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カール・マルクス 著『資本論 』第三巻 第六篇 第三十七章~第四十七章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第三巻 第六篇 第三十七章~第四十七章に目次をつけたものを再掲載します。


第三巻 資本主義的生産の総過程

第六篇 超過利潤の地代への転化

第三十七章 緒論

一面では、農業では、農業が社会的に経営されることを初めて可能にする農業の合理化、他面では、土地所有者が不合理に帰着することの証明、これは資本主義的生産様式の大功績である。

この生産様式は、それがもたらした他の一切の歴史的進歩と同じく、この進歩をも、まず直接生産者の完全な窮乏化をもって購ったのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.113). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

地代 の 取扱い に際して 避け られ ね ば なら ない、 そして 分析を不明瞭にする、三つの主要な錯誤がある。

  1. 社会的生産過程の種々の発展段階に対応する、地代の種々の形態の混同。
    地代の特殊の形態がなんであるかを問わず、そのすべての型に共通なことは、地代の取得は土地所有が実現される経済的形態であるということ、そして、地代としてはまた、土地所有を、すなわち地球の特定諸部分にたいする特定諸個人の所有を、前提するということである。(中略)

    地代 の 種々 の 形態 の かかる 共通 性ー-- 種々 の 個人 が 地球 の 特定 諸 部分 を 排他的 に 占有 する こと を 許す 法的 擬制 で ある 土地 所有 の 経済的実現であるという共通性ーーーがいろいろな差異を看過させるのである。

  2. 一切の地代は、剰余価値であり、剰余労働の生産物である。そのより未発展な形態、現物地代においては、それはなお直接に剰余生産物である。このことから次のような誤謬が生ずる。

    すなわち、資本主義的生産様式に対応する地代、それはつねに、利潤を超える、すなわちそれ自体剰余価値(剰余労働)から成る商品の一価値部分を超える超過分なのであるが、ーーー剰余価値のこの特別にして特殊な構成部分が、剰余価値と利潤一般の一般的存在条件を説明することによって、説明されるとなす誤謬である。

    この存在条件とは次のようなものである。直接生産者は、彼ら自身の労働力の、彼ら自分自身の、再生産に必要とされる時間を超えて、それ以上に労働せねばならない。彼らは剰余労働一般をなさねばならない。これは主観的条件である。しかし客観的条件は、彼らが剰余労働をもなしうるということである。

    彼らが自己を生産者として再生産し維持するためには、彼らの使用しうる労働時間の一部をもってすれば足りるというふうに、すなわち、彼らの必要生活手段の生産が彼らの全労働力を消費しないというふうに、自然条件がなっているということである。

    自然の豊饒性がここでは一つの限界を、一つの出発点を、一つの基礎を、なしている。他面では、彼らの労働の社会的生産力の発展が、別の限界、出発点、基礎をなしている。

    さらに詳しく見れば、食糧の生産は、彼らの生活と一切の生産一般の真の第一条件なのであるから、この生産において充用される労働は、したがってもっとも広い経済的意味における農業労働は、使用されうる労働時間の全部が直接生産者のための食糧の生産に吸収されてしまわないように、かくして農業剰余労働としたがって農業剰余生産物が可能であるように、充分に生産的でなければならない。

    さらに説明して言えば、社会 の 一部分 の 農業 総 労働 ーーー必要 労働 と 剰余労働 ーーーが、 全 社会 の ため に、 したがって また 非 農業 労働者 の ため にも、必要食糧を生産するのに充分であるということ、したがって、農業者と工業者とのあいだのこの大きな分業が可能であり、また同様に、食糧を生産する農業者とのあいだの分業が可能であるということである。

  3. まさに土地所有の経済的価値増殖においてこそ、地代の展開のおいてこそ、次のことが特別に特色あることとして明瞭に現われる。すなわち、地代の額は、決してその取得者の関与によって規定されるのではなく、彼がなんら参加するところのない社会的労働の、彼の作為から独立な展開によって、規定されているということである。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.588). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

地代 は、 商品生産 の、 より 詳しく は 資本主義 的 生産 の、 基礎 の 上 で のみ、 貨幣 地代 として 発展 する。 そして それ は、 農業 生産 が 商品生産になるのと同じ程度で、したがって非農業生産が農業生産に対立して独立に発展するのと同じ程度で、発展する。なぜならば、それと同じ程度で、農業生産物が商品に、交換価値に、そして価値になるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.683). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本家 は、 この 剰余価値 と 剰余 生産 物 の 発展 において は、 まだ みずから 活動 する 機能 者 で ある。 土地 所有者 は、ただ、かように彼の作為なしに増大する剰余生産物と剰余価値の分け前を、取り込さえすればよい。これは、土地所有者の地位に特有なことである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.689). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

いかなる 生産者 も、 工業 者 も 農業 者 も、 孤立 し た もの として 見れ ば、 価値 または 商品 を 生産 する もの では ない。 彼 の 生産 物 は、 ただ特定の社会的関連においてのみ、価値となり商品となる。

第一に、その生産物が社会的労働の表示として現れ、したがって彼自身の労働時間一般の部分として現れるかぎりにおいて、その生産物は価値となり、商品となる。

第二に、彼の労働のこの社会的性格は、その生産物の貨幣性格において、また価格によって規定されたその一般的交換可能性において、彼の生産物に刻印された社会的性格として現れる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.706). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

各 商品 は ただ 流通 過程 において の みそ の 価値 を 実現 し うる ので あっ て、 それ が 価値 を 実現 する か どう か、 また どの 程度 まで 実現するかは、そのつどの市場条件にかかることである。

かくして、農業生産物が価値に発展し、価値として発展すること、すなわち、それが商品として他の諸商品に相対し、また非農業生産物が商品としてそれに相対すること、または、それが社会的労働の特殊の表現として発展すること、これは地代に特有なことではない。

特有なことは、農業生産物が価値(商品)として発展するための諸条件、またその価値の実現の諸条件が発展するにつれて、土地所有が自己の作為なしに作り出されたこれらの価値のますます増大する一部分が地代に転化されるということである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.715). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三十八章 差額地代。総論

その【追記:土地生産物または鉱山生産物】 販売 価格 は、 その 費用 諸 要素( 消費 さ れ た 不変資本 と 可変資本 との 価値) に、 一般的 利潤率 によって規定され既消費および未消費の前貸総資本にたいして計算された利潤を加えたもの、に等しい。

すなわちわれわれは、これらの生産物の平均販売価格が、それらの生産価格に等しい、と仮定する。そこでこの前提のもとで、いかにして地代が展開しうるか、すなわち。利潤の一部が地代に転化されうるか、したがって、いかにして商品価格の一部分が土地所有者に帰属しうるか、問題である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.731). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この 超過利潤 の 一 限界 は、 一般的 利潤率 の 高 さを 諸 要因 の 一つ と する 一般的 生産価格の高さであるから、超過利潤は、一般的生産価格と個別生産価格との差額からのみ、したがって個別的利潤率と一般的利潤率との差からのみ、生じうる。

この差額を超える超過分は、市場によって規制される生産価格をもってではなく、それ以上の価格をもって、生産物ば売られることを前提する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.793). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、 超過利潤 の 原因 は、 ここ では 資本 そのもの( その うち には 資本 によって運動させられる労働も含まれる)から生じる。すなわち、充用資本の大きさの差異なり、そのより目的に合致する充用なりから生じる。そして、同じ仕方で投下されるということを妨げるものは、それ自体としては何も存しない。むしろ諸資本の競争は、これらの差異をますます均等化する方向に向かう。

社会的に必要な労働時間による価値の規定は、商品の低廉化と、同じ有理な諸関係のもとで商品を生産することの強制において、貫徹される。だが、落流を利用する工場主の超過利潤については、事情を異にする。

彼によって充用される労働の高められた生産力は、資本と労働そのものから生ずるものでもなければ、資本と労働とは別ものであるが資本に合体させられた自然力の単なる充用から生ずるものでもない。

それは、一自然力の、しかしたとえば蒸気の弾性のように同じ生産部面におけるすべての資本に利用されうるものではない一自然力の、利用に結合された労働のより大きな自然発生的生産力から生ずる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.841). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

落流 を 与え られ た もの と すれ ば、 能う かぎり 多量 の 水力 を 利用するために、水車の改良ができる。普通の水車が水の供給に適しないところでは、タービンが利用されうる、等々。

この自然力の所有は、その所有者の手における独占を、資本の生産過程自体によっては作り出されえない投下資本の高い生産力の一条件を形成する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.861). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

いま われわれ が、 落流 は それ の 属する 土地 とともに、 地球 の この 部分 の 所有者すなわち土地所有者と見なされる主体の手にあるものと考えるならば、彼らは落流における資本の投下と資本による落流の利用を排除する。

彼らは利用を許すことも、拒むこともできる。しかし、資本は自分で落流を作り出すことはできないゆえに、落流のこの利用から生ずる超過利潤は、資本から生ずるのではなく、独占されうるまた独占されている自然力の資本のようる利用から生ずる。かかる事情のもとに、超過利潤は地代に転化される。すなわち、それは落流の所有者に帰属する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.869). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

水力 には 応用 さ れ え ない 一つ の 新しい 生 産方式が、蒸気機関をもって生産される商品の費用価格を100ポンドから90ポンドに引き下げるようなことがあれば、超過利潤も、したがって地代も、したがって落流の価格も、消えてなくなるであろう、ということである。

【私見:こうして、資本主義社会では、技術革新がある度ごとに、旧技術が滅びる運命にあるようです。落流による自然力(水力)⇒石炭⇒石油とエネルギー源は変化してきたが、石炭、石油は環境破壊すると敵視されている。じゃ次世代のエネルギー源として、何があるのだろう。自動車のばあいは、電気自動車が世界の潮流ではあるが、これは、画期的なものではなく、脱炭素のための一時しのぎの方策にしか見えない。まだ、持続可能性を疑問視されている、トヨタが推進している水素自動車の方が、画期性を感じる。】

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.926). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三十九章 差額地代の第一形態(差額地代Ⅰ)

超過利潤 は、 流通 過程における偶然の出来事によってではなく、正常に産み出されるかぎり、つねに、二つの等量の資本と労働の生産物のあいだの差額として生産される。

そしてこの超過利潤は、二つの等量の資本と労働が面積の土地の上で不等の結果をもって運用されるばあいには、地代に転化される。

なおまた、この超過利潤が等量の運用資本の不等の結果から生ずるということは、決して無条件的に必要なことではない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.941). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ は まず 第一 に、 等しい 広 さの 種々 の 土地 に 充用 さ れ た、 等量 の 資本 の 不等 の 諸 結果 を 考察 する。 または、 土地 の 広 さを 不等 と すれば、等しい面積について計算された諸結果を考察する。

この不当な諸結果の、資本から独立した二つの一般的な原因は、(1)土地の豊度(この第一の点については、諸地所の自然的豊度のうちにはそもそも何が含まれ、どんな相異なれる要素が含まれているか、を論及すべきである)、(2)土地の位置である。この位置は、植民地において決定的であり、また一般に、地所が次々に耕作されうる順序にたいして決定的である。

さらに、差額地代にこの二つの異なる原因、豊度と位置とが、反対の方向に作用しうることは、明らかである。ある土地がきわめて良好な位置にありながら、きわめて豊饒でないことがありえ、またその逆のことがありうる。この事情は重要である。

なぜならば、それは、与えられた一国の土地の開墾に際して、優等地から劣等地に進むこととともに、その逆に進むこともありうるのはなぜか、をわれわれに開明するからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.967). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

豊 度 は、 土地 の 客観的 属性 で ある とは いえ、 経済的 には つねに 関係 を、 農業 の 与え られ た 化学的 および 機械的 発展 度 にたいする関係を含み、したがって、この発展度とともに変化する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.988). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

経済的豊度として見れば、労働の生産力の状態も、 すなわち ここ では 土地 の 自然的 豊 度 を 直ちに 利用 可能 な もの と する 農業 の 能力ーーー発展段階の異なるにしたがって異なる能力ーーーも、土地の化学的組成およびその他の自然的諸属性と同様に、いわゆる土地の自然的豊度の一要素である、ということである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1003). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

差額 地代 は、 われわれ が 見 た よう に、 ますます 優良 な 土地 への進行において生じうる。それは、以前のより劣悪な土地にかわって、より優良な土地が最下位を占めるばあいに、生じうる。それは、農業における一層の進歩と結合されてありうる。差額地代の条件は、ただ土地種類の不等性のみである。

生産性の発展が考察に入るかぎりでは、差額地代は、総耕地の絶対的豊度の増大がこの不等性を廃棄せず、それを増大させるか、不変のままにしておくか、または単に減少させるにとどまるということを前提する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1198). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

10 クォーター の 現実 の 生産価格 は、 240 シリング で ある。 それ が 600 シリング で、 250% 高く、 売ら れる。 1クォーター当りの現実の平均価格は、14シリングである。市場価格は60シリングで、やはり250%高い。

これは、資本主義的生産様式の基礎の上で競争を介して貫徹される市場価値による規定である。この規定は、一つの虚偽の社会的価値を産み出す。このことは、土地生産物が支配を受ける市場価値の法則から、出てくることである。

諸生産物の、したがってまた土地生産物の、市場価値の規定は、一つの社会的に無意識的で無意図的に遂行される行為であるとはいえ、必然的に生産物の交換価値に基づき、土地にもその豊度の差異にも基づかない一つの社会的行為である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1241). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

劣等 地 が 優良 地 の 中 に 包括 さ れ て いる 部分 を なす なら ば、 優良 地はこれにたいして、すでに耕作に服した土地または服さんとしている土地に連接していないより豊饒な土地に比して、位置の利益を与える。

かくしてミシガン州は、西部諸州中、最初に穀物輸出州となったものの一つだった。その土地は全体としては貧弱だった。しかし、そのニューヨーク州との隣接と、湖水やエリー運河による水路連絡とが、最小まずこの州に、それより西方に位する元来もっと豊饒な諸州にたいする優位を与えたのである。

この州の例は、ニューヨーク州との比較において、優良地から劣等地への移行をも、われわれに示している。ニューヨーク州の土地、ことに西方の部分は、比較にならないほど豊度が高く、とくに小麦栽培にたいしてはそうである。この豊饒な土地も掠奪耕作によって不毛にされ、そしていまやミシガン州の土地の方がより豊饒なものとして現われた。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1424). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四十章 差額地代の第ニ形態(差額地代Ⅱ)

差額地代は、最劣等に無地代 の 土地 に 投ぜ られ た 資本 の 収益 と、 より 優良 な 土地 に 投ぜ られ た 資本 の 収益 との 差額 によって 規定 さ れ て い た。

そこ では 投資 は、相異なる諸地面に上に相並んで存したのであり、したがって、資本の新たな投下には、いずれも土地により広い耕作、耕作面積の拡張が対応するものだった。

しかし、結局において差額地代は、事の性質のうえからは、土地に投ぜられる等量の諸資本の、相異なる生産性の結果であるにすぎなかった。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1516). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 の 種々 の 価値 部分 にたいする 超過利潤 と 種々 に 異なる 超過利潤 率 とは、 いずれ の ばあいにも一様に形成される。そして、地代とはこの超過利潤の一形態にほかならず、この超過利潤が地代の実体をなす。

しかしいずれにせよ、第二の方法においては、地代への超過利潤の転化にとっては、すなわち、資本家的借地農業者から土地所有者への超過利潤の移転を含むこの形態変化にとっては、困難が生ずる。

かくして、政府の農業統計にたいするイギリスの借地農業者に頑強な反抗となる。かくして、彼らの資本投下の現実の諸結果の確定にかんする、彼らと土地所有者との抗争となる。

すなわち、地代は地所のその後は、借地契約の存続するかぎり、資本の逐次的投下から生ずる超過利潤は、借地農業者のポケットに流入する。かくして、長期の借地契約を求める借地農業者の闘争が生じ、また逆に、地主の優勢のために1年解除可能契約の増加が現われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1534). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

差額 地代 Ⅱ の 考察 に際して は、 なお 次 の 諸点 を とくに 明瞭 に し て おか ね ば なら ない。  

  • 第一 に。 差額 地代 Ⅱ の 基礎 と 出発点 は、 単に歴史的にのみではなく、与えられる各時点におけるその運動にかんするかぎりでも、差額地代Ⅰである。

    すなわち、豊度と位置を異にする諸種の土地の、同時に相並んで行われる耕作、したがって、質の異なる諸土地片に上に同時に相並んで行われる農業総資本の相異なる構成部分の充用である。

    これは歴史的には自明のことである。植民地移住者は投下できる僅かな資本をもっているにすぎない。主要生産能因は、労働と土地である。

    各個の家長は、彼自身と彼の家族のために独立の就業農地を、仲間の移住者のそれとは別に、作り出すことに努める。

  • 第二に。形態Ⅱにおける差額地代にあっては、豊度に差異のほかに、なお借地農業者間の資本(および信用能力)の分配における差異が加わる。

    本来の製造工業においては、まもなく各事業部門にたいして事業規模の固有の最小限度が形成され、またそれに対応して、それ以下では各個の事業部門が成功をもって経営されえないという資本の最小限度が形成される。

    同様に各事業部門においてこの最小限度を超える標準的な資本平均量が形成され、生産者の大多数がこの平均 量 を 支配 せ ね ば なら ず、 また 支配 し ても いる。 これ を 超える もの は、 特別 利潤 を 形成 し うる。 これ に 足り ない もの は、 平均 利潤 を得ない。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1558). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

たとえば、 農民 が 彼 の 小分 割地 に 多量 の 労働 を 投ずる という こと は、 正しい。 しかし、 それ は 孤立 化 さ れ た 労働 で あり、 生産性 の 客観的な社会的および物質的諸条件を奪われた、それらの条件から裸にされた労働である。

この事情は、現実の資本家的借地農業者が超過利潤の一部を取得しうる、ということをひき起こす。超過利潤は、少なくともこの点に着目されるかぎりでは、もし資本主義的生産様式が農業においても製造工業におけると同様に均等に発達したならば、なくなってしまうであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1594). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

差額 地代 Ⅰ の ば あい に 種々 の 土地 種類 の 豊 度 の 差異 が 作用 する のは、 この 差異 によって、 土地 に 投下 さ れ た 諸 資本 が、それらの等しい大きさをもってして、またはそれらの比率的大きさから見て、不等の諸結果、諸生産物を与えるということが生ずるかぎりにおいてのみである。

この不当が、同じ地片に次々に投下される相異なる諸資本について生ずるか、それとも種類を異にするいくつかの地片に充用された諸資本について生ずるかは、豊度の差異または諸資本の生産物の差異には、したがってより生産的に投下された諸資本部分にたいする差額地代の形成にはなんらの区別をも生ぜしめえない。

いずれのばあいにも、資本投下は等しいのに土地が異なる豊 度 を 示す ので あり、 ただ、 Ⅰ に あっ ては 種々 の 土地 種類 が 社会的 資本 の うち から その 土地 に 投下 さ れ た 別々 の 等しい 大き さの諸部分についてなすことを、Ⅱにあっては同じ土地が、別々の部分に分けられて次々に投下される一資本についてなす、というだけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1603). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四十一章 差額地代Ⅱーー第一、生産価格が不変のばあい 省略

第四十ニ章 差額地代Ⅱーー第二、生産価格が低下するばあい 省略

第四十三章 差額地代Ⅱーー第三、生産価格が上昇するばあい。結論 省略

第四十四章 最劣等耕地にも生ずる差額地代 省略

第四十五章 絶対地代

差額 地代 の 分析 において は、 次 の よう な 前提 から 出発 し た。 すなわち、 最 劣等 地 は 地代 を 支払わ ない という こと、 または、 より 一般的に表現すれば、その生産物にとっては個別的生産価格が市場調節生産価格よりも低く、したがって、かようにしてそこに地代に転化される一つの超過利潤が生ずるという土地、ただかような土地のみが、地代を支払うということ、まず注意されるべきことは、そのものとしての差額地だの法則委は、この前提の正当不正当からは全く独立している、ということである。

一般的、市場調節的生産価格をPと名づければ、Pは最劣等の土地種類Aの生産物にとっては、その個別的生産価格と一致する。すなわち、この価格は、生産において費消された不変資本および可変資本に、平均利潤(=企業者利得プラス利子)を加えたものを支払う。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3116). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

いずれ に せよ、 資本家 的 借地 農業 者 は、 彼 が 資本家 として 決定 す べき で ある かぎり、これらの事情のもとで土地等級Aを耕作しうる。土地種類Aにおける資本の正常な価値増殖のための条件は、いまや存在している。

しかし、いまや借地農業者によって、彼は地代を支払えないとしても、資本の平均的な価値増殖関係にしたがって土地種類Aに資本が投下されうるという前提からは、等級Aに属するこの土地がいまやそのまま直ちに借地農業者の自由勝手になるという結論は、決して出てこない。

借地農業者が地代を支払わなければ、彼の資本を通常の利潤で価値増殖しうるという事情は、土地所有者にとっては決して、彼が彼の土地を借地農業者に無償で貸しつけ、この取引相手にたいして無償信用を開始するほど博愛的であるという理由にはならない。

かような前提の包含するものは、土地所有からの廃止であるが、まさにこの土地所有の存在こそは、土地における資本の投下にたいする、また土地における資本の任意の価値増殖にたいする一制限をなしているのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3202). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産 の 行なわ れる 一国 において、 地代 を 支払う こと なし に 土地 への 資本 投下 が行われうるばあいを考察するならば。われわれは、それらのばあいすべて、土地所有の、法律上のではないにしても、事実上の廃止を、しかし全く特定的なそしてその性質上偶然的な諸事情のもとでのみ生じうる廃止を、含むことを見出すであろう。

  • 第一には、土地所有者自身が資本家であるか、または資本家自身が土地所有者であるばあい。

    このばあいには、いまや土地種類Aなるものから生産価格すなわち資本補填プラス平均利潤を打出すに充分なほど市場価格が上昇するや否や、彼は彼の地片をみずから耕作しうる。しかし、なぜか?

    彼にたいしては、土地所有者が彼の資本の投下にたいする制限をなさないからである。彼は、土地を単なる自然要素として取扱うことができ、したがってもっぱら彼の資本の価値増殖のことを考えに入れて、資本家的顧慮によって、決することができる。かようなばあいは実際に現われるが、しかしただ例外としてのみである。

  • 第二に、一つの賃貸地をなす複合地の中には、市場価格の与えられた高さのもとでは地代を支払わらず、したがって事実上無償で貸されている個々の地所も含まれているかもしれないが、土地所有者からはそうは見られない、というのは、彼が眼中に置くのは、賃貸された土地の総地代であって、彼の個々の地片の特殊地代ではないからである。

    このばあいには借地農業者にとっては、賃貸地の無地代の構成地片に着目するかぎりでは、資本投下にたいする制限としての土地所有者はなくなる。しかも、土地所有者自身との契約によって、なくなる。

    しかし、彼がこれらの地片にたいして地代を支払わらないのは、ただ、これらの地片を付属物とする土地にたいして、彼が地代を支払うからにすぎない。

  • 第三に、同じ借地に追加資本を投下して得られた追加生産物が、現在の市場価格では借地農業者に生産価格を与えるにすぎず、彼に通常の利潤をもたらしはするが追加地代の支払いを可能にはしないとしても、借地農業者はかような追加資本投下をなしうる。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3218). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

土地 にたいする 単なる 法律 上 の 所有 は、 所有者 の ため に、 なんらの地代をも作り出さない。しかしそれは、土地が本来の農業に使用されるにせよ、建物等のような他の生産目的に使用されるにせよ、所有者に一つの超過分をもたらすような土地の価値増殖的使用を経済的事情が許すまでは、自分の土地の利用を拒むという力を、所有者に与える。彼は、この就業場面の絶対量を増減させることはできないが、市場にあるその量を増減させることはできる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3375). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一定の生産部面における資本の組成が、社会的 平均 資本 の 組成 よりも 低い と すれ ば、 その こと は 差 当り は ただ、 この 特殊 の 生産 部面 における 社会的 労働 の 生産力が平均水準よりも低いということの別の一表現であるにぎない。

なぜならば、生産力の到達段階は、可変資本部分にたいする不変資本部分の相対的優勢に、または与えられた一資本中の労働賃金に支出される構成部分の不断の減少に、表示されるからである。

逆に、一定の生産部面における資本がより高い組成をもつならば、そのことは、平均水準よりも高い生産力の発展を表現する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3422). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

本来 の 農業 における 資本 の 組成 が、 社会的平均資本の組成よりも低いとすれば、このことは一見して明らかに、生産の発達した諸国では農業は、加工産業と同じ程度には進歩していない、ということを表現するものであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3435). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

土地 所有 は、 土地 生産 物 の 価格 を その 生産価格 を 超え て 昂騰 させ うる とは いえ、 市場価格 が どこ まで 生産価格 を 超え て 価値に近づくかは、したがって、与えられた平均利潤を超えて農業において生産された剰余価値がどの程度まで地代に転化され、どの程度まで平均利潤への剰余価値の一般的均等化に参加するかは、土地所有にかかるのではなく、一般的市場状態にかかる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3530). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

本来 の 農業 地代 が 単なる 独占価格 で ある かぎり、 この 独占価格 は 小さな もの でしか あり え ず、 また ここ では 絶対 地代 も正常な諸関係のもとでは、生産物の価値がその生産価格を超える超過分の如何を問わず、小さなものでしかありえない。

かくして、絶対地代の本質は、相異なる諸生産部面における当大の諸資本が、それぞれ相異なる平均組成に応じて、等しい剰余価値率すなわち等しい労働搾取のもとで、相異なる量の剰余価値を生産する、ということににある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3721). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四十六章 建築地地代。鉱山地代。土地価格

差額 地代 は、 一般 に 地代 の 存在 する ところではどこでも現われ、どこでも農業差額地代と同じ諸法則に従う。自然力が独占されうるものであって、それを充用する産業家に一つの超過利潤を保証するところでは、それが落流であると、埋蔵豊富な鉱山であると、魚類に富む河海湖沼、好位置の建築場所であるとを問わず、どこでも、地球の一部分にたいする彼の名義によって、これらの自然対象に所有者として押印された者が、この超過利潤を機能資本から地代の形態で奪い取る。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3747). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

地代からは独立した、生産物または土地 そのもの の 独占価格 が 存在 する ので、 地代 が 独占価格 から 流出 する のか、 それとも、 地代 が 存在 する から、 生産 物 が 独占価格で売られるのか、この二つを区別する必要がある。

われわれが独占価格と言うときには、一般に、生産物の一般的生産価格によって規定される価格によって規定される価格からも、生産物の価値によって規定される価格からも独立に、ただ買い手の購買意欲と支払能力とによってのみ規定されている価格、を意味する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3811). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ は、 以下 に 述べる 土地 価格 の 研究 では、 一切 の 競争 上 の変動を、一切の土地投機を、あるいは、土地が生産者の主要用具をなし、したがってどんな価格ででも彼らによって買われねばならないという小さな土地所有者をも考慮外に置くことにする。

  • Ⅰ 土地の価格は、地代が上昇することなしに、上昇しうる。すなわち、
    1. 単なる利子率低下によって。これは、地代がより高価に売られ、したがって資本化された地代である土地価格が上昇するというように作用する。

    2. 土地に合体させられた資本の利子が増大することによって。

  • Ⅱ 土地価格は、地代が増大することによって上昇しうる。

    地代は、土地生産物の価格が上昇することによって、増大しうる。このばあいには、最劣等耕作地における地代が大きいか小さいか、または全然存在しないかを問わず、つねに差額地代の率が上昇する。

    われわれが率というのは、剰余価値にうちから地代に転化される部分が、土地生産物を生産する前貸資本にたいしてなす比率のことである。これは、総生産物にたいする超過生産物の比率とは異なる。

    なぜならば、総生産物は、前貸資本を全部は含んでいないからである。すなわち、生産物とならんで存続する固定資本を、含まないからである。

    これに反して、差額地代を産む諸土地種類においては、生産物中のますます増大する一部分がより以上の超過生産物に転化されるということのうちには、この率が含まれている。最劣等地では土地生産物の価格上昇が、初めて地代と、したがって土地の価格とを作り出す。

  • Ⅲ 地代としたがって土地価格一般の上昇の、または個々の土地種類についてのその上昇の、これらの種々の条件は、一部は競争しえ、一部は相互に排除し合ってただ交替的にのみ作用しうる。

    しかし、展開されたところからは、次のことが出てくる。すなわち、土地価格に上昇から直ちに地代の増大は推論されえないということ、また、地代に増大ーーーこれはつねに上昇を伴うものであるがーーーから直ちに土地生産物の増大は推論されえないということ、である。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3848). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

新たな諸発明によって、ここでも 個々 の 改良 は なさ れ うる が、 しかし、 生産力 の 発展 を 与え られ た もの として 前提 すれ ば、 機械 は、 ただ 悪化 し うる のみ で ある。 生産力 が 急速 に 発展 する ば あいには、古い機械装置全体が、もっと有利なものによって置換えられねばならず、したがってなくなってしまわねばならない。

これに反して土地は、正しく取扱われば、たえず改良される、以前の投資投下が失われることなしに、逐次的諸資本投下が利益をもたらしうるという土地の長所は、同時にこれらの逐次的諸資本投下に収益差の可能性を含んでいるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3969). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四十七章 資本主義的地代の生成

第一節 緒論

困難 は、 農業 資本 によって 生産された剰余生産物と、これに対応する剰余価値とを説明することにあるのではない。この問題は、むしろ、投下された部面の如何を問わず、すべての生産資本が生産する剰余価値の分析において、解決されている。困難は次の点を論証することにある。

すなわち、 相 異なる 諸 資本 間 における 剰余価値 の 平均利潤 への 均等 化、 相 合し た 一切 の 生産 部面 で 社会的 資本 が 生産 し た 総 剰余価値 から 各 資本 が その 比率 的 大き さに 応じ て 受取る 比例 的 分け前 への 均等 化、 この 均等 化 が 行なわ れ た 後 に、 すなわち いやしくも 分配 さ れるべき一切の剰余価値の分配が外見上すでに行われてしまった後に、さらになお、土地に投下された資本がこの剰余価値のうちから地代の形態で土地所有者に支払う超過部分は、いったいどこから生ずるのか、を論証することにある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3982). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、地代の分析 における 全 困難 は、 平均 利潤 を 超える 農業 利潤 の 超 過分 を 説明 する こと に あっ た ので ある。 剰余価値 では なく、 この生産部面に特有な超過剰余価値を、したがってまた「純生産物」をではなく、諸他の産業部門の純生産物に比してのこの純生産物の超過分を、説明することにあったのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4003). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

いやしくも 平均 利潤 以上 の 超 過分 と 言い うる ため には、 この 平均 利潤 そのもの が、 尺度 として、 また 資本主義的生産様式においてそうであるように生産一般に調節器として、形成されていなければならない。

したがって、一切の剰余労働を取りあげてそして一切の剰余価値を直接にみずから取得するという機能を行なうものがまだ資本ではない社会形態、すなわち資本が社会的労働をまだ包摂していないか、またはただ散財的に包摂しているにすぎない社会形態にあっては、近代的意味における地代、平均利潤を超えるー--すなわち、社会的総資本によって生産された剰余価値における各個別資本の比例的分け前を超えるー--超過分としての地代は、一般に問題になりえないのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4007). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

地代 の 性質 に かんする 一つ の 誤っ た 見解 は、 次 の 事情 に 基づい て いる。 すなわち、 中世 の 自然経済 から、 そして 資本主義 的 生産様式の 諸 条件 とは 全く 矛盾 し ながら、 現物 形態 における 地代 が、 一部 は 教会 の 十 分の 一 税 として、 一部 は 古い 契約 によって 永久 化 さ れ た 骨董品 として、 近代 まで ひきずら れ て き た という 事情 で ある。

これ によって、 地代は農生産物の価格からではなく、その量から、したがって社会的諸関係からではなく土地から生ずる、という外観が生まれる。剰余価値 は 超過 生産 物 において 表示 さ れる のでは ある が、 逆 に 生産 物量 の 単なる 増加分 という 意味 における 超過 生産 物 が 剰余価値 を 表示 する もの で ない こと は、 すでに 以前 に 示し た ところ で ある。 それ は 価値 の マイナス をも 表示 し うる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4116). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

最後 に、 これら の 現実 の 貨幣 または 計算 貨幣 で 表現 さ れ た 諸 費用 の総額 にたいして 計算 さ れ た 利潤 が くる。 この 利潤 は、 総 生産 物 の 価格 によって 規定 さ れる 総 生産 物 中 の 一定 部分 で 表示 さ れる。

そして、 その後 に 残る 部分 は 地代 を 形成 する。 契約 上 の 生産 物 地代 が、 価格 によって 規定さ れる この 残余 よりも 大きい なら ば、 それ は、 地代 を 形成 する のでは なく、 利潤 からの 控除 で ある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4144). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第ニ節 労働地代

労働 地代 という もっとも 簡単 な 形態、 すなわち、 直接 生産者が週の一部分は、事実的または法的に彼に属する労働用具をもって、事実上彼に属する土地を耕作し、週の他の日は領主の農地で、領主のために無償で労働する、という形態における地代を考察するならば、ここでは事柄はまだ全く明瞭せあり、地代と剰余価値とは、ここでは同じである。

利潤ではなく地代が、ここで不払剰余労働の表現される形態である。ここでは労働者が、彼の不可欠の生存手段を超える超過分を、すなわち資本主義的生産様式においてならばわれわれが労働賃金と呼ぶであろうものを超える超過分を、どの程度まで獲得しうるか、このことは、他の事情が不変ならば、彼の労働時間が彼自身のための労働時間と領主のための賦役労働時間とに分かれる比率にかかっている。

したがって、最低必要生存手段を超えるこの超過分、資本主義的生産様式において利潤として現われるものの萌芽であるこの超過分は、全くただ地代の高さによって規定されているのであって、この地代は、ここでは直接に不払剰余労働であるのみではなく、またかかるものとして現われてもいるのである。

すなわち、ここでは土地と一致する、また土地から区別されるかぎりではただ土地の付属物とのみ見られる生産諸条件の「所有者」のための不払剰余労働である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4168). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

不払剰余労働が直接生産者から汲み出される特殊の経済的形態は、直接 に 生産 そのもの から 生成 し て くる とともに また それ として 規定 的 に 生産 に 反作用 する 支配・隷属 関係 を、 規定 する。 しかし また この 関係 の 上 に、 生産関係そのものから生成してくる経済的共同体に全態容が築かれ、また同時に、その特殊な政治的態容も築かれる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4209). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

地代 の もっとも 簡単 な そして もっとも 本源 的 な 形態 で ある 労働 地代 に かんし ては、 次 の こと だけは 明白 で ある。 すなわち、 地代 は、 ここ では 剰余価値 の 本源的な形態であり、また剰余価値と一致する、ということである。

さらに、剰余価値と他人の不払労働との一致も、ここではなんらの分析をも必要としない。なぜならば、この一致はまだ眼に見え手でつかめる形態で存在する。というのは、直接生産者の自分自身のための労働は、ここではまだ、空間的に、また時間的に、領主のための彼の労働から分離されていて、後者は、直接に第三者のための強制労働という粗野な形態で、現われるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4220). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

地代 は 直接 に、 労働力 の この 超過 支出 の 土地 所有者 による 取得 で ある。 なぜ なら ば、 それ 以外 には 直接 生産者 は なんら の 地代 をも 土地所有者に支払わらないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4229). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

直接生産者 に、 彼 自身 の 不可欠 な 欲望 の 充足 に 必要 な 労働 を 超え て 超過 労働 を なす 可能性 が 残る ため には、( 1) 彼 が それ を なす に 充分 な 労働力 を もた ね ば なら ず、( 2)彼の労働の自然諸条件が、したがってまず第一には労働を加えられる土地の自然諸条件が、十分に豊饒でなければならず、一言でいえば、彼の労働の自然発生的生産性が充分に大きくなければならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4233). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

直接 生産者 自身 が 自由 に 処分 し うる 自余 の 週日 の 生産性は、一つの可変的大いさであって、この大いさは、彼の経験の進むにつれて増大するに違いなく、彼が知るに至る新たな諸欲望と全く同じように、彼の生産物のための市場の拡大、彼が彼の労働力のこの部分を自由に処理しうる保証の増大と全く同じように、彼を刺激して労働力の緊張度を高めるであろう。

この際、この労働力の使用は、決して農耕に局限されているのではなく、農村家内工業を含んでいることを忘れてはならない。一定の経済的発展の可能性、そえはもちろん諸事情の有利さや、生得の人種的特徴等に依存するものであるが、この可能性がここでは与えられているのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4271). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三節 生産物地代

労働 地代 の 生産 物 への 転化 は、 経済学 的 に 言え ば、 地代 の 本質 を少しも変えるものではない。われわれがここで考察する諸形態にあっては、地代に本質はそれが剰余価値の唯一の支配的な、そして正常的な形態であるということにある。

このことは、さらに次のように表現される。すなわち、地代は、彼自身の再生産に必要な労働諸条件を占有している直接生産者が、この状態において一切を包括する労働条件すなわち土地の所有者に給付せねばならない唯一の剰余労働または唯一の剰余生産物である、というふうに。

また他面では、他人の所有にある、直接生産者にたいして独立化された、そして土地所有者において人格化された労働条件として、直接生産者に相対するものはただ土地のみである、というふうに。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4278). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

生産 物 地代 は、 直接 生産者 のより 高い 文化 状態 を、 したがって 彼 の 労働 と 社会 一般 のより 高い 発展 段階 を、 前提 する。 そして それは次のことによって、先行形態から区別される。

すなわち剰余労働が、もはやその自然的態容で行われる必要なく、したがってもはや領主またはその代理人の直接の監視と強制のもとで行われる必要なく、むしろ直接強制にかわる諸関係の力によって、また鞭にかわる法的規定によって駆り立てられ、彼自身の責任において剰余労働をなさねばならない、ということによって区別される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4288). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

直接 生産者 が 無償 で、 したがって 事実 上 強制的 に ーーーこの 強制 は もはや 古い 野蛮 な 形態 で 彼 に相対しているのではないが、ーーー彼のもっとも本質的な労働条件である土地の所有者に給付せねばならない全超過労働の正常な形態である。

誤った先回りではあるが、必要労働を超える彼の労働の超過分のうちから彼自身が取得する微小部分を利潤と名づけるならば、利潤が生産物地代を規定するのではなく、それはむしろ生産物地代の背後で生長して、生産物地代の大きさにその自然的限界をもつのである。

この生産物地代は、労働諸条件に、生産手段そのものの、再生産を真に危うくするような、生産の拡張を多かれ少なかれ不可能にして直接生産者を生活手段の肉体的最低限度まで圧し下げるような、大きさをもつことがありうる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4323). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四節 貨幣地代

ここ で われわれ が 貨幣 地代 と 言うーーー 平均 利潤 を 超える 一 超過 分 に すぎ ない 資本主義 的 生産様式 に 立脚 する 産業地代または商業地代から区別して言うーーーのは、生産物地代の単なる形態転化から生ずるーーー生産物地代そのものが、単に転化した労働地代にすぎなかったようにーーー地代のことである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4334). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

その 一層 の 発展 において は、 貨幣 地代 は 一切 の 中間 形態、 たとえば、 小 農民 的 借地 農業 者 の それ の よう な もの を 考慮 外 に 置けばーーー土地の自由な農民所有への転化に導くか、または資本主義的生産様式に形態に、資本主義的借地農業者に支払う地代に、導かざるをえない。

貨幣地代とともに必然的に、土地の一部分を占有し耕作する隷属民と土地所有者とのあいだの伝統的慣習法的関係は、一つの契約的な、成文法の定則にしたがって規定された、純粋な貨幣関係に転化される。したあがって、耕作する占有者は、事実上は単なる借地農業者となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4373). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

最後 に、 なお 生産 物 地代 の 貨幣 地代 への 転化 に際して 注意 さ れるべきことは、この転化とともに、資本化された地代である土地の価格、およびそれとともに土地の譲渡可能性および譲渡が、本質的な一契機になるということ、また、それとともに以前の地代支払義務者が独立の農民的所有者に転化されうるのみではなく、都市その他の貨幣所有者も地所を買って、これを農民なり資本家なりに賃貸し、かく投下された彼らの資本の利子の形態として地代を享受するということ、したがってこの事情もまた、以前の搾取様式の、所有者との関係の、そして地代そのものの、転形を促進することを助けるということ、である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4465). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第五節 分益農制と農民的細分地所

われわれ は ここ で われわれ の 地代 発展 順列 の 結末 に 達し た。すべてのこれらの地代形態、すなわち労働地代、生産物地代、貨幣地代(生産物地代の単なる転化形態としての)において、地代支払者は、つねに、その不払剰余労働が直接に土地所有者に手に渡る土地の現実の耕作者および占有者として、最後の兄弟、貨幣地代においてさえもーーーそれが純粋である、すなわち生産物地代の単なる転化形態であるかぎりではーーーこのことは単に可能であるのみではなく、事実上そうなってもいる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4473). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

細分 地 所有 は、 その 性質 上、 労働 の 社会的生産力諸力の発展、労働の社会的諸形態、諸資本の社会的集積、大規模の牧畜、科学の累進的応用、を排除する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4589). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

小農業が土地の自由な 所有 と 結合 さ れ て いる ば あい の、 その 特殊 な 害悪 の 一つ は、 耕作 者 が 土地 の 購入 に 資本 を 支出 する という こと から 生ずる。( 同じ こと は、 大きな 農場 所有者が、第一には土地を買うために資本を支出し、第二には彼自身の借地農業者としてこの土地をみずから経営するために資本を支出する、という過度形態にもあてはまる)。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4598). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

しかし、 奴隷 の 買い入れ において 支払わ れ た 資本 は、 それ によって 利潤、 剰余労働 が 奴隷 から 抽 き 出さ れる 資本 には 属し ない。 逆 で ある。 それ は、 奴隷 所有者 が 手放した資本であり、現実の生産において彼が処理しうる資本からの控除である。

それは彼にとっては存在しなくなったもので、ちょうど、土地の購入に支出された資本が、農業にとっては存在しなくなったものであるのと同様である。その最良の証明は、奴隷所有者または土地所有者が奴隷または土地を再び売るときにのみ、彼にとって再びその資本が存在するようになる、ということである。

しかしそのばあいには、買い手にとって同じ関係が現われる。彼が奴隷を買ったという事情は、まだそれだけでは、彼が奴隷を搾取するということを可能にしない。彼が奴隷経営そのものに投ずるされに別の資本によって初めて、彼はこのことを可能にされる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4630). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

実際、土地の購入のために支出された貨幣は、 国家 証券 の 購入 で 支出 さ れ た 貨幣 と 全く 同様 に、 ただ そのもの として 資本 で ある こと は、 すべて の 価値 額 が 資本主義 的 生産様式 の 基礎 の 上 では、 そのものとしての資本であり、潜勢的資本であると同様である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4645). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

売り手 の 得 た 貨幣 が、 現実 に 資本に転化されるか否かは、彼がこれをいかに使用するかにかかっている。買い手にとっては、それがもはや資本として機能しえないことは、他の一切の彼が決定的に支出してしまった貨幣と同様である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4649). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

機械や原料と全く同様 に、 土地 そのもの が 価値 を 有し、 したがって 資本 として 生産 物 の 生産価格 に 入る という 幻想 は、 小さな 土地 所有 に あっ ては、 さらに はるか に 強く 固め られる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4657). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

細分 地 経営 が 賃借 地 で 営ま れる ば あい にも、 借地 料 は、 なんらかの 他 の 諸 関係のもとにおけるよりもはるかに以上に利潤の一部を含み、また労働賃金からの一控除分をさえも含む。借地料は、このばあいにはただ名目的にのみ地代なのであって、労働賃金および利潤にたいする独立の一範疇としての地代ではないのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4665). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

農民 は、 彼 の 生産 物 を 商品 として 生産 し うる ため の 諸 条件 なし に、 商人 となり 産業 家 と なる ので ある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4707). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

小さい 土地 所有 にたいする 一切 の 批判 は、 結局 は 農業 の 制限 と 障害 として の 私有 にたいする 批判 に 帰着 する。 大きい 土地 所有 にたいする 一切 の 反 批判 も そうである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 8 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4725). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【今回で、kindle版8冊目が終わりです、次回からは、いよいよ最終冊の9冊目となります。】

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