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カール・マルクス 著『資本論 』(169)  読書メモ

第三巻 資本主義的生産の総過程

第七篇 諸収入とその諸源泉

第四八章 三位一体の定式②
資本 は ー--そして 資本家 は 人格化 さ れ た 資本 で ある に すぎ ず、 生産過程 において は ただ 資本 の 担い手 として のみ機能するー--、かくして資本は、それに対応する社会的生産過程において、一定量の剰余価値を直接生産者または労働者から汲み出す。

剰余労働、 それ は 資本 が 等価 なし に 受取る もの で あり、また、いかにそれが自由な契約的な合意の結果として現れようとも、その本質からすれば、依然として強制労働である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.172). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

自由 の 国 は、 実際、 窮迫 と 外的 合目的性 と によって 規定 さ れ た 労働 が なくなる ところ で 初めて 始まる。 したがって、 それ は、 事柄の性質上、本来の物質的生産の領域の彼方にある。

未開人が、彼の欲望を充たすために、彼の生活を維持しまた再生産するために、自然を闘わねばならないように、文明人もそうせねばならず、しかも、いかなる 社会 形態 において も、 可能 な いかなる 生産様式 の もと において も、 そう せ ね ば なら ない。

文明 人 が 発展 する ほど、 この 自然必然性 の 国 は 拡大 さ れる。 諸 欲望 が 拡大 さ れる からで ある。しかし同時に、諸欲望を充たす生産諸力も拡大される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.195). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

すなわち、 社会化 さ れ た 人間、 結合 さ れ た 生産者 が、 この 自然 との 彼ら の 物質代謝 によって盲目的な力によるように支配されることをやめて、これを合理的に規制し、彼らの共同のもとに置くことを、これを、最小の力支出をもって、また彼らの人間性にもっとふさわしくもっとも適当な諸条件のもとに、行うこと、これである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.201). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

最後 に 労働者 は、 彼 自身 の 労働力 の 所有者 および 売り手 として、 労働 賃金 という 名 の もと に 生産物の一部分を受取る。この生産物部分に、彼の労働力のうちの、われわれが必要労働と名づける部分が表示される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.232). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 は 年々 資本家 に 利潤 を もたらし、 土地 は 土地 所有者 に 地代 を、 労働力はーーー正常な諸関係のもとでは、そしてそれが依然として有用な労働者であるあいだはーーー労働者に労働賃金をもたらす。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.237). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 は 資本家 にとって、 剰余労働 の 多年生 的 の汲出機 であり、土地は土地所有者にとって、資本によって汲み出された剰余価値の一部分を引寄せるための多年生的磁石であり、そして最後に労働は、労働者によって作り出された価値の一部分を、したがってまた社会的セ産物中の、この価値部分によって計量される一部分を、必要生活手段を労働賃金という名義のもとに獲得するための、たえず更新される条件であり、たえず更新される手段である、という意味において。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.252). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

少なくとも「 労働 ─ 労働 賃金」 において は、 一つ の 合理的 な 関係 が 言い表されているかのように見えるかもしれない。しかし、そうではないことは、「土地ー地代」におけると同様である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.277). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働 賃金 または 労働 の 価格 が、 労働力 の 価値 または 価格 の 不合理 な 一 表現であるにすぎない。そして、この労働力が売られる特定の社会的諸条件は、一般的生産能因としての労働とはなんの関係をもたないのである。労働は、労働賃金として労働力の価格を形成する商品価値構成部分においても、対象化される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.281). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

土地 が 生産 物 中 の 自己 に 属する 部分 を、 その 生産性 の 補 塡 と 増進とのために受取るのではなく、土地にかわって土地所有者が、この生産物の分け前を、掛値売りと浪費のために受取るのである。資本が賃金労働としての労働を前提することは、明らかである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.322). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

目的 に 添う た 生産的 活動 として の その 単純 な 性質 の、そのものとしての労働は、その社会的形態規定をもった生産手段にではなく、その素材的実体における、労働の材料と手段としての生産手段に関係する。

かかるものとしての生産手段は、やはりただ素材的にのみ、使用価値として、すなわち土地は生産されたのではない労働手段として、その他のものは生産された労働手段として、相互に区別される。かくして、労働が賃金労働と一致するならば、労働諸条件がいまや労働に対立してとる特定の社会的形態もまた、その素材的存在と一致する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.331). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

 賃金労働者 の 彼 自身 の ため の 労働 が、 彼 の 収益 として、 彼 の 収 入 として、 表示 される生産物は、ただ労働賃金であるにすぎず、価値のうちの(したがってまたこの価値によって計量される社会的生産物のうち)彼の労働賃金を表示する部分であるにすぎない、と。

かくして、 賃金労働と労働一般とが一致するならば、労働賃金も労働の生産物と一致し、また労働賃金が表示する価値部分も、労働によって作り出された価値一般と一致する。

しかし、このことによって、他の価値部分である利潤と地代も、同様に独立して労働賃金に相対することになる。そしてそれらは、労働とは特殊的に異なり、また労働からは独立した固有の源泉から生ずるものでなければならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.350). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

 土地 所有、 資本、 労働 賃金 は、 次 の よう な 意味 における 収 入 の 源泉 から、 すなわち、資本は、資本家に彼が労働から抽出する剰余価値の一部を利潤の形態で引寄せ、土地の独占は、土地所有者に他の一部を地代の形態で引寄せ、労働は、労働者に最後のなお処分可能な価値部分を労働賃金の形態であてがう、という意味における源泉、それを介して価値の一部は利潤の形態に、第二の一部は地代の形態に、第三の一部は労働賃金の形態に転化されるという源泉から、次のような現実の源泉に、すなわち、そこからこれらの価値部分と、これらの価値部分が存在するかまたは変えられうるその生産物諸部分そのものとが生ずる源泉に、したがって生産物の価値そのものが生ずる究極の源泉に、転化される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.361). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働 の 社会的 生産 諸 力 が ともに 発展 する、 本来 の 特殊 資本主義 的 生産様式 における 相対的剰余価値の発展につれて、直接的労働過程における労働の、この生産諸力と社会的諸関連とは、労働から資本に移されたものとして現われる。

それとともに、資本はすでに一つのきわめて神秘的なものとなる、というのは、労働の一切の社会的生産諸力が、労働そのものにではなく、資本に属しまた資本自身の胎内から生まれ出る諸力として、現われるからである。

次いで流通過程が介入してきて、この過程の物質代謝と形態転換に、資本の一切の部分が、農業資本さえもの一切の部分が、特殊資本主義的生産様式が発展するのと同じ程度において、取入れられる。

これこそは、元来に価値生産の諸関係が全く背景に退いてしまう一部面である。すでに直接的生産過程において、資本家は同時に商品生産者として、商品生産者の指揮者として、活動する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.388). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通 期間 は、 価値 形成 および 剰余価値 形成 の 消極的 制限 として機能するにすぎないのではあるが、しかし、労働そのものと同様に積極的な一原因であるかのような、また資本の性質から生じ労働からは独立な一規定をもちこむかのような、外観をもつ。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.402). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

剰余価値 の 利潤 への 転化 は、 われわれ が 見 た よう に、 生産過程 によって 規定 さ れ て いる と同様に、流通過程によって規定されている。剰余価値は、利潤の形態においては、もはや、それが生ずる、労働に支出された資本部分には関係させられないで、総資本に関係させられる。

利潤率は固有の諸法則によって調節され、そしてこの諸法則は、剰余価値率が不変なばあいにも利潤率に変動を許し、またこの変動を必至にさえもする。すべてこれらのことは、剰余価値の真の性質を、したがってまた資本の現実の起動装置を、ますます隠蔽する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.413). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

諸 商品 の 相対的 平均 価格 を その 価値 から 切り離し、 また 種々 の 生産 部面 における平均利潤(各特殊生産部面における個別的諸資本投下のことは、全く問わないで)を、特殊の諸資本による労働の現実の搾取から切り離してしまう過程である。

単にそう見えるだけではまく、ここでは実際に諸商品の平均価格は、それらの商品とは異なっており、したがってそれらの商品において実現されている労働とは異なっており、また特殊な一資本の平均利潤は、この資本がその使用する労働者から抽出した剰余価値とは異なっている。

諸商品の価値が直接に現われるのは、もはや、労働の生産力が生産価格の最終限界にではなく、その低下と上昇に、その運動に、及ぼす影響において見られるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.420). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

「 資本 ─ 利子」 という 形態 は、「 土地 ─ 地代」および「労働ー労働賃金」にたいする第三のものとしては、「資本ー利潤」よりもはるかに首尾一貫的でもある、というのは、利潤においては、やはりまだその起源の思い出が残っているが、それが利子においては、単に刑し去られているのみでゃなく、この起源にたいする確乎たる反対に形態に置かれているからである。

最後に、剰余価値の独立の源泉としての資本の傍らに、土地所有が、平均利潤の制限として現われる。そして、みずから労働するわけもなく、労働者を直接に搾取するでもなく。また利子付資本のように、たとえば資本の貸出しにおける危険や犠牲というような、道徳的に心を慰める理由をこねまわしうるのでもない一階級の手に、剰余価値の一部を移すものとして、現われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.440). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 ─ 利潤、 または より 適切 には 資本 ─ 利子、 土地 ─ 地代、 労働 ─ 労働賃金、この、価値および富一般の諸構成部分とその諸源泉との関連としての経済的三位一体において、資本主義的生産様式の神秘化、社会的諸関係の物化、素材的生産諸関係とその歴史的社会的規定性との直接的合生は、完成されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.451). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

生産 諸 関係 の 物化 と 生産当事者たちにたいするその独立化の説明においては、われわれは、世界市場、その諸景況、市場価格の運動、信用の期間、産業および商業の循環、繁栄と恐慌との交替を通じて、いかに諸関連が彼らにたいして、圧倒的な、彼らを無意識的に支配する自然法則として現れ、彼らに対立して自己を盲目な必然として貫徹するか、という仕方には立入らない。

なぜ立入らないかといえば、競争の現実の運動はわれわれの計画の外にあるもので、われわれはただ資本主義的生産様式の内的組織を、いわばその理想的平均において、説明しさえすればよいのだからである。

【私見:マルクスさえ、立入らないのだから、恐慌が頻繁に起こるのは当然だ。「資本主義的生産様式の内的組織を、いわばその理想的平均」の説明だけでは、現実の資本主義世界で起こっていることを解決することができない。

柄谷氏によると、資本論を論理として読むか歴史として読むかの大論争となっていた、ということである。経済学者は論理だけでやりたがる、ということだが、説明だけということであれば、歴史として読むべきだろう。近代経済学も破綻しているのだから、論理としての経済学はもはや、成り立たないのでは、とも思う。

内田樹氏は、現在、高校生にもわかるように資本論を読解する著書を刊行している。彼によると、資本論には、34時間労働で1時間だけの休憩という過酷な労働の実体等の具体的なデータが満載されているので、「マルクスの身体感覚」に焦点を合わせて書く、ということであった。

これが正解のような気がしている。高校生だって、自分の身体が鎖に繋がれ、損壊され、矯正される感覚はリアルにわかるはずだとも述べていた。その通りだと思う。

現代物理科学書を読んでいたとき、研究者の一部のひとが、金融界に流れて、理論物理学を応用して、株の動きなどを、微分方程式などを駆使して、解析する金融工学なる分野で、大富豪になったということが書かれていた。

しかし、それも、リーマンショックで、理論の幼稚さが証明されたように感じる。理論物理学は、超ミクロか、大宇宙のように純粋な領域で成立するものであり、現実社会のように、複雑系で、予想不可能な因子が絡んでくる領域では、成立しないのだろう、と思う。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 9 (岩波文庫) (Kindle の位置No.472). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.



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