見出し画像

小泉義之(著)『ドゥルーズと狂気 』読書メモ

タークル の 指摘 する よう に、 分裂病 の 名 を もっ て 資本主義 と 社会 を 批判 する こと は、 分裂病 が 反 社会的・反 資本主義 的 と いう より 非 ─ 社会的 で あり 非 ─ 資本主義 的 で ある 限り において、 最も ラディカル に 資本主義 と 社会 を 否定 する こと になり ます が、 ところが、 その ラディカル 性 は、 見事 に 資本主義 と 社会 に 取り込ま れ て いき ます。これ は、 よく ある 事態 です。 しかし、 私 の 見る ところ、『 アンチ・オイディプス』 は その 事態 を 見通し て い ます。 だから、 重要 な 書物 なの です。 見通し ながら も 破綻 し て い ます。 だから、 いま でも 重要 な 書物 なの です。


タークル + カステル に よる なら、 精神分析 の 連続 モデル は、 誰 もが 大 なり 小 なり 神経症 者 で ある といった 見方 を 広める こと によって、万人 の 精神 や 心 に 介入 する 道 を 開い た の です。 正常 と 異常 の 違い を 程度 の 差異 と 見なす 見方 は、 その よう な 帰結 を 導く の です。 この 論点 は 重要 です。


連続モデル(現在の自閉症スペクトラム 概念、 精神 疾患 や 人格障害 への ディメンション・アプローチ も その 一例 です) には、 精神医学 や 臨床心理学 の 専門 性 と それ による 統制 を 骨抜き に し て き た 面 も ある と 思わ れる の です。 誰 でも 多少なりとも 神経症 的 で ある といった 語り 方 は、 精神分析 の 通俗化 で あり 大衆化 でしょ う。


カステル の 筆法 を もっ て する なら、『 アンチ・オイディプス』 の スキゾ 分析 こそ が、 分裂病 者 に対する 社会的 コントロール を 通路 として 万人 に対する 社会的 コントロール を 進めるため の 胚 種 を 孕ん で いる という こと になり ます。 ここ が、『 アンチ・オイディプス』 の 革命 性・批判 性 と その 社会的 な 取り込み に 関わる 論点 です。


この よう な クレランボー の 所説 に 見 られる 基本 的 な 構図 は、 いま でも 通説 的 なもの で ある と 言え ます。 それ は 生理的 な もの、 身体 的 な もの、 言語 的 な もの、 心理的 な もの が 相互 に 対応 し 反応・反映 し て いる と する 機械論 的 唯物論 です。 これ に対して、 ドゥルーズ + ガタリ は「 真 の 唯物論 的 精神医学」 を 標榜 し ながら、 いわば 生理的 な もの にも 欲望 を 導入 し、 欲望 を 生産的 な もの と 見なし て いき ます。


シュレーバー 控訴 院長 の 書き物 程度 に 異常 な もの は、 文学 を はじめ、 他 にも いくらでも あり ます。 もっと 引っ張っ て 言い ます が、 その 内容 が 妄想 的 で ある という 限り で 周り を 見返す なら、その 類 の 話し言葉 や 書き言葉 は ネット 上 に 溢れ かえっ て い ます。 政治家 や 企業家 による 妄想 的 な 発言 も しょっちゅう 聞かさ れ て い ます。


ドゥルーズ + ガタリ は、 精神 や 心 の 病 の 原因( の 一つ) が 社会 に ある などとは 考え て い ませ ん。 社会的 な もの による 治癒 なども 考え ては い ませ ん。 こう 言い かえ ても いい でしょ う。 ドゥルーズ + ガタリ から する なら、 社会 そのもの が 狂っ て いる の です から、 症状 や 疾病を 非 ─ 社会的 とか 反 ─ 社会的 な 現象 として 捉える こと に 特段 の 意味 は なくなり ます。 また、 そもそも 疾病 概念 を 批判的 に 解体 しよ う と し て いる の です から、 治癒 概念 も 無用 になり ます。


ヘイト・スピーチ に対して 法 の 力 を 借り てでもそれ を 抑止・禁止 しよ う と する リベラル を スキゾ 分析 に かけ て みる なら、 どう でしょ う か。 もちろん ファシズム 的 な 極 と 革命的 な 極 の 間 に 位置 する ので それ は 穏健 で 穏当 な 立場 です。 中間 派 です。 ただし、 その 立場 も また ある 種 の 妄想 に 裏打ち さ れ て いる の です。 憎しみ や 差別 や 暴力 が まったく 消去 さ れ 消毒 さ れ て 無くなっ た 世界 を 夢見る こと、 それ が 法 や 理性 によって 可能 に なる と 思い込む こと、現実 の 対立 や 葛藤 が 原理 的 には すべて 和解 可能 で ある と 信ずる こと、 それ は 一つ の 妄想 です。 あるいは 欺瞞 です。 そして、 スキゾ 分析 は、 そんな「 美しき 魂」 が いだく 妄想 にも パラノイア 的 で 反動的 な 極 と 分裂病 的 で 革命的 な 極 を 分別 し て 分析 しよ う と する わけ です。


ドゥルーズ + ガタリ は もちろん 反 リベラル・非 リベラル です が、 それ は、「 狂気」 の 立場 に 立っ て「 正気」 の リベラル を 告発・糾弾・否定する という のでは あり ませ ん。 そう では なく て、「 正気」 ヅラ し て いる リベラル の 狂っ た 様相 を 分析 し て 見て取っ て いる から こそ リベラル を 見切っ て いる の です。



社会 体 は 変化 し て いる が、 その 変化 の 方向性 とは、 社会 体 そのもの が 分裂病 化 する こと で ある と 言っ て いる の です。 社会 体 は 狂っ て いく の だ、 狂い た がっ て いる の だ、 狂わ ざる を え ない の だ、 そう 言っ て いる の です。 社会 を 狂っ た もの に し たい、 と 言っ て いる のでは あり ませ ん。 社会 は 現に 狂っ て おり、 もっと もっと 狂っ て いく、 と 言っ て いる の です。


社会 は、 すでに 狂人 以上 に、 狂人 の 苦悩 など お構い なし に、 すこぶる 快調 に 狂っ て い て、 もっと もっと 狂お う と し て いる の だ から、 そんな 社会 を 正常 な もの へ 改革・改良 しよ う など という こと が 馬鹿げ て いる、 と 言っ て いる の です。



欲望 は 利害 とは 区別 さ れる と する 文脈 で 書か れ て い ます が、 金融 や ファシズム は 欲望 的 生産 の 極 の 近傍 に 位置 し て いる という こと だ と 思い ます。 もっと 言っ て しまえ ば、 狂っ て いる という こと です。もっと穏当な言い方で多くの人が指摘していますが、金融は理性的統御が利くようなものではないはずです。それは、語の正確な意味において狂っているはずです。

しかし、誤解しないでいただきたいですが、そこに問題があるのではありません。どうしたことか、金融 は 狂い 切れる よう には なっ て い ない ところ に こそ 問題・困難 が ある の です。 ヒットラー に ファシスト たち が「 勃起」 し た のは 事実 でしょ う。 自明 です。 問題 は そこ に ある のでは なく、「 勃起」 だけで 動く こと が でき なく なっ て いる ところ に ある の です。

となると、金融 も ファシズム も、 欲望 の 流れ に 歯止め を かける 利害 に 基づく 領土 化 なくし て はやっ て いけ ない という こと に なっ て いる はず です。(科学技術・バイオサイエンスについて も 同様 の こと が 言え ます。 それ は エロス 化 し「 勃起」 さ せる の です。 しかし、 それ だけを 指摘 し ても どう しよう も ない、 という こと です)。だから、 二極 を スキゾ 分析 する という の でしょ う か。 問題 は 振り出し に 戻り まし た。 と する と、『 アンチ・オイディプス』 の 当初 の 目論み で あっ た 終末論は、語りえなくなってきます。


実質的 には、( 文化) 革命的 な 書物 で ある に し ても、 革命の 展望 を 示し た 書物 でも、 革命 を 夢想 し た 書物 でも ない の です。 ただし、 これ は、 批難 を 受ける こと では あり ながら も、 間違い ない こと です が、 分裂病 を 何と し てでも 肯定 しよ う と し た 書物 なの です。 そして、 資本主義 の 分析 について も スキゾ 分析 について も その 迷い を 誠実 に 吐露 し て いる 書物 なの です。


『 アンチ・オイディプス』 は 迷っ て いる し、 その 限り で 失敗 し 頓挫 し て いる の です。 それでも、「 私 たち」 に わかっ て いる こと が 一つ だけ あり ます。 とりわけ 分裂 病者 は、 その 苦悩 で もっ て、 真 の 欲望 の 所在 を 示唆 し て いる ので ある、 と。 狂 える 人 は 欲望 の 人 で ある、 と。



現場 だけでは なく 一般 医療 の 現場 でも、 そして 教育・心理・福祉 の 現場 でも、 さらに 種々 の サービス 業 でも、 問題化 し て 語ら れ「 モンスター」 と 形容 さ れる クライアント に 相当 する の です。要するに、 サイコパス の 系譜 とは、 何 よりも まずは、 各種 の 専門 職 の 手 に 負え ない 人々 の こと なの です。ところが、 同時に、 精神・心理 の 専門家 は、その手におえないはずの人々を、そうであるからこそ、おのれの領分に繰り入れ、「大きな問題」「大きな課題」を作り出して演出するのです。芹沢一也『狂気と犯罪--なぜ日本は世界一の精神病国家となったのか』は、精神医療が、治安と結び付いてきた経緯を指摘し、それが精神医療の領土化を果たした役割を的確に指摘しています。


現代の精神科医は人格障害者を治療不可能とするが、「狂気」の範囲を何とかして拡大しようとしていた当時の精神医学にとっては、それはなくてはならない存在だった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?