の部分に分かれる。

この各片が種々の範疇の人々の手に帰属して、利潤、利子、商業利潤、地代等のような種々の、相互に独立した形態を受取る。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1636). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. 

資本家 的 生産者 が、 剰余価値 の いかなる割合を自分自身のために確保するか、または他人に譲り渡すかにはかかわりなく、彼はつねに剰余価値を第一番に取得する。

したがって、われわれの蓄積の説明で想定されることは、蓄積の現実の進行においても、前提にされているのである。剰余価値の分割と流通の媒介運動とは、蓄積過程の単純な基本形態を不明瞭にする。

したがって、蓄積過程を純粋に分析するには、その機構の内的活動を蔽うすべての現象を、しばらくは度外視することが必要である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1656). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. 

第二十一章 単純再生産

生産過程 は、 その 社会的 形態 の 如何 を問わず、連続的でなければならない。すなわち周期的にたえずあらたに、同じいくつかの段階を通過せねばならない。

社会は、消費することをやめることができないと同様に、生産することをやめることもできない。それゆえに、あらゆる社会的生産過程は、不断の繋がりとその更新を絶えざる流れとしてこれを見るならば、同時にまた再生産過程である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1663). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. 

初め には 単に 出発点 に すぎ なかったものが、過程の単なる継続、すなわち単純再生産を介して、資本主義的生産の固有の結果として、たえず新たに生産され、永久化される。

一方では生産過程が、たえず素材的富を資本に、資本家のための価値増殖手段と享楽手段に、転化する。

他方では、この過程からは、たえず労働者が、そこに入ったままの姿で出てくるーーー彼は、富の人的源泉ではあるが、この富を自己にために実現するには、あらゆる手段を奪われている。

彼が過程に入る前に、彼自身の労働は彼自身から疎外され、資本家に領有され、資本に合体されているので、それは過程の続行中、たえず他人の生産物に対象化される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1792). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. 

労働者 自身 は、 たえず 客体 的な富を、資本として、彼にとって外的な、彼を支配し搾取する力として、生産し、また資本家も同様にたえず労働力を、主体的な、それ自身の対象化手段、実現手段から分離された、抽象的な、労働者の単なる肉身のうちに存在する富の源泉として、簡単にいえば、労働者を賃金労働者として、生産する。

この労働者の不断の再生産または永遠化が、資本主義的生産の不可欠の条件なのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1801). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. 

第二十二章 剰余価値の資本への転化

第一節 拡大された規模における資本主義的過程。商品生産の所有法則の資本主義的領有法則への転換

前 には、 いかに し て 資本 から 剰余価値が生ずるかを考察せねばならなかったのであるが、いまやわれわれは、いかにして剰余価値から資本が生ずるかを考察せねばならない。

資本としての剰余価値の充用、または剰余価値の資本への再転化を、資本の蓄積という。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2111). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 価値 は、 最初 は貨幣形態で前貸しされた。これに反して、剰余価値は、初めから総生産物の一定部分の価値として存在する。総生産物が売られ貨幣に転化されれば、資本価値は再びその最初の形態を獲得するが、しかし、剰余価値はその最初の存在様式を変える。

しかし、この瞬間からは、資本価値も剰余価値もともに貨幣額であって、それらの資本への再転化は、全く同じ仕方で行われる。

資本家は、そのいずれをも商品の購入に支出し、これらの商品は、彼が新たに彼の製品の製造を、しかも今度は拡大された規模で、開始することを可能にする。しかし、これらの商品を買うためには、彼はそれらが市場にあるのを見出されねばならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2135). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

蓄積 する ため には、剰余生産物の一部分を、資本に転化せねばならない。しかし、奇跡でも現れないかぎりは、資本に転化することのできるものは、労働過程で使用されうる物すなわち生産手段と、そのほかには、労働者が生活しうる物すなわち生活手段とのみである。

したがって、年間剰余労働の一部分は、前貸資本の補填に必要だった定量を超えた追加的生産手段と生活手段の生産に、充当されたのでなければならない。

一言でいえば、剰余価値は、剰余生産物ーーーその価値が剰余価値であるーーーが、すでに新たな資本の物的構成部分を含むがゆえにのみ、資本に転化されうるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2153). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働者階級 は、 その 今年 の 剰余労働によって、来年追加労働を使用するであろう資本をつくり出したのである。これが、資本によって資本を産み出す、と言われることなのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2208). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

いまや 所有 は、 資本家 の側では、他人の不払労働またはその生産物を取得する権利として、労働者の側では生産物を取得することの不可能として現われる。所有と労働との分離が、外観的には両者の同一性から出発した法則の必然的な帰結となるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2246). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働 賃金 に 前貸し さ れ た 価値 額が、生産物においてただ単に再び現われるのみではなく、剰余価値だけ増加して現われるとすれば、それは売り手をごまかすことに起因するのではなく、売り手は確かにその商品を受取るのであって、ただ買い手がこの商品を消費することのみ起因するのである。

交換の法則は、相互に譲渡され合う商品の交換価値にとってのみ、同等性を要求する。そのうえに、この法則は、これらの商品の使用価値の不等を初めから要求するのであって、取引の完了後に初めて開始されるこれらの消費とは、絶対に何の関係もないのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2272). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

しかし 生産 の 流れ において は、 一般に最初に前貸しされたすべての資本は、直接に蓄積された資本に比すれば、すなわち、現在は蓄積した人の手において機能しつつあるか他の人に手において機能しつつあるかを問わず、資本に再転化された剰余価値または剰余生産物に比すれば、極微の大きさとなる。

ゆえに、経済学は、一般に資本を「再び剰余価値の生産に充用される蓄積された富」(転化された剰余価値、または収入)であると説き、あるいはまた資本家を「剰余価値の所有者」であると説明する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2350). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二節 拡大された規模における再生産にかんする経済学の謬見

不生産的 労働者 では なく 生産的 労働者 による 剰余 生産 物 の 消費 を、蓄積過程の特徴的要因として強調するかぎりでは、古典派経済学は正しい。しかし、その誤りもまたここから始まる。

アダム・スミスは、蓄積を単に生産的労働者による剰余生産物の消費として説明すること、あるいは、剰余価値の資本化を単に剰余価値の労働力への転換として説明することを流行させた。

たとえば、リカードに聴こう、「一国の生産物がすべて消費されるということは理解されねばならない。しかし、それが他の価値を再生産する人々によって消費されるか、または他の価値を再生産しない人々によって消費されるかにしたがって、人の考えうる最大の差異が生ずる。

収入が蓄積されて資本に加えられるというばあいに、われわれが意味するところは、資本に加えられると称される収入部分が、不生産的労働者によってではなく生産的労働者によって消費されることである。資本が非消費によって増加される、と考えるより甚だしい誤りはない」。(中略)

この見解にしたがえば、資本に転化されるすべての剰余価値が可変資本になることであろう。

そうではなく、最初に前貸しされた価値と同様に、剰余価値は不変資本と可変資本とに、生産手段と労働力とに分割されるのである。

労働力は、可変資本が生産過程の内部で存在する形態である。この過程においては、労働力そのものは、資本家によって蓄積される。

労働力はその機能ーーー労働ーーーによって、生産手段を消費する。それと同時に、労働力の購入に支払われた貨幣は、生活手段に転化され、この生活手段は「生産的労働」によってではなく「生産的労働者」によって消費される。

アダム・スミスは、根本的に間違った分析によって、各個別資本は不変的構成部分と可変的構成部分に分割されるが、社会的資本は可変資本のみに解消される、すなわち労働賃金の支払いのみに支出される、という不条理な結論の到達する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2406). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

純 生産 物 中 の 資本 に 転化 さ れる 部分はすべて労働者に転化される部分はすべて労働者階級によって消費される、というアダム・スミスの命題を、資本家階級のために利用することに経済学はぬかりのなかったことは言うまでもない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2461-2462). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三節 剰余価値の資本と収入とへの分割。節欲説

剰余価値 の 一部分 は、 資本家 によって収入として消費され、他の一部分は、資本として充用される、すなわち蓄積される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2468). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

剰余価値 量 が与えられているばあいには、この両部分の一方が小さければ小さいほど、他方は大きいであろう。すべて他の事情を不変のものと仮定すれば、この分割の行われる比率が、蓄積の大きさを規定する。

しかし、この分割を行うものは、剰余価値の所有者、資本家である。したがって、それは彼の意志行為である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2477). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

競争 は 資本家 に、 彼 の 資本 を 維持するために、たえずそれを拡大することを強制し、そして資本家は、ただ累積的蓄積によってのみ、それを拡大しうるのである。

したがって、彼の行為行動が、彼において意志と意識とを賦与された資本の機能にすぎないかぎり、彼自身の私的消費は、彼にとって、彼の資本蓄積から盗みとることになる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2493). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本家 の 胸 を、 享楽 衝動 と 致 富 衝動 との葛藤から解放してやるために、今世紀の20年代の初めにマルサスは、現実に生産に従事する資本家には蓄積の仕事を、その他の剰余価値分配参加者、すなわち土地貴族、国家や教会の受禄者等には、浪費の仕事を割当てるという一つの分業を擁護した。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2589). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

インド 人民 の 最大 部分 は 自営 農民 で ある から、彼らの生産物、彼らの労働手段と生活手段も、決して、「他人の収入から蓄積された、したがって先行する蓄積過程を通過した原本の形態では」存在しない。

他方、イギリスの支配が旧制度を解体させることのもっとも少なかった諸地方における非農業労働者は、農村剰余生産物の一部分を貢租または地代として取入れる貴人によって、直接に使用される。

この生産物の一部は、貴人たちによって現物形態のまま消費され、他の一部は、彼らのために労働者によって奢侈手段およびその他の消費手段に転化され、その残りが、自分の労働用具の所有者なる労働者の賃金を形成する。

このばあいには、生産および拡大された規模における再生産が、かの奇異な聖者の、かの悲しき姿の騎士の、「禁欲する」資本家の、一切の介在なくして進行するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2715). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四節 資本と収入とへの剰余価値の分割比率から独立して蓄積の大きさを規定する諸事情。労働力の搾取度ーーー労働の生産力ーーー充用される資本と消費される資本との差額の増大ーーー前貸資本の大きさ

剰余価値 が 資本 と収入とに分かたれたれる比率を与えられたものとして前提すれば、蓄積される資本の大きさは、明らかに剰余価値の絶対的大きさによって定まる。

80%が資本化され20%が消費されるものと仮定すれば、総剰余価値が3000ポンドだったかによって、蓄積される資本は、2400ポンドとなるであろう。したがって、蓄積の大きさの規定においては、剰余価値量を規定するすべての事情がともに作用する。エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2749). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

剰余価値 率 は、まず第一に労働力の搾取度に依存することが想起される。経済学は、この役割を重視するのあまり、往々にして、労働の生産力の増大による蓄積の促進を、労働者の増大によるその促進と同一視している。

剰余価値の生産にかんする諸篇においては、労働賃金は、少なくとも労働力の価値に等しい、ということがつねに想定された。

しかし、実際の運動においては、この価値以下への労働賃金の強圧的引下げがあまりにも重要な役割を演じているので、われわれは、しばしばこれに拘わらざるをえない。事実上この引下げは、ある限界内では、労働者の必要消費原本を、資本の蓄積原本に転化するものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2756). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一般的 に 結論 すれ ば、 資本 は、富の二つの原形成者である労働力と土地とを自己に合体することによって、一つの膨張力を獲得し、この膨張力によって、外観上は資本自体の大いさによって置かれた限界を超えて、すなわち、資本が具体的に存在するすでに生産された生産手段の価値と量とによって置かれた限界を超えて、自己の蓄積の諸要素を拡大するのである。

資本の蓄積における、さらに一つの重要な要因は、社会的労働の生産性の程度である。

労働の生産力が増大すれば、一定の価値が表示される、したがってまた与えられた大きさの剰余価値が表示される生産物量が増大する。

剰余価値率が不変であれば、またそれが低下しても、労働の生産力増大するよりも緩慢にしか低下しないかぎりは、剰余生産物の量が増加する。

ゆえに、所得と追加資本とへの剰余生産物の分割が不変であれば、蓄積原本の減少なくして、資本家の消費は増加しうる。

蓄積原本の比率的大いさは、消費原本を犠牲にしてさえも増大しうるが、しかも同時に商品の低廉化が以前と同じかまたはより多くの享楽手段を資本家の処分に供する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2925). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働力 の 搾取 度 が 与え られ て いる ば あいには、剰余価値の量は、同時に搾取される労働者の数によって規定され、またこの労働者数は、種々に異なる割合をもってではあるが、資本の大きさに対応する。

したがって、資本が継続的蓄積を介して増大すればするほど、消費原本と蓄積原本とに分かたれる価値観も、それだけ多く増加する。

ゆえに資本家は、より贅沢に生活しながら、同時により多く「節欲する」ことができる。そして結局、前貸しされる資本の量の増大とともに、生産の規模が拡張されればされるほど、生産のすべてのバネが、ますます精力的に働くのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3061). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第五節 いわゆる労働基金

労働 基金 の 資本主義 的 限度 をその社会的な自然限度に作りかえることが、いかに愚かな同義反復に至らしめるかは、ことにフォーセット教授の示すところであろう。

彼は言う、「一国の流動資本は、その国の労働基金である。ゆえに、各労働者の受取るへ近貨幣賃金を計算するためには、われわれは、単にこの資本を労働者人口数で割りさえすればよい」。

いいかれば、われわれはまず現実に支払われる個別労働賃金を、一つの額に合計し、次に、この合計が神と自然とによって定められた「労働基金」の価値総額をなすと主張する。

最後に、われわれは、かくして得られた総額を労働者の人数で割り、さらにまたもや、各個の労働者に平均どれだけが割当てられうるかを発見する。

これは法外にずるいやり方である。しかし、それはフォーセット氏が同じ調子で、次のように語ることを妨げない。

「イギリスで年々蓄積される富の全体は、二つの部分に分かたれる。一つの部分は、イギリスでわれわれ自身の産業を維持するために使用される。

他の部分は諸外国に輸出される。・・・・われわれの産業で充用される部分は、年々この国で蓄積される富のうちの、大きな部分をなすものではない」。したがって、イギリスの労働者から無等価で横領されて年々増加する剰余生産物の大半は、イギリスにおいてではなく、諸外国において資本化される。

しかし、かくして輸出される追加資本とともの、神とベンサムとによって発明された「労働基金」もまた、輸出されるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3146). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

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