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カール・マルクス 著『資本論 』(55)  読書メモ

第七篇 資本の蓄積過程
 第二十二章 剰余価値の資本への転化
  第五節 いわゆる労働基金
労働 基金 の 資本主義 的 限度 をその社会的な自然限度に作りかえることが、いかに愚かな同義反復に至らしめるかは、ことにフォーセット教授の示すところであろう。

彼は言う、「一国の流動資本は、その国の労働基金である。ゆえに、各労働者の受取るへ近貨幣賃金を計算するためには、われわれは、単にこの資本を労働者人口数で割りさえすればよい」。

いいかれば、われわれはまず現実に支払われる個別労働賃金を、一つの額に合計し、次に、この合計が神と自然とによって定められた「労働基金」の価値総額をなすと主張する。

最後に、われわれは、かくして得られた総額を労働者の人数で割り、さらにまたもや、各個の労働者に平均どれだけが割当てられうるかを発見する。

これは法外にずるいやり方である。しかし、それはフォーセット氏が同じ調子で、次のように語ることを妨げない。

「イギリスで年々蓄積される富の全体は、二つの部分に分かたれる。一つの部分は、イギリスでわれわれ自身の産業を維持するために使用される。

他の部分は諸外国に輸出される。・・・・われわれの産業で充用される部分は、年々この国で蓄積される富のうちの、大きな部分をなすものではない」。したがって、イギリスの労働者から無等価で横領されて年々増加する剰余生産物の大半は、イギリスにおいてではなく、諸外国において資本化される。

しかし、かくして輸出される追加資本とともの、神とベンサムとによって発明された「労働基金」もまた、輸出されるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3146). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.


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