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躁鬱病に悩まされていた哲学者

哲学者苫野一徳氏がVoicyで語ったことですが、彼は若いころから、躁鬱病に悩まされてきたという話しです。

小学1年生から、「なんで生きているのか」「なんで生まれてきたのか」などと考えていて、漫画は手塚治虫の「火の鳥」「ブッダ」などを読んでいた。当時流行っていた、アニメやゲームとかにまったく興味がなかったので、仲間たちとは話しが合わずに、「おまえ、キモイよ」と言われていたため、孤立していた、ということです。

これに似た話しは、哲学者中島義道氏も、自身の著作で書いていました。「人はどうせ死ぬんだ」という恐怖に、子供のころから悩まされてきたというのです。他のの哲学者も同様な人が多いので、これは、哲学者となるための資質なんだろう。

私自身、子どもころを振り返ってみると、夕方になって、暗くなるまで、近所の仲間たちと、三角野球(ベースは三つで、ゴムボールを使い、グローブもバットもない野球)などをして、しっかりと周囲に溶け込んで遊んでいたので、青年時代以降に悩んでいただけでは、哲学者になっていないのは、当然ということか。

苫野氏のばあいは、周囲から孤立すればするほど、意固地となった結果、心身に不調をきたし、徐々に鬱状態に陥いった。さらに、過敏性腸症候群を患うことになり、これでは、生きるのが、シンドイので、常に、「死」を考えていて、その上、高校3年生からは、躁鬱病となって、さらに苦しんだのであるが、この状態のときに、哲学に出会って、躁鬱を克服できた、というのである。

こうして、若いころの話しを、曝露できるのは、現在、哲学者として、著作も数多く出し、また教育者としても、活躍できているがゆえのことだろう、と僻がみ、妬みの卑小な感情が、ザワザワと湧いてきて、ニーチェから罵倒されてしまいそうです。

人気を勝ち取った芸人が、「若いころは、ワルだったんだぜ」と自慢話し風なこととは、一線を画すことではあるが・・・・

苫野氏は、『精神現象学』におけるヘーゲルの洞察に、「なるほど、そうだったのか」と気づかされ、自分が悩んできたことの、とどのつまりは、「自由に生きたい」とあがいていたことに、深く納得した、というのである。

私は、カントが好きだったので、カントをボロクソに批判している、ヘーゲルを毛嫌いしていたが、最近になって、ようやくヘーゲルを読みだしたため、苫野氏が述べていることは、理解はできる。「始めることに、遅すぎるはない」という格言めいたものがあるが、これを、座右の銘として、コツコツと勉強し続けるしかないようです。


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