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カール・マルクス 著『資本論 』第一巻   第三篇 第八章、第九章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第一巻 第三篇 第八章、九章に目次をつけたものを再掲載します。。


第一巻 資本の生産過程

第三篇 絶対的剰余価値の生産

第八章 労働日   

第一節 労働日の限界

われわれ は、 労働力 が その 価値 どおり に 売買される、という前提から出発した。その価値は、すべての他の価値は、すべての他の商品の価値と同じく、その生産に必要な労働時間によって規定される。

したがって、労働者の平均的な日々の生産手段の生産が、6時間を必要とするとすれば、彼は、彼の労働力を毎日生産するためには、あるいは、その労働力を売って、受取った価値を再生産するためには、平均して一日に6時間労働せねばならない。

このばあいには、彼の労働日に必要部分は、6時間であり、したがって、他の諸事情がもとのままであれば、一つの与えられた大いさである。しかし、それだけでは、労働日そのものの大いさは、まだ与えられていない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1660). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かりに、
a- - -b なる線が、必要労働時間の継続または長さ、たとえば6時間をあらわすとしよう。

労働がabを超えて1時間、3時間、または6時間等々だけ延長されるにしたがって三つのことなる線

労働日Ⅰ
a- - -b -c

労働日Ⅱ
a- - -b- - -c

労働日Ⅲ
a- - -b- - - - - -c
が得られ、それらは7時間、9時間、および12時間という、三つの異なる労働日をあらわす。延長線bcは、剰余労働の長さをあらわす。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1666). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、 労働日 は不変量ではなく、可変量である。その二つの部分の一つは、労働者自身のたえざる再生産に必要とされる労働時間によって規定されてはいるが、しかし労働日総体の大いさは、剰余労働の長さ、あるいは継続とともに変動する。

それゆえに、労働日は規定されうるものではあるが、しかし、それ自体としては定められないものである。

一日の労働日というのは、不確定な大いさのものであり、それは長いことも短いこともありうる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1702). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本家 は 労働力 を、その日価値で買った。一労働日中の労働力の使用価値は、彼のものになる。かくして彼は、労働者を一日中自分のために労働させる権利を得た。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1725). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本はただ一つの生活衝動を、自己を増殖し剰余価値を創り出す衝動を、その不変部分、生産手段をもって、能うかぎり多量の剰余労働を吸収しようとする衝動をもっている。

資本は、ただ生きた労働の吸収によってのみ、吸血鬼のように活気づき、またそれを多く吸収すればするほど、ますます活気づく、死んだ労働である。

労働者が労働する時間は、資本家が自分の買った労働力を消費する時間である。労働者が彼の意のままになる時間を、自分自身のために消費するならば、彼は資本家のものを盗むことになるのである。

【私見:資本家は、労働者を買ったのであるから、労働者をこき使って剰余価値を増殖しなければ、他社との競争に負けてしまうという恐怖感を常に、抱えている。このことによって、マルクスから150年経過した現在でも、過労死を発生する電通のような大企業を存在させている。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1731). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二節 剰余労働にたいする渇望。工場主とボヤール

資本 が 剰余労働 を 発明 し た のでは ない。社会の一部が生産手段を独占しているところでは、どこでも労働者は、自由であれ不自由であれ、生産手段の所有者の用いる生活手段を生産するために、自己保存に必要な自分の労働時間に、超過労働時間を追加せねばならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1813). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本家 の ば あい には、 剰余労働にたいする渇望は、労働日の無制限の延長への衝動として現われ、ボヤールのばあいには、もっと単純に徭役日の直接の追求として現われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1873). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三節 搾取にたいする法的制限を欠くイギリスの産業諸部門

子供でも、朝6時から夜10時までという過酷な労働を強いられて、健康を害している、等々のことが描かれているが、詳細については省略する。

第四節 昼間労働および夜間労働。交替制

不変資本、生産手段は、価値増殖過程の立場から見れば、労働を、また労働の各一滴とともにこれに比例する一定量の剰余労働を、吸収するためにのみ存在する。

それらの生産手段が、これを吸収しないかぎり、それがただ在るというだけでは、資本家にとっては消極的な損失である。

というのは、それらが使用されずにある時間中は、それらは無用な資本前貸を代表するからであり、またこの損失は、この中断が、作業の再開始のために追加的支出を必要とすることになれば、積極的となる。

自然日の限界をこえて夜間におよぶ労働日の延長は、ただ姑息薬としての作用しかない。生きた労働の血にたいする吸血鬼の渇きを、ただある程度鎮めるにすぎない。

だから、一日の全24時間を通じて労働を占有することが、資本主義的生産の内在的衝動である。

しかし、これは肉体的に不可能であるから、同じ労働力を昼も夜も、永続的に吸取りたいならば、肉体的障害を克服するために、昼間食いつくされる労働力と夜間食いつくされる労働力とのあいだの交替が必要である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2554). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一般 に 少年 を 昼夜 交替 で 労働 さ せる 方法 は、事業の繁忙なときにも平常に経過のときにも、労働日を法外に延長させることになる。

この延長は、多くのばあいに、残酷であるばかりでなく、まさに信じられないほどにひどくなっている。何らかの原因で、交替すべき少年があちこちで欠勤している、ということが起こらざるをえない。

そのばあいには、その労働日をすでにおえた出勤中の少年の一人または数人が、欠けたところを補わねばならない。

【私見:約55年前の学生時代、2交替制のガラス工場で夜間の部でアルバイトをしていたときに、交替時間に、急に交替者が欠勤したと知れされて、そのまま昼間も引続き仕事したことが、何度かあって、かなり辛かったことを想いだした。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2614). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第五節 標準労働日のための闘争。14世紀中葉より17世紀末に至る労働日延長のための強制法

「 労働日 とは 何 か?」資本が、その資本によって日価値の支払われる労働力を消費してよい時間は、どれだけの大いさか?

労働日は、労働力そのものの再生産に必要な労働時間をこえて、どこまで延長することができるのか?

これらの問いにたいして資本は次のように答える。

労働日は、毎日まる24時間から、それなくしては労働力が絶対に再度の用をなさなくなる僅かな休息時間を、差引いたものである、と。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2879). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本の自己増殖のためのものである。という こと で ある。

人間的 教養 の ため の、 精神的 発達 の ため の、 社会的 職分の遂行のための、社交のための、肉体的および精神的生命力の自由な活動のための時間は、日曜日の安息日でさえもーーーしかもそれが安息日厳守の国においてであってもーーー全く見かけだけのものである!
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2885). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

本質的 に 剰余価値 の 生産 で あり、 剰余労働 の 吸収 で ある 資本主義 的 生産 は、 労働日の延長をもって、人間労働力の萎縮を作り出して、労働力が、その正常な精神的および肉体的な発達と活動の諸条件を奪われるのみではない。

資本主義的生産は、労働力そのものの早すぎる消耗と死滅を生産している。それは、労働者の生存時間の短縮によって、与えられた期間内における労働者の生産時間を、延長するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2913). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

経験 から 資本家 一般 が 知っ て いる こと は、 いつ でも 過剰 人口 が あること、すなわち資本の当面の増殖欲求に比較して、過剰な人口があることである。

その流れを成すものは、発育不完全な、短命な、急速に交替する、いわば未熟なうちに摘み取られる、各世代の人間ではあるが。

もちろん他面では、歴史的いえば、ようやく昨日始まったばかりの資本主義的生産が、いかに速く、いかに深く、民力の生活根源を捉えてしまったか、いかに人口の哀願が、農村からの自然発生的な生命要素の不断の吸収によってのみ、緩和されるか、そして、いかに農村労働者さえも、自由な空気と、彼らの間で全能的に支配している最強の個体のみを繁栄させる自然淘汰の原則にもかかわらず、すでに衰弱しはじめているか、ということも、賢明な観察者には、経験が示している。

その周囲の労働者世代の苦悩を否認するために、しごく「尤もな理由」をもっている資本が、将来の人類の頽廃や、結局はどうしても止めることのできない人口減少を予想して、その実際の運動を制約するかどうかは、起こりうるべき地球の太陽への墜落によって、制約するかどうかと同じである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3026). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

後 は 野 と なれ 山 と なれ! これがすべての資本家と、資本家国民との標語である。だから、資本は、労働者の健康と寿命とにたいしては、社会によってそれにたいする考慮を強制されないかぎり、何ら配慮するところがない。 

【私見:資本家にたいして、マルクスがかなり辛辣に批判している様子は、まるで、現在の電通やパソナを批判しているように感じる。人間は150年では、まったく変わらないということのようです。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3039). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第六節 標準労働日のための闘争。労働時間の強制法による制限。1833ー1864年のイギリスの工場立法

労働日 を その 標準的 最大限 界 まで、 また 次には、これを超えて12時間という自然日の限界まで延長するために、資本が数世紀を要したのちに、いまや、18世紀の最後の3分の1期における大工業の誕生以来、雪崩のように強暴で、無際限な突進が始まった。

風習と自然、年齢と性、昼と夜のすべての柵は、粉砕された。古い法規では、農民的に簡単だった昼と夜との概念さえも、甚だしく曖昧なものとなり、イギリスの一判事のごときは、1860年にもなって、昼とは何であり、夜とは何であるかを「判決上有効に」説明するために、真にユダヤ律法学者的な明智を尽くさねばならなかったほどである。資本は盛宴を張って祝った。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3384). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 人類学 に よれ ば、 児童 年齢 は 10 歳、 またはせいぜい高く考えても、11歳で終わるものであった。工場法の完全実施の期限は、不吉な1836年が迫ってくるにつれて、工場主暴徒は、ますます狂暴になった。

実際にそれは政府を威嚇することに成功して、政府は、1835年には児童年齢の限界を13歳から12歳に引下げることを提案したほどだった。

【私見:約200年前の児童と少年の定義が、これほど揺れているとは、想像すらできない。つまり、いかに資本家たちは、児童たちを働き手として、重宝とし、買いあさっていたかということであり、驚くしかない。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3498). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

1844 年 の 法律 は、 11歳 未満 の 児童 を、毎日6時間半以上使用する自由を、彼らから奪ったのではあるが、そのかわりに、11歳から13の児童を、毎日10時間使用する特権を彼らに保証し、他の工場児童のために規定されていた、就学義務を免じた。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3932). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第七節 標準労働日のための闘争。労働時間の強制法による制限。イギリスの工場立法の他の諸国への反応

フランス は、 イギリス の 後 から ゆっくりついてくる。12時間法の誕生のためには2月革命を必要としたが、それは、イギリスの原本よりも、はるかに欠陥の多いのである。

それにもかかわらず、フランスの革命的方法も、またその独特の長所を発揮している。それは、一挙にして同じ労働日の制限を、すべての作業場と工場に無差別に課するものであるが。

これにたいして、イギリスの立法は、ときにはこの点、ときにはかの点で、やむをえず諸事情の圧迫に屈服するのであって、新たな法律上の紛糾がもっとも生じやすいようになっている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4176). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

北 アメリカ合衆国 では、奴隷制度が共和国に一部分を不具にしていたあいだは、すべての自立的な労働者運動が麻痺したままであった。

白い皮膚の労働は、黒い皮膚の労働が汚辱を加えられているところでは、解放されえない。

しかし、奴隷制度の死からは、新しく若返った生命が、ただちに発芽した。南北戦争の第一の成果は、一歩7マイルの長靴という機関車で、大西洋から太平洋までを、ニュー・イングランドからカリフォルニアまでを股にかけた、8時間保う運動であった。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4210). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ の 労働者 は、 彼 が 生産過程 に 入っ た とき とは 異なっ た もの として、 そこ から 出 て くる、 という こと が 認められなばならない。

市場では、彼は労働力という商品の所有者として、他の商品所有者たちに対した。商品所有者対商品所有者であった。

彼が彼の労働力を資本家に売った契約は、彼が自分自身を自由に処分するということを、いわば白地に黒く書いたように証明した。

取引が終わったのちには、彼は「自ら自由な行為者」ではなかったということ、彼の労働力を売ることが彼の自由であるという時間は、彼がそれを売ることを強制されている時間であるということ、実際には彼の吸血鬼は、「なお搾取すべき一片の肉、一筋の腱、一滴の血でもあるあいだは」手放すことはないということ、が発見される。

【私見:就職するということは、労働者の生計維持のためが主な目的ではあるが、契約した時点で、すでに、労働者の自由は、全て会社に委ねることであり、会社の言いなりに動かなければならない存在であるということを、マルクスは指摘している。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4244). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第九章 剰余価値の率と剰余価値の量

これ までと 同様 に、 この 章 において も、 労働力の価値は、したがって、労働力の再生産、または保存に必要な労働日の部分は、与えられた不変の大いさであると想定する。

このように前提すれば、剰余価値の率と同時に、個々の労働者が一定時間内に資本家に引渡す剰余価値の量の与えられている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4289). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

しかし、 可変資本 は、資本家が同時に使用するすべての労働力の総価値にたいする貨幣表現である。したがって、その価値は、一労働力の平均価値に、使用労働力を乗じたものに等しい。

ゆえに、労働力の価値が与えられているならば、可変資本の大いさは、同l時に働かされる労働力の数に正比例する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4296). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働 過程 の 観点 の 下 に 生産過程 を 考察 する なら ば、 労働者 は、 資本としての生産手段にではなく、彼の目的に合致した生産的活動の単なる手段および材料としての生産手段に、関係をもったのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4502). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

生産手段 は、 労働者 によって、 彼 の生産的活動の素材的要素として消費されるのではなく、労働者を、それら自身の生活家庭の醗酵素として消費するのであり、そして、資本の生活過程は、自己自身を増殖する価値としての資本の運動にほかならない。

夜間に休止していて、何らの活きた労働をも吸収しない熔鉱炉や労働用建物は、資本家にとっては純粋な損失である。

それゆえに熔鉱炉や労働用建物は、労働力の「夜間にたいする請求権」をなすのである。生産過程の対象的諸要因への、生産手段への、貨幣の単なる転化で、生産手段を、他人の労働と剰余労働にたいする権利の根拠をなし、強制の根拠に転化する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 2 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4508). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

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