『真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話』   佐々木閑と大栗博司

佐々木:この「空」の重要性を強調しようとすると、その結果として釈迦の知恵を低く見ざるをえません。「空」は釈迦の教えより上位にあります。
ですから大乗仏教は、釈迦の知恵を体系化した「アビダルマ」を否定しました。

佐々木:釈迦の仏教は、世界を支配する法則を発見することで自分を救うものです。それに対して大乗仏教は、自分が救われるために適切な世界を自己構築するものになりました。科学との接点ということからすれば、やはり釈迦の仏教のほうに親近感があると言えるでしょう。


佐々木:生きることは本質的にすべて苦しみであって、楽しみはその上に浮かぶ儚い泡のようなもの。その生きる辛さを自分の知恵で解消しろと釈迦は言うわけです。


佐々木:大栗先生のお話でも、時間と空間が絶対的なものではなくなるなど、誰もが常識だと思っていた概念が覆されてきたことがよく分かりました。ところが多くの人々は、そういう科学の驚異的な発展とは無縁に、従来の常識に従った暮らしをしています。これが私にはおもしろい。科学は世界の真実を語っているのに、私たちはその科学を自分のこととして親身には受け入れないという、不思議な現象があるわけです。

 一方の宗教は、その逆だと思います。自分のこととして受け入れねばいけない現実が先にある。「死」であれ「病」であれ、いま持っているものを失わなければならぬという現実です。これは、のほほんと暮らしている日常世界に突如として現れる世界の崩壊なんですね。その崩壊現象から自分の精神を守るために、新しい世界観を求める、それが宗教です。

【呟き:2年以上前からコロナ禍に襲われ、今後も、いつ終わるかも分からないという状況に全世界が追い込まれていて、まさに世界が崩壊しつつあるように感じる。のほほんとした暮らしは崩され、精神状態も崩されていく現象から逃れるためには、これを機に、持続可能性のある新しい世界観を求めることが必要となる。もはや、コロナ禍以前の世界には戻れない。】


佐々木:科学の世界観は正しいかどうかが問題ですが、宗教のつくる世界観は、客観的真実であるかどうかよりも、自分の精神の支えになるかどうかが優先されるのです。


大栗:私は科学者なので、あらかじめ「これが正しい」「あれは間違っている」と教条的に信じることはありません。ではどう考えるかと言うと、私はいわゆる「ベイジアン」で、ベイズ推定で信頼度を測ります。
 ベイズ推定というのは、もともとは確率や統計の理論ですが、新しい経験をすることによって、確率の評価をどんどんアップデートしていくという考え方です。「経験に学ぶ」ということを、数学的に表現したのがベイズ推定です。


大栗:ところで、私たちは本書の冒頭で、科学と仏教の個々をつき合わせることに意味はないという点で一致しました。しかし世の中には、「仏教の世界観は量子力学の知見を先取りしていた」などと考えたがる人が少なからずいるのも確かです。そのような発想はなぜ生まれるのでしょうか。

佐々木:仏教を信じる人たちが、その権威を科学によって担保してもらいたいという気持ちがあるのでしょうね。「仏教は科学さえ包含するほどの先見性を持つ正しい教えであるから、その仏教を信じる自分も正しい」と思いたいわけです。


以下は、大栗氏による特別講義

物質は分子からできているが、それが、根源ではない。分子⇒原子⇒原子核と電子⇒陽子と中性子⇒クオークと分解される。クオークも分解可能かも知れない。こうした「自然界のマトリョシカ」の階層構造は無限に続くのであれば、それを説明する理論も無限に深める必要がある。逆に「最後の人形」が現れれるのであれば、その最深部を説明するのが「究極の理論」となり、それが物理学にとってのひとつのゴールとなるので、階層構造に終わりがあるのかどうかは極めて重大な問題となる。

結論としては、終わりが「ある」と考える。なぜか

科学の世界では、より深い階層を観測するために、「顕微鏡」から「粒子加速器」へと分解能を高めてきた。最大の加速器で1000京分の1メートルの世界が観測できる。

最大の加速器のさらに1京倍のエネルギーで、粒子を衝突させる加速器ができたと仮定すると、そこで加速された粒子の波長と、それによって生じるブラックホールの大きさがほぼ同じとなる。
したがって、観測したい領域がブラックホールに覆われて、見えなくなるので、実験を行う意味がなくなってしまう。

この時の粒子の波長は、《10億x10億x10億》分の1メートルとなり、これよりも小さい世界を見ることは、技術的ではなく原理的に不可能です。

「見えなくても存在はするかもしれない」と思えるが、物理学では、原理的に観測できないものは存在しないのと同じと考える。そこよりもさらにミクロな世界には、観測できるものは存在しないので、その大きさの世界で起きる現象を説明すれば、自然界の根源を説明したとなるわけです。

【私見:科学者の、こうしたもの言いは、気にかかるが、ここまで究極に達していると、受け入れるしかない。だが、言い換えると、これが現代科学の限界ということだろう。10のマイナス36乗メートルはプランク長さであり、これ以下の世界は無ということである。エネルギーだけが、ぎっしりとつまっている世界で、宇宙が膨張開始時点の火玉の塊みたいなものだろうか。】

以下は、特別講義内での超弦理論の説明を箇条書きした。

「素粒子の標準模型」と呼ばれる理論体系では、素粒子17種類あると
 される。

そこで、さまざまな粒子にはどれも同じ「弦」という基本単位があるの
ではという仮説を立てた。

最初は、重力の影響は無視していたが、1974年に超弦理論の中に、
重力を伝える粒子が組み込まれていることが分かった。

そこで、超弦理論は、量子力学と重力理論を統合する、究極の統一理論
となるのではと期待された。

ただし、この理論には難点があった。この理論が成り立つには空間が
9次元でなければいけなかった。

ところが、1984年に、6つの余剰次元が「存在していても私たち
には見えない」メカニズムが理論的に明らかになった。

その理論とは「カラビーヤウ空間」という高度に数学的な概念が使われ
た。この空間は6次元ですが、それ自体が極めて小さいので、私たち
には見ることができないと考えた。

単純な例でいうと、ホースの上を這っているアリの場合、アリにとって
ホースは2次元なので、2つの方向に移動できる。しかし、そこに留まっ
た鳥にとっては、移動できるのは1方向だけになる。

6次元のカラビーヤウ空間も、これと同じように小さくまとまっている
ため、私たちには見えないわけです。

しかし、カラビーヤウ空間はあまりにも複雑な構造のため、計算方法が
分からなかった。

その後、トポロジーの方法を使うことで、3次元の素粒子の性質の中に、
6次元空間の距離をどのように測っても変わらない物理量があることを
見つけた。

大栗氏がトポロジーを使った研究により、超弦理論の質量公式を与える
公式を導く博士論文を作成した。だが、45,231,770といった
数字の意味が分からず、長い間、悩んでいた。

ところが、22年後に、この研究を見直した結果、意外なことが判明
した。これらの数字は、超弦理論の深い対称性を反映していることが
分かった。

この対称性の現れる様子には、20世紀初頭に活躍したインドの天才数学
者シュリニバーサ・ラマヌジャンが開発した数学が密接に関係していた。

それは、モック保型形式という新しい数学の分野だったが、この発見を
記したノートは、ラマヌジャンの死後、ハーディなどの人々が受け継い
だ後、ケンブリッジ大学に寄贈され、そのまま大学の図書館に眠って
いた。

それを数学者のジョージ・アンドリュースが偶然に発見し、1987年
に本として発表された。

ラマヌジャンの発見が、超弦理論の質量公式の対称性を明らかにする
ヒントだった。

モック保型形式は、大栗氏の書いた博士論文でも1部使われていたが、
その形式を、ラマヌジャンがハーディに渡した手紙をケンブリッジ大学
で確認すると、いくつかのモック保型形式のうち5番目のものが、まさ
に、大栗氏が博士論文で使ったものだった。

量子力学とアインシュタインの重力理論をそのまま使うと、因果律が敗れ
るという難題に超弦理論はどう答えたのか。そこで、「トポロジカルな
弦理論」が役に立った。

しばらくのあいだ、超弦理論はブラックホールをどう対応すべきか分から
なかったが、1995年に「第2次超弦理論革命」というブレークスルー
が起こったことで解消できた。

超弦理論では物質の素粒子を「1次元の弦」と考えてきたが、そこには
「2次元の膜」や「3次元の立体」などのあってもよいだろうと考え、
そういう単位を「ブレーン」と名づけた。

超弦理論では素粒子を輪ゴムのような「閉じた弦」と見なしてきたが、
それだけではなく、両端のある「開いた弦」をブラックホールの分析に
使えることが分かった。

「閉じた弦」だけでは、大きなブラックホールでは状態の数を近似的に
計算できるが、小さなブラックホールでは量子のゆらぎの効果が大きい
ため、その計算ができなかった。

そこで役に立ったのが、「トポロジカルな弦理論」だった。これを使うと
どんなサイズのブラックホールでも計算可能であった。

 以下、「ホログラフィ原理」、「量子のもつれ」、「重ね合わせ」、
「収縮」、「奇怪な遠隔作用」「ブラックホールの防火壁問題」などの
 説明があるが省略した。

大栗氏が、あとがきで述べられたこと。

伝統的な宗教を信じることができなくなった現代人は、「人生の意味は何か」という問いに悩むことになります。
 ところが、佐々木先生によると、釈迦はすでに2500年前に、「宇宙の真ん中に自分がいるという世界観が私たちの苦しみを生み出す根本原因だ」と見抜いていたのだそうです。

佐々木閑氏が、あとがきで述べられたこと。

超弦理論とは、この世の現象世界と抽象的数学とが一気にスパークして融合していく、空前の大理論だといういうことが初めて分かった。大栗先生が、その超弦理論構築の歴史の中でどういった功績を挙げられたかもおおよそながら理解できた。

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