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「家族」について

船木亨著『現代思想講義』に基づいて、家族について、考えてみます。

子どもたちは成長すると家から独立して社会に出るというように家族と社会とが分離したのは、資本主義の発展に伴ってである。

土地囲い込み運動などで、土地を持っていた小作農が土地から追い立てられ、都会に出て工場に勤める労働者となる。

それまでは、自給自足以外の余剰生産物を交換することで生活ができていた。ところが、労働市場が生まれたことにより、ひとは労働を売って得た賃金から生活必需品を購入して衣食住を賄う生活になった。

すると、自分の食べるものも買わなければならないから、実質的には、ひとびとは、ずっと貧乏になったと言えるでしょう。

船木亨氏は、家族を次のように定義しています。

家族とは人間の再生産工場である。「工場」というのはほかではない、社会の他の組織と同様に組織であって、「家庭」という牧歌的な名まえで呼び換えられるにせよ、疲れて帰宅する労働者に食事と寝場所の世話をして再生し、かつ道徳的に正統化された公然たる性交渉の結果として、将来の労働者となる人間の子どもを生産する場所なのだからである。

船木亨. 現代思想講義 ──人間の終焉と近未来社会のゆくえ (ちくま新書) . 筑摩書房. Kindle 版.

何とも身も蓋もない表現ではあるが、私が現役で働いていた経験から見てもこうした一面はあったと思います。

だが、今日においては、女性が社会進出して労働者となることが推奨されていることは、上記の家族の定義からは矛盾しているように見える。それは、資本主義の発展のなかで、家族の位置づけにおいて生じてきた矛盾であろう、と船木氏は述べる。

ひとびとは矛盾を抱えたまま生活していくだろうが、家庭崩壊や生涯独身者は、例外的な現象ではなく、資本主義の行きついた、避けられない現象ではないだろうか、と言うのです。

孫を見ていてよく分るが、今の子どもたちは、親よりもSNS上の見知らぬ友だちや塾、習い事の友だちの方がより親密だと考えているように見えます。

次世代の子どもたちは、 IT化され I o Tのなかで働くAI機械にとり巻かれた環境を前提として育つ。そのなかで、労働の意味も、人間であることの意味も、いまとは別様に理解されなおすことになるだろう、というわけです。

船木氏は、家族がどうなっており、どう理解されるかは分からないとしつつ、次のように述べる。

今日すでに子どもたちは保育所や学校や塾によって、なかんずくネットによって、ほぼ直接的に社会のなかに産まれてきており、家族の意義は弱まる一方である。  

子どもが親のいうことをほとんど聞いてくれなくなりつつあり、家族のあいだの親密な人間関係にも、自分のものの所有にも、それほど執着しなくなりつつある。

愛とは所詮その程度のものだったのか……、愛はいまやネットの「自己承認欲求」にすり替えられ、古代的な徳や利他的な自己犠牲は神話となる。

同上


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