見出し画像

カール・マルクス 著『資本論 』第三巻 第四篇 第十六章~第二十章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第三巻 第四篇 第十六章~第二十章に目次をつけたものを再掲載します。


第三巻 資本主義的生産の総過程

第四篇 商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への化(商人資本)

第十六章 商品取引資本

商人 資本 または 商業資本 は、 商品 取引 資本 と 貨幣 取引 資本 という 二つ の 形態 または亜種に分かれる。そしていま、われわれは、資本の核心構造の分析に必要なかぎりにおいて、これらの特質を詳細に述べる。

しかもこの特徴づけは、近代経済学が、その最良の代表者においてさえも、商業資本を直接に産業資本と混同して、それを特徴づける諸特性を事実上全く看過しているだけに、ますます必要なのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8264). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

社会 の 総資本 を 見れ ば、 その 一部 は、 それ を 構成 する 諸 要素 が たえず 異なり そして その大いさも変わるとはいえ、たえず商品として市場にあり、貨幣に移行しようとしている。

また他の一部は、貨幣として市場にあり、商品に移行しようとしている。それは、たえずこの移行の運動をなしつつあり、この形式的変態をなしつつある。

流通過程にある資本のこの機能が、一般に特殊の一資本の特殊機能として独立化され、分業によって特殊な一種類の資本家に割当てられた機能として固定されるかぎり、商品資本は、商品取引資本または商業資本となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8272). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 取引 業者 は、 資本家 一般 として は、 まず 第一 に、 資本家 として 彼 が 前貸し する 一定 の 貨幣 額 の、すなわち、彼がx(この貨幣額の最初の価値)からx+Δx(この額プラスそれにたいする利潤)に転化しようとする一定の貨幣額の、代表者として市場に現われる。

しかし、単に資本家一般としてのではなく、とくに商品取引業者としての彼にとっては、彼の資本が、最初は貨幣資本の形態で市場に現われねばならないことは、自明である。

なぜならば、彼は商品を生産するのではなく、彼は商品を生産するのではなく、ただ商品をもって取引をなし、商品の運動を媒介するだけであり、そして、商品をもって取引を行なうためには、彼はまずそれを買わねばならず、したがって、貨幣資本の所有者でなければならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8302). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして 商品 取引 資本 は、 貨幣 への 転化 の 過程 を 通過 す べき、 市場 で 商品 資本 として の 機能 を 果たす べき、 生産者 の 商品資本、全くこれ以外の何ものでもないのであって、ただ、この機能が、生産者の付随的操作としではなく、いまでは資本家の特殊の一種類である商品取引業者の専業的操作として現われ、一つの投資に属する営業として、独立されるだけのことである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8346). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、 商品 資本 の 変態 を、 その 商品 資本 として の 機能 を、 すなわち その 貨幣 への 転化 を、 媒介 する こと に もっぱら従事することによってのみ、資本として価値増殖され資本として機能する貨幣資本を、商人が前貸しするということによって、商品資本は、商品取引資本で一つの独立した資本の態容をとる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8432). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

同じ 商人 資本 が、 相 異なる 諸 回転 において、 相 異なる 諸 商品 資本 を つぎつぎ に 貨幣 に 転化 する こと に 役立つ かぎり では、すなわち、それらを順次に買っては売るかぎりでは、この商人資本は、貨幣一般が与えられた一期間における何回かの流通によって諸商品にたいしてなすのと同じ機能を、貨幣資本として商品資本にたいして行う。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8508). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商人 資本 は、 流通 部面 の 内部 で 機能 する 資本 以外 の 何もの でも ない。 流通 過程 は 総 再生産 過程 の 一 段階 で ある。 しかし、 流通 過程 では、 何らの価値も、したがってまた何らの過剰価値も、生産されない。ただ同じ価値量の形態変化が行われるにすぎない。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8579). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商人 資本 は、 価値 も 剰余価値 も 作り出さ ない。 すなわち 直接には作り出さない。それが流通期間の短縮に寄与するかぎりでは、間接には、産業資本家によって生産される剰余界の増加を助けうる。

それが市場の拡張を助け、また資本家間の分業を媒介し、したがって、資本がより大規模に作業することを可能にするかぎりでは、その機能は、産業資本の生産性と、またその蓄積とを促進する。

それが流通期間を短縮sるかぎりでは、それは前貸資本にたいする剰余価値の比率、すなわち利潤率を高める。

それ が 資本 のより 小さい 部分 を 貨幣資本 として 流通 部面 に 拘束 する かぎり では、 それ は、 生産 において 直接 に 充用 さ れる資本部分を増大させる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8589). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十七章 商業利潤

商人 資本 自体 は 剰余価値を産まないのであるから、平均利潤の形態でそれに帰属する剰余価値が、総生産資本によって産み出された剰余価値の一部分をなすものであることは、明らかである。しかし、そこで次のことが問題になる。いかにして商人資本は、生産資本によって産み出された剰余価値または利潤のうちから自己に割当てられる部分を、引寄せるのか?

商業利潤は、単なる追加である、商品の価値以上への商品の価格の名目的引上げである、というのは、ただ外観だけのことである。

商人は、彼によって売られる商品の価格からのみ彼の利潤を引出すことができる、ということは明らかである。また、彼の商品の販売で彼が得るこの利潤は、彼の購買価格と彼の販売価格との差額に、後者にたいする前者*の超過額に、等しくなければならない、ということはもっと明らかである。
【*この後者と前者とは入れ替えられるべきであろうーーー訳者。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8629). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

産業資本 が、 剰余価値としてすでに商品の価値に含まれている利潤のみを実現するように、商業資本は、産業資本によって実現された商品の価格においては、剰余価値または利潤が実現されていないのであるからこそ、利潤を実現するのである。

かくして、商人の販売価格が購入価格を超えるのは、前者が総価値を超えるからではなく、後者が総価値に足りないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8753). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、 商人 資本 は、剰余価値の生産には参加しないにもかかわらず、平均利潤への剰余価値の均等化に参加する。それゆえ、一般的利潤率は、商品資本に帰属する剰余価値からの控除を、すなわち産業資本の利潤からの一控除を、すでに含んでいるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8761). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商人 資本 の 介入 による利潤の補足的均等化においては、次のことが示された。すなわち、商品の価値には、商人の前貸貨幣資本の分としては何らの追加要素も入らないこと、商人が得る利潤となる価格への追加分は、生産資本が商品の生産価格において勘定に入れないで取り除けておいた商品の価値部分に等しいにすぎないということ、これである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8787). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

産業資本 家 は、彼の業務の商業的部分のおいて、より多くの労働と流通費とを支出せねばならないであろう。

同じ商人資本が、多数の小商人の上に分配されるならば、この分散のゆえに、その諸機能の媒介のためにはるかにより多くの労働者を必要とするであろう。

またさらに、同じ商品資本を回転させるために、より大きな商人資本が必要とされるであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8993). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商人 資本 は、流通過程で機能する産業資本の一部分の独立化された形態以外のものでは決してないのであるから、商人資本にかんする一切の問題は、商業資本に特有な諸現象がまだ独立には現われず、なお産業資本との直接的関係においてその分枝として現われているという形態で、まず問題を立ててみるということによって、解決されねばならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9089). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

産業資本 にとって は、 流通費は失費として現われ、また、そうでもある。商人にとっては、流通費は、その大いさに比例するーーー一般的利潤率を前提すればーーー彼の利潤の源泉として現われる。ゆえに、これらの流通費においてなされるべき支出は、商業資本にとっては一つの生産的投下である。したがって、資本によって買われる商業労働も、商業資本にとっては直接に生産的である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9165). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十八章 商人資本の回転。諸価格

産業資本 の 回転 は、その生産期間と流通期間との統一であり、したがって全生産過程を包括する。これに反して、商人資本の回転は、実際に商品資本の運動の独立化されたものにすぎないのであるから、商品の変態の第一段階であるW-Gを、一特殊資本の自己還流的運動として表示するにすぎない。商業的意味におけるG-W、W-Gを、商人資本の回転として。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9172). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通手段 としての貨幣の流通にあっては、同じ個貨が幾つかの異なる手を通過し、したがって同じ機能を繰返し行うのであって、それゆえ流通速度によって流通個貨の数量た補われる。

しかし、商人のばあいには、いかなる個貨から成るかを問わず、同じ貨幣資本が、同じ貨幣価値が、繰返しその価値額の商品資本を買っては売り、したがって、同じ手に繰返しG+ΔGとして、その出発点に価値プラス剰余価値として、還流する。このことがその回転を資本回転として特徴づける。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9201). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

その 独立 化 にも かかわらず、商人資本の運動は、流通部面内における産業資本の運動以外の何ものでもない。しかし、その独立化によって、商人資本はある限界内では、再生産過程の諸制限から独立に運動し、それゆえにまた、再生産過程をその制限を超えてまでも推進する。

内的依存性と外的独立性とは、商人資本を駆って、内的関係が強力的に、恐慌によって、回復される点にまで至らしめる。

かくして恐慌における現象、すなわち、恐慌がまず出現し勃発するのは直接的消費に関係する小売業においてではなく、卸売商業と、これに社会の貨幣資本を用立てる銀行業との部面においてである、という現象が見られることになる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9228). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、 商人 資本 の 立場 からは、回転自体が価格規定的のものとして現われる。他面、産業資本の回転速度は、それが与えられた一資本により、多量またはより少量の労働の搾取を可能にするかぎりにおいて、利潤量の上に、したがってまた一般的利潤率の上に、規定的、制限的に影響するのであるが、商業資本にとっては、利潤率は外的に与えられたものであって、利潤率と剰余価値形成との内的関連は全く消し去られている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9472). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

相 異なる 諸 商業 部門における回転期間の不等は、一定の商品資本の一回転について得られる利潤が、これらの商品資本を回転させる貨幣資本の回転数に逆比例するということに、現れる。少ない利潤と早い回収、これはことに小売業者にとっては、彼が原則的に守る一原理として現れる。

なお、この、商人資本の回転の法則が、各商業部門において、そして相殺される緩急の諸回転の交替を考慮外に置いて、この部門に投下された商人資本全体のなす諸回転の平均についてのみ当てはまることは、自明のことである。

Bと同じ部門で取引するAの資本が、平均数以上または以下の回転をなすこともありうる。このばあいには、他の資本が平均数以下または以上の回転をなす。このことは、この部門に投下された商人資本の総量の回転を、少しも変化させるものではない。

しかし、それは個々の商人または小売業者にとっては、決定的に重要である。彼がこのばあいに一つの超過利潤を得ることは、産業資本家が平均よりも有利な諸条件で生産するばあいに超過利潤を得るのと全く同様である。エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9479). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第十九章 貨幣取引資本

産業資本 と、われわれがいまやつけ加えうるように、商品取引資本との流通過程(というのは、商品取引資本は、産業資本の流通運動の一部分を、自分自身の特有の運動として引受けるのであるから)において貨幣が遂行する純粋に技術的な諸運動ーーーこの諸運動は、それが独立化されて、それを、そしてただそれのみを、自己に特有な諸操作として行なう特殊な一資本の機能となるに至れば、この資本を、貨幣取引資本に転化する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9493). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣取引業、すなわち貨幣を扱う商業は、最初まず国際的交易から発展する種々の国内鋳貨が存在するようになれば、外国で買入れる商人は、彼らの自国鋳貨を現地の鋳貨に換えねばならず、また反対のばあいには反対のことをせねばならず。あるいはまた、種々の鋳貨を、世界貨幣として未鋳造の純銀、または純金に換えねばならない。

かくして、近代的貨幣取引業の自然発生的基礎の一つと見られるべき、両替業が生ずる。そこから、銀(または金)が流通鋳貨とは区別された世界貨幣としてー--今日では銀行貨幣または貿易貨幣としてー--機能する両替銀行が発展した。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9551). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

世界 貨幣 として は 国内 貨幣 は、その地方的性格を脱ぎ棄てる。一つの国内貨幣がそれで表現され、かくしてすべてがそれらの金銀純分に整約されるとともに、同時にこの金銀は、世界貨幣として流通する両商品として、たえず変動するそれらの相互の」価値比率に通約されねばならない。

この媒介を、貨幣取引業者は自己の特殊業務とする。かくして、両替業と地金取引業のもっとも本源的な形態であって、貨幣の二重の機能、すなわち国内鋳貨および世界貨幣としてのそれに発源するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9594). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣 取引 業者の取扱う貨幣資本の量は、流通中にある商人と産業資本家との貨幣資本であるということ、また貨幣取引業者の行なう諸操作は、彼らが媒介する商人と産業資本家との諸操作であるにすぎないこと、これは明白である。

彼らはすでに実現された価値(債権の形態で実現されているにすぎないばあいでも)に係るのみであるから、彼らの利潤が剰余価値からの一控除分であるにすぎないことも、明らかである。

商品取引業におけるように、ここでも機能の二重化が生ずる。というのは、貨幣流通に伴う技術的諸操作の一部分は、商品取引業者や商品生産者自身によってなされねばならないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9700). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十章 商人資本にかんする歴史的考察

鉱山 業、 農耕、 牧畜、 製造 工業、 運輸 業、 等々 が、 社会的 分業 によって 与え られ た 産業資本 の 諸 分枝 を なし、 したがって その 特殊 の 諸 投下 部面 を なす のと 同様 に、 商品 取引 資本 なり 貨幣取引 資本 なりの 形態 に ある 商人 資本 が、 産業資本 の 特殊 な 一 種類 を なす、 と 見る こと 以上 に 馬鹿げ た こと は あり え ない ので あっ て、 それ は、 これ までに 展開 さ れ た ところ によって おのずから明らか で ある。

各 産業資本 が、 その 再生産 過程 の 流通 段階 に ある あいだ は、 商品 資本 および 貨幣資本 として、 その 両 形態 における 産業資本 の 専有 的 諸 機能 として 現われる のと 全く 同じ 諸機能を果たすということを、簡単に考察しただけでも、すでに前記のような粗雑な見解を不可能にせざるをえないであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9710). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

スミスやリカード等のよう な 偉大 な 経済 学者 も、 資本 の 基本 形態 を、 産業資本 として の 資本 を、 考察 し、 流通資本( 貨幣資本 および 商品 資本) について は、 実際 ただ、 それ 自体 が 各 資本 の 再生産 過程 における 一 段階 であるかぎりにおいてのみ、これを考察しているので、一つの特殊な種類としての商業資本については、困惑に陥っている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9746). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 取引 資本は流通部面に閉じ込められており、またその機能は、もっぱら商品交換の媒介にあるのであるから、その存在のためにはーーー直接的物々交換から生ずる未発達に諸形態は別としてーーー単純な商品流通および貨幣流通のために必要な諸条件以外には、何らの条件をも必要としない。あるいはむしろ、この単純な商品流通および貨幣流通が、商品取引の存在条件である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9761). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産の内部では、商人資本は、以前のその独立的存在から、資本投下一般の一特殊契機に引下げられ、そして諸利潤の均等化が、商人資本の利潤率を一般的平均に帰着させる。

商人資本は、もはや生産資本として機能するにすぎない。商人資本の発展とともに形成される特殊の社会状態は、ここではもはや規定的ではない。反対に、商人資本が優勢なところでは、時代遅れの状態が支配している。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9824). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

諸 生産 部面 が 流通 過程 において、 第三 の もの によって 相互 に 結合 さ れる ので ある が、 この流通 過程 の 独立 化 は、 二重 の こと を 表現 する。

すなわち、 一面 では、 流通 が まだ 生産 を 我が もの と する に 至ら ず、 これ を 与え られ た 前提 として 迎える という こと を。

他面 では、 生産過程が まだ 流通 を 単なる 契機 として、 自己 の うち に 取入れ て い ない という こと を。

これ に 反し て、 資本主義 的 生産 に あっ ては、 この 二つ の こと が 行なわ れ て いる。

生産過程 は、 全く 流通 に 立脚し、そして流通は、生産の単なる一契機であり、その一通過段階であり、単に、商品として生産された生産物の実現であり、その商品として生産された諸生産要素の補填である。

直接に流通から出てくる資本形態ーーー商業資本ーーーは、ここではもはや、資本の再生産における資本の諸形態の一つとして、現れるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9858). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 社会 の前段階においては、商業が産業を支配する。近代社会においてはその逆である。もちろん、商業は、相互のあいだに商業が営まれる諸共同体の上に、多かれ少なかれ反作用するであろう。

商業は、享楽と生活維持を、生産物の直接使用よりもより多くその販売に依存させることによって、ますます生産を交換に従属させるであろう。これによって、商業は古い諸関係を分離する。商業は貨幣流通を増加させる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9920). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商業資本が未発達な諸共同体を媒介するかぎりでは、商業利潤は、癒着や搾取として現れるのみではなく、大部分がそれから生ずる。商業資本が、種々の国々の生産価格のあいだの差額を搾取するということ(そしてこの点では、商業資本は諸商品価値の均等化と確定との方向に作用する)別としても、かの諸生産様式は、商業資本が剰余生産物の一大部分を我がものとするという結果をもたらす。

そうなるのは、一部は、商人資本が介入者となる諸共同体の生産がなお本質的には使用価値に向けられていて、それらの経済的組織にとっては、一般に流通に入る生産物部分を売ることが、したがって一般に生産物をその価値どおりに売ることが、従属的な重要さをもつにすぎないからである。

また一部は、かの以前の諸生産様式にあっては、商人の取引相手となる剰余生産物の主要所有者、すなわち奴隷所有者、封建領主、国家(たとえば東洋の専制君主)が、享楽する富を代表し、この富をねらって、商人が罠をしかけることは、前に引用した箇所の中ですでにアダム・スミスが封建時代について正しく嗅ぎ出したとおりであるからである。

かくして、商業資本の優勢な支配は、どこでも一つの略奪制度を現出し、またその発展も、古代の商業民族にあっても近代のそれにあっても、暴力的略奪、海賊、奴隷狩、植民地における圧制と直接に結びつけられている。

【私見:暴力的掠奪、海賊、奴隷狩という一種の犯罪が資本主義の起源ということです。最近の政府は、通勤費、退職金からも税金を徴収すると言いだしているのは、こうした資本主義の起源を思えば、当然の行為ということになりそうだ。

ここ30年間、労働賃金が上昇していないのに、税金は上がっていくという我が国は、資本主義制度の最先端を走っているわけだ。こんな最先端は不愉快ですね。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.9925). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

近代的生産様式の最初の理論的取扱いーーー重商主義ーーーは、必然的に、商業資本の運動に独立化されている流通過程の表面的諸現象から出発し、したがってただ外観だけをつかみ上げた。それは、一部は、商業資本が資本一般の最初の自由な存在様式だからである。一部は、封建的生産の最初の変革期において、近代的生産の成立期において、商業資本の及ぼす優勢な影響のゆえである。

近代的経済の現実的科学は、理論的考察が流通過程から生産過程に移るところで初めて始まる。利子付資本は、確かに資本の太古的形態ではある。しかるに、なぜ、重商主義はこれから出発せずに、むしろこれにたいして論難する態度をとるのか、これについては、われわれはなお後に見るであろう。エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 6 (岩波文庫) (Kindle の位置No.10102). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【本章で、kindle版6冊目を完了し、次回からは7冊目となります。】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?