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白井聡著『 今を生きる思想 マルクス』読書感想文 

1990年代にソ連が崩壊したので、今さら、マルクスの『資本論』は、古いのではという、意見に対して、白井氏は、次のように答えている。

「確かに、ソ連はマルクス主義を掲げて、革命を起こして共産国家を樹立したのであるが、そもそもマルクスは革命を起こすところまでは言っているが、具体的に、どのように共産国家を運営していくのかということについては、どこにも書かれていないのであるから、マルクスの理論の妥当性について問うのは、関係のないことである。」

ではマルクスは何を、行ったのかといえば、資本主義のメカニズムの分析を行ったということである。

現在、アメリカ、スイス、ドイツの銀行が破綻騒ぎとなっていて、資本主義の危機が叫ばれているが、これまでも、リーマンショックなどがあり、何度か、資本主義の危機があった。

そうしたなかで、資本主義を徹底的に分析をしたマルクス理論が、繰り返し呼び出されている。

それはなぜだろうか。

それはマルクスが真本主義の時代を人類史のなかの一時代として捉えていたから、つまり、やがて過ぎ去るものとしてみていたという人類史的な視点のためではないだろうか。

マルクスの概念のなかで包摂は、現代社会を考察するうえで、最も強力なツールであると、白井氏は考えている。

マルクスがいう包摂は、社会学などで使われる包摂と、ニュアンスがまったく異なる。

社会学では社会的包摂などという言い回しで使われ、肯定的な意味合いとなる。

マルクスの概念の包摂は、何かを包み込み、徐々に圧迫し、ついには窒息させる、つまり、真綿で首を絞めるという状態のことを言っている。

白井氏によると、資本論が明らかにした重要なポイントは下記のようになる。

①資本の他者性
人間にとって「他なるのもの」、人間の都合に本質的な次元でいっさい配慮しない独自のロジックを持つもの。

②価値増殖の無限運動
何やらわけのわからない、掴みどころない何かが、際限なく増え続ける運動であり、資本主義社会とはそのような不気味な何かによって覆われ、埋め尽くされてゆく社会。

③包摂
究極的にはわれわれの全存在が、また自然の全体が、この 得体 の 知れ ない 何 か によって 包み込ま れ、 それ が 増殖 する ため の 手段 にさ れ て しまう、 という こと では ない のか。

「包摂」の概念としてマルクスは次のように提示している。

相対的剰余価値 の 生産 は、 特殊 資本主義 的 生産様式 を 前提 と し、 この 生産様式 は、 その 方法、 手段、 条件そのもの とともに、 最初 は 資本 の もと への 労働 の 形式的 包摂 の 基礎 の 上 に、 自然発生 的 に 発生 し て、 次第に 育成される。資本のもとへの労働の形式的包摂に代わって、実質的包摂が現われる。

『資本論』 岩波文庫第三冊11~12頁

最初は、単に雇われているのであるから、「形式的包摂」にすぎないが、仕事が慣れてきて、利益を今より上げようと思うと、効率よく工夫して生産性を上げる必要があり、このときには「実質的包摂」の段階に進まなければならない。

19世紀の資本主義は、超長時間労働と最低弦限の賃金によって労働者を過酷搾取することで剰余価値を生み出す方式を取ってきた。

この方式では、国内でのパイが少なくなり、市場の拡大を求めて、対外膨張政策、すなわち帝国主義政策を要請することになり、20世紀の前半に二つの大戦争を勃発させるに至った。

この反省から、第二次世界大戦争後には、アメリカではフォーディズム政策を採用することになった。

フォーディズム政策とは、フォードという会社が、労働者の賃金を増やして、自社の車を購入してもらえるだけの購買力を高めるという政策だった。

フォーディズムでは、富、幸福などを求めたような雰囲気はあったが、それが行き詰まった。その後に、新自由主義時代となってからはまったく、そうした雰囲気は消滅した。

フォーディズムが終焉しても、なお自分は自由で進歩的であるかのように錯覚する心性が蔓延している。そのとき包摂されているのは、人間の精神、つまり心の中である。

そうした包摂は、どのような形で表れているかの具体例として、東京 ディズニーランド( オリエンタルランド 社)で発生した事件を取り上げている。

2022年 3月 に 判決 が 出 た( 千葉 地裁) 東京 ディズニーランド( オリエンタルランド 社) で 起き た パワハラ 事件( 同社 は 控訴) では、 原告 は 上司から 労災 認定 を 取り止め られ た だけで なく、 同僚 たち から「 三 〇 歳 以上 の ババ ァ はいら ねー ん だ よ、 辞め ちまえ」「 病気 なのか、 それなら死ん じまえ」 といった 悪口 を 浴びせ られ た と いう。

白井聡. 今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義

2013年に、東京 ディズニーランドでこの女性は、派遣社員として働いていたが、客からケガをさせられたので、労災適用を上司に要請したが、受け入れるどころか、パワハラを受けたので裁判所に訴えたという経緯であった。

本来なら、誰の身にも起こりうることなので、同僚たちも同情するところだが、同情するどころか、罵倒するという行為にまで至っている。しかも、夢も花もあるキラキラしたディズニーランドでの出来事だから、一遍に興ざめしてしまう。

資本家から見れば、これら同僚たちは最良の労働者ということだろう。

マルクス=エンゲルスの「万国の労働者よ、団結せよ」は、不可能なメッセージではあった。なぜなら、資本家同士も争っているように、労働者も商品であるから、使ってもらうためには、他者は敵であり、仲間意識、一致団結は資本のもとでは基本的にありえないからである。

感想
マルクスの壮大な理論を、わずか126頁に、おさめるという荒業に、よくぞ取りくんだと思います。それだけに、ポイントを絞り込んでいて、とても分かりやすく書かれていた。「包摂」という概念については、以前の著書『武器としての「資本論」』でも描かれていて、社会学的な「包摂」と随分違うことに戸惑いましたが、今回は、東京 ディズニーランドの例が加わっていたためか、スムーズに入ってきました。




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