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カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第一篇 第五章、第六章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第二巻 第一篇 第五章、第六章に目次をつけたものを再掲載します。


第二巻 資本の流通過程

第一篇 資本の諸変化とそれらの循環

第五章 流通期間

生産 部面 と 流通 部面 との 二 段階 を 通る 資本の運動は、すでに見たように、一つの時間的順序をもって行われる。生産部門における資本の滞留の期間は、資本の生産期間をなし、流通部面におけるそれは流通期間をなす。したがって、資本がその循環を描く全期間は、生産期間と流通期間の合計に等しい。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3490). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一般 に 生産手段 の 生産 期間は、

  • それらが生産手段として機能し、したがって生産過程で役立つ期間。

  • 生産過程が中断され、したがってこれに合体された生産手段の機能も中断されている休止期間。

  • それらが過程の諸条件として用意されてあり、したがってすでに生産資本を表示してはいるが、生産過程にはまだ入っていない期間。                                    とを包括する。

ここにいう生産期間は能動的意味のものである。生産手段の生産期間は、ここではそれらが生産される期間ではなく、それらが一商品生産物の生産過程に参加している期間である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3505). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働 過程 は、 したがって 労働手段 としての生産手段の機能は中断されているとはいえ、生産過程は、したがって生産手段の機能は続いている。

たとえば播かれた穀物、穴倉で発酵している葡萄酒、たとえば鞣皮業のような種々の製造工業の労働材料で化学的過程にまかされているものがそうである。

ここでは生産期間は、労働期間よりも大きい。両者の差異は、労働期間を超える生産期間の超過にある。この超過はつねに、生産資本が生産過程そのもので機能することなく、潜在的に生産部面にあるということなしに生産過程で機能するとうことに基づいている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3517). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通 期間 と 生産 期間 とは 相互 に 排除 し 合う。資本は、その流通期間中は生産資本としては機能せず、したがって、商品も剰余価値も生産しない。

全資本価値が毎回一時に一段階から他の段階に移るという、もっとも単純な形態の循環を考察するならば、資本の流通期間が続くあいだは生産過程は中断され、したがって資本の自己増殖も中断されているということ、また、流通期間の長さにしたがって、生産過程の更新が、あるいは急速にあるいは緩慢になるであろうということは、きわめて明瞭である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3569). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通 部面 内 では、 資本 は ーーー順序 は どちらが先でもーーー二つの段階WーGおよびGーWを通過する。したがって、資本の流通期間も二つの部分に、資本が商品から貨幣に転化されるに要する時間と、貨幣から商品に転化されるに要する時間とに分かれる。

すでに単純商品流通の分析から知れれるように、WーGすなわち売りは、資本の変態のもっとも困難な部分であり、したがって、普通の事情のもとでは、流通期間中の大きい方の部分をなす。

貨幣としては価値は、つねに転化されうる形態にある。商品としては、この直接的交換可能性と、したがってつねに準備を整えた活動性との姿態を、貨幣への転化によって初めて受取らねばならない。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3600). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

W ─ G と G ─ W との あいだ には、商品と貨幣との形態の差異には関係なく、生産の資本主義的性格から生ずる一つの区別がある。

それ自体としてはWーGもGーWも、与えられた価値の、一形態から他の形態への単なる置換えである。しかしW'-Gは、同時に、W'に含まれる剰余価値に実現でもある。GーWはそうではない。それゆえ、売りは買いよりも重要である。

GーWは、正常な条件のもとでは、Gに表現されている価値の増殖のために必要な行為であるが、剰余価値の実現ではない。それは剰余価値生産への序論であって、補足ではない。エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3624). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 体 そのもの の 損傷 による 商品 資本 の 流通 期間 の 限界 は、流通期間のこの部分の、すなわち商品資本として通過しうる流通期間の、絶対的限界である。

それゆえ商品が傷みやすく、したがってその生産後ただちに消費されねばならず、したがってまた売らねばならないことが甚だしいほど、それだけのその商品が生産場所から離れうる距離は小さく、それだけその場所的流通部面は狭く、その販売市場は局地性が強い。

したがって、商品が傷みやすく、その自然的性状のためにその商品としての流通期間の絶対的制限が大きければ大きいほど、それだけ、その商品は資本主義的生産の対象としては適当ではない。

【私見:シャッターが閉まっている市場の中で、今でも、客で賑わっている市場では、どの店も棚には、多種類の魚類が陳列している様を見る度に、最も腐食しやすい魚類を扱っているために、資本主義的生産の対象としては適当ではない商品と見られにもかかわらず、商売として成立していることに、感心する。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3648). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第六章 流通費

第一節 純粋な流通費

一 売買期間

商品 から 貨幣 へ および 貨幣 から商品への資本の形態転化は、同時に資本家の取引であり、売買行為である。資本のこの形態転化が行われる期間は、主観的には、資本家の立場からすれば、販売期間と購買期間、すなわち、彼が市場で売り手および買い手として機能する期間である。

資本の流通期間がその再生産期間の必要な一節をなすのと同様に、資本家が売買し、市場を徘徊する期間は、彼が資本家として、すなわち人格化された資本として機能する期間の必要な一節をなす。それは彼の営業期間の部分をなすのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3660). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この 売買 担当 者 は、 自分 の 労働を売る人であると仮定しよう。彼はこのWーGとGーWという仕事で、自分の労働時間とを支出する。したがって、彼はこの仕事によって生活すること、他の者が、たとえば紡績や丸薬製造によって生活するのと同様である。

彼が一つの必要な機能を行うのは、再生産過程そのものが、不生産的な諸機能を含んでいるからである。彼は他の者と同じ労働をするが、彼の労働の内容は、価値も生産物も作り出さない。彼自身が生産の空費に属する。(中略)

彼の効用は、社会の労働力と労働時間との比較的小さい部分が、この不生産的な機能に拘束されるということにある。それだけではない。彼は、比較的高給であるにしても、単なる賃金労働者であると仮定しよう。

彼の給料がどうであろうと、賃金労働者としては、彼は彼の時間の一部を無償で労働する。おそらく彼は、日々8労働時間の価値生産物を受取って、10時間働くであろう。彼のなす2時間の剰余労働は、彼の8時時間の必要労働と同様に、価値を生産しない、もっとも、この必要労働時間を介して、社会的生産物の一部分が彼の手に移されるのではあるが。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3731). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この2時間 の 剰余労働 は、これを行う個人によって支出されるのであるのに、社会はこれに支払わない。社会は、これによって、余分の生産物も価値も獲得しない。しかし、彼の代表する流通費は、10時間から8時間に、5分の1だけ減少する。彼によって担当される、この積極的流通期間の5分の1にたいしては、社会は等価を払わない。

しかし、この担当者を使用する者が資本家であるとすれば、2時間の不払いによって、彼の収入からの一控除をなす彼の資本の流通費は、減少する。彼にとっては、これは一つの積極的利益である。彼の資本の価値増殖の消極的制限が、小さくなるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3747). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

小さな 独立 商品生産 者 が、彼ら自身の時間の一部を売買に支出するかぎりでは、この部分は、彼らの生産的機能の合い間に支出される時間として、または彼らの生産期間中の中断として、表示されるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3752). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

(投稿者追記:大きな規模となり)彼 の 事業 の 大き さが、彼自身の流通担当者を賃金労働者として買う(雇う)ことを彼に強要するか、または可能にするばあいにも、この現象は実質的には変わらない。

彼の労働力と労働時間とは、ある程度までは流通過程(単なる形態転化であるかぎりの)で支出されねばならない。しかし、これがいまや追加的資本投下として現われる。

可変資本の一部が、この流通においてのみ機能する労働力の購入に投ぜられねばならない。この資本前貸は、生産者も価値を作り出せない。それは、前貸資本が生産的に機能する範囲をそれだけ縮小する。

それは、生産物の一部分が、その残余の部分を売買する機械に転化されたようものである。この機械は、生産物からの一控除を引起こす起こす。それは、流通で支出される労働力等を減じうるとはいえ、生産過程で働くのではない。それは単に流通費の一部をなすにすぎない。

【私見:私が、ある会社で、技術職を担当していたころは、われわれが、直接に、生産活動をして、他の営業、経理などの間接部門の人たちを、支えているのだという、驕りがあった。

ところが、転職して、介護界で、間接業務を担当するようになると、実際に現場で、介護実務を担当している人たちから受ける、まなざしは、かって、私が、間接業務を担当していた人たちに向けていたまなざしと同様のものを感じ取れた。

仕事というものは、それぞれの役割分担で行うものであり、担当した仕事には優劣はないのだ、ということを、マルクスは言っているのだろうか?】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3758). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

二 簿記

現実 の 売買 の ほか に、労働時間は簿記にも支出され、これにはさらに、対象化された労働であるペン、インク、紙、机、事務所費が入る。したがって、この機能にあっては、一面では労働力が支出され、他面では、労働手段が支出される。このばあいも、売買期間のばあいと全く同じである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3767). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

個々 の 商品生産 者 が ただ頭の中でのみ簿記を行うか(たとえば農民はこれで、資本主義的に至って初めて簿記を行う借地農業者を産み出す)、または生産期間の外で、片手間にその支出、収入、支払期限等を記帳するにすぎないあいだは、次のことはきわめて明瞭である。

  • 彼のこの機能と、その際彼が消費するかもしれない紙その他の労働手段は、労働時間と労働手段の追加的消費を表示すること。

  • そしてかような労働時間と労働手段は、必要ではあるが、彼が生産的に消費しうる時間と現実の生産過程で機能している生産物形成および労働手段とからの一控除を形成するということ。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3777). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この機能が 資本家 的 商品生産 者に手中に集積されて、多くの小商品生産者の機能としてではなく一資本家の機能として、大規模な一生産過程内の機能として現われることによって、この機能の範囲が拡大されても、また、この機能を付属物としていた生産的諸機能からこの機能が分離されえ、もっぱらこれを委託された特殊に担当者の機能として独立化されても、それによって、この機能そのものの性質は変わらないのである。

【私見:見積書作成時には、設計、調達品、材料、工事などの費用を計上した後に、諸経費として10%を加算していた。この10%が、合理性があるのかどうかについては、考えないことにして、その内訳は営業、簿記などのこととなるのでは?見積時には、諸経費10%と、何も考えずに、自動的に、加算していたが・・・】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3783). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

分業、 すなわち 一 機能 の 独立 化 は、その機能がそれ自体として、したがって、すでにその独立化の前から、生産物と価値を形成するものでないかぎり、その機能をかようなものにはしない。

資本家が彼の資本を新たに投下するとすれば、彼は一部を簿記係等の購入と簿記用品に投ぜねばならない。彼の資本がすでに機能していて、その不断の再生産過程にあるならば、彼は商品生産物に一部を、貨幣への転化を介して、たえず簿記係、販売員等に再転化せねばならない。

そのばあいには、資本のこの部分は、生産過程から引上げられて、流通費に、総収益からの控除に、属する。(この機能に専用される労働力そのものも含まれうる。)

しかし一方における簿記から生ずる諸費用または労働時間の不生産的支出と、他方における単なる売買期間の諸費用とのあいだには、一種の区別が生ずる。

後者はただ生産過程の特定の社会的形態から、それが商品の生産過程であるということから、生ずるにすぎない。過程の調整および観念的総括としての簿記は、過程が社会的規模で行われて、純個人的性格を失うことが甚だしくなるにしたがって、ますます必要となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3797). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

しかし、価値 の 純粋 な 形態 転化 に 属し、したがって生産過程の特定の社会的形態から生ずる諸形態、そして個別商品生産者にあっては、ただ一時的なほとんど目にもつかない要素であって、彼の生産的諸機能に付随しあるいはこれと絡み合っている諸形態ーーーかような諸形態が、いかにして巨額の流通費として人目を驚かしうるかは、単なる貨幣収支が銀行などや個別事業における会計係の専属機能として独立化され、大規模に集積されているのを見ればわかる。

銘記されるべきは、この流通費は、姿態の変化によってはその性格を変えるものではない、ということである。

【私見:巨大な金融業とて、元々は、小資本家が、商品生産期間外の片手間の時間に、処理していた簿記から派生してできたものにすぎないということを、マルクスは銘記明記している。

商品生産期間外から産み出されてきた金融業が、現在では、社会のトップに居座って、かつ社会を支配しているという構図を、マルクスは批判しているように思える。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3811). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

三 貨幣

一生産物が、商品として生産されると否とにかかわらず、つねにそれは、個人的または生産的消費に入るように定められた富の素材的姿態であり、使用価値である。商品 として は、 生産 物 の 価値は、価格において観念的に存在し、価格は、生産物の現実の使用形態を少しも変えるものではない。

しかし、金銀のような特定の商品が、貨幣として機能し、かかるものとしてもっぱら流通過程に住む(退蔵貨幣、予備金等としても、潜在的にではあるが流通部面に留まる)ということは、純粋に、商品の生産過程であるという、生産過程の特定の社会的形態の産物である。

資本主義的生産の基礎の上では、商品が生産物の一般的姿態となり、そして生産物の大部分が、商品として生産され、したがって貨幣形態を採らねばならないのであるから、したがって商品量が、すなわち社会的富のうちの商品として機能する部分が、たえず増大するのであるからーーーここでは流通手段、支払手段、予備手段等として機能する金銀の量も、また増加する。

貨幣として機能するこれらの商品は、個人的消費にも生産的消費にも入らない。貨幣は、社会的労働が、単なる流通機械として役立つ一形態に固定されたものである。

社会的富の一部がこの不生産的な形態に拘束されているということのほかに、なお貨幣の摩損は、その不断の補填を、またはより多くの金銀へのより多くの社会的労働ーーー生産物形態におけるーーーの転化を、必要にする。

資本主義的に発達した諸国では、この補填費が大きい、というのは、一般に貨幣形態に拘束されている部分が大きいからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3818). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣 商品 としての金銀は、社会にとっては、生産の社会的形態からのみ生ずる流通費を形成する。それは、商品生産一般の空費であって、商品生産およびとくに資本主義的生産の発展とともに増大する。それは、流通過程に捧げねばならない社会的富の一部である。(13)

(13):

一国内に流通する貨幣は、その国の資本の一定部分であって、自余の部分の生産性の促進または増加のために、生産的目的から完全に引上げられている部分である。

それゆえ、金を流通手段として採用するために一定量の富が必要であるのは、他の何らかの生産を容易にするための機械を作るのにそれが必要であるのと同じである。

『エコノミスト』第五巻、520ページ

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3833). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【私見:マルクスの時代は、金の摩損の補填費が膨大であったが、それは、金本位制であったがためにすぎない。金本位制を放棄してからは、単なる、金の保有量に関係なく、印刷機で紙幣を刷るだけのことである時代にあっては、補填費は、ほとんど影響のないことだろう。

青空天井で、紙幣を増産するのを防ぐ方法として、量子コンピューターで暗号管理されたブロックチェーン・システムによって、金保有量と完全にリンクしたデジタル金貨を発行するというのが、実施されようしているということだ。これは、新しい、金本位制ということになるのだろうか?】

第二節 保管費

商品 に 使用価値を追加することなしに商品を高価にする諸費用、したがって、社会にとっては生産の空費に属する諸費用が、個別資本家にとっては、致富の源泉をなしうるのである。

他面において、これらの流通費が商品の価格に付加する追加分は、これらの流通費を均等に分配するにすぎないものであるかぎり、この追加によって、流通費の不生産的性格がなくなるわけではない。

たとえば、保険会社は、個別資本家の損害を資本家階級のあいだに分配する。しかしこのことは、かように平均化された損害が、社会的総資本について見れば、依然として損害であることを妨げるものではない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3854). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一 在庫形成一般

生産 物 が 商品 資本として存在するあいだ、またはそれが市場に滞留するあいだ、したがってそれの出てくる生産過程とそれの入っていく消費過程との中間にあるあいだは、生産物は商品在庫を形成する、市場にある商品、したがって在庫の形である商品としては、商品資本は各循環において二度現われる。

すなわち一度は、その循環が考察される過程進行中の資本自体の商品生産物として現われ、他の一度はこれに反して、買われて生産資本に転化されるために市場に存在せねばならない他の一資本の商品生産物として現われる。

この後の方の商品資本が、注文によって初めて生産されるということは、もちろん可能である。そのばあいには、それが生産されるまでのあいだ、中断が生ずる。

しかし、生産過程および再生産過程の流れは、一団の商品(生産手段)がたえず市場にあり、したがって在庫品を形成していることを必要とする。同様に生産資本は、労働力の購入を含む。そしてこのばあいには貨幣形態は、労働者がその大部分を市場で見出さねばならない生活手段の価値形態であるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3862). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 資本 が 商品 在庫として市場に滞留することは、建物、倉庫、商品貯蔵所、商品置場を、したがって不変資本の投下を、必要とする。また商品を貯蔵所に搬入するための労働力に支払いを、必要とする。

さらに商品は損傷するものであり、また有害な自然的影響に曝されてもいる。それを防ぐためには、追加資本が、一部は労働手段で、対象的形態で、一部は労働力で、投下されねばならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3881). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

実際 には 在庫 は 三つの形態で存在する、生産資本の形態、個人的消費原本の形態、または商品在庫または商品資本の形態で増加すれば、他の形態では相対的に減少する。もっともその絶対的な大きさから見れば、三形態のすべてにおいて、同時に増大することはありうるが。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3931). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

生産 が 直接 に自己需要に充足に向けられていて、比較的わずかな部分だけが交換または販売のために生産され、したがって社会的生産物が全然または比較的小部分しか商品の形態を採らないばあいには、商品の形態における在庫、すなわち商品在庫は、富のきわめて小さな部分をなすにしぎないことは、初めから明らかである。

しかし、このばあいには消費原本、ことに本来の生活手段のそれは相対的に大きい。それは古風な農民経済を見てもわかる。このばあいには生産物の大部分が直接に、商品在庫を形成することなしにーーーその生産物部分がその所有者に留まっているのだからーーー在庫の生産手段、または生活手段に転化される。

それは商品在庫の形態を採らない、そしてそれゆえに、かような生産様式に基づく社会は、アダム・スミスにしたがえば、在庫は存在しないのである。アダム・スミスは、在庫の形態を在庫そのものと混同している。そして社会は、これまでその日暮らしで過ごして、明日のことは偶然にまかせてきたものと信じている。幼稚な誤解である。

【私見:在庫といえば、トヨタが誇る生産システムであるジャスト・イン・タイムを想起させる。徹底した無駄を省くという経営理念のもとでは、在庫をできるだけ、減少させることが必須事項となる。

平常時では、もちろん、大変優れた、システムではあるが、東北大震災時に、ある部品を供給していた工場が倒壊したことにより、自動車本体の生産も、長期間停止せざるを得なくなったという脆さを露呈した。

その後は、こうした天災にでくわしたことを考慮して、どのように改善したのかは、私は、知らないが、気になるところです。数百年に一回あるかないかの天災を、考慮にいれるかどうかの問題ではある。とはいえ、福島原発のメルトダウンは、それを考慮に入れなかった結果ではなかろうか?】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3934). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

二 本来の商品在庫

資本主義 的 生産 の 発展 とともに、生産物にたいする直接の需要によって生産の規模が規定される度合は、ますます小さくなり、個別資本家の駆使する資本の大きさ、彼の資本の価値増殖衝動、彼の生産過程の連続と拡大の必然性によって規定される度合は、ますます大きくなる。

それとともに、各特殊生産部門において、商品として市場にある生産物、すなわち販路を求める生産物の量は、必然的に増大する。長短の期間商品資本の形態に固定される資本量が増大する。したがって商品在庫は増大する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4029). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

社会 の 大部分 が 賃金労働者に転化される、すなわち、その日暮らしで自分の賃金を毎週受取って毎日支出する人々、したがってその生活手段を在庫として見出さねばならない人々に転化される。

この在庫に個々の要素がいかに流動的であろうとも、在庫がたえず流動を続けうるためには、それらの要素の一部分は、たえず停滞せねばならない。

すべてこれらの要因は、生産の形態と、この形態に含まれている、生産物が流通過程において通貨せねばならない形態転化とから、生ずるものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4034). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本家 が 生産手段 と 労働力 として前貸しした彼の資本を、生産物に、一団の売られるべき完成商品に転化して、しかもそれらが売れずに積まれてあるならば、この期間中彼の資本の価値増殖過程が停滞するだけではない。この在庫の保存が建物、追加労働等において必要とする諸支出は、積極的な損失をなす。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4052). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

在庫 形成 が 流通 の 停滞であるかぎりでは、それによって生じた費用は、何らをも商品に追加しない。他面において、流通部面における停滞なしには、長かれ短かかれ資本がその商品形態に留まることなしには、在庫は存在しえない。

したがって流通の停滞なしには在庫の存在しえないことは、貨幣の予備なしには貨幣が流通しえないのと、全く同様である。したがって、商品在庫なしには商品流通はありえない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4068). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

在庫の更新は、諸商品がその再生産に要する期間によって左右される。商品 在庫 は、 この 期間 中まに合うものでなければならない。それが元の生産者の手中に留まっていないで、卸売商人から小売商人に至るまでの種々の貯水池を通ることは、現象を変えるだけで、事柄そのものを変えるものではない。

社会的に見れば、商品が生産的または個人的消費に入ってしまわないあいだは、資本の一部は、依然として商品在庫の形態にあるわけである。

生産者自身も、生産によって直接に左右されることを避けるために、またある範囲の常顧客を確保しておくために、彼の平均需要に相応する在庫額をもつことに務める。

生産期間に対応して買入期間が形成され、そして商品は、同種の新品によって補填されうるまで、長短の期間在庫を形成する。

ただこの在庫形態に形成によってのみ、流通過程の、したがってまた流通過程を包含する再生産過程の、恒久性と連続性とが保証されているのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4105). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

在庫 の 正常 形態 と 変則 形態 とは、形態によっては区別されず、そしていずれも流通の停滞なのであるから、両現象の混同はありうることであり、また、生産者にとっては、商人の手に渡った彼の商品の流通過程は停滞しても、彼の資本の流通過程は進行しうるのであるから、それだけ生産当事者自身を欺くことがありうる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4141). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

流通 の 停滞 による 商品 在庫 量 の 膨脹 は、再生産過程の拡大の一徴候と誤認されることがありうる、ことに、信用制度によって、現実の運動が神秘化されうるようになると、そうである。

【私見:コロナ禍の初期のころ、マスクが不足しているとマスコミで騒ぎ始めたことがあった。それは大変だと、ドラッグストアに早朝から出かけたが、すでに売切れていた。間に合った人たちは、販売制限があったために、家族連れの2.3人で、何箱も手に抱えて、誇らしげに、車の荷台へと向かっていった。

どうしてこういうことになるのだろう?マスクは、平常時には、需要がほとんどないために、そもそも生産している業者が少ない、すると、当然ながら、生産業、卸売り業、小売業、販売店等がともに在庫が枯渇する。そして、マスコミから情報を得た大勢の人たちは、我先にと、販売店に殺到するということになる。

去年から、物価値上げが次々と始まったが、これは、ロシアによるウクライナ侵略に伴って、輸入品の運送遅配などが影響した、と言われている。その通りとは思われるが、一方、輸入品とは関係のないと思う、国内生産物が不足するという事態が発生した。

これなどは、近い将来に物価が上がることを見込んで、倉庫に在庫しているに違いないと主張している、経済専門家の方がいた。これが事実かどうかは、別として、在庫の方法としては、強欲な資本家なら、やりかねないだろう、と思っています。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4146). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

在庫 形成 の 諸 費用は、

  • 生産物の量的減少(たとえば穀粉在庫のばあい)

  • 質の損傷。

  • 在庫品の保存に必要な対象化された労働と生きた労働。
    から成っている。
    エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4148). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三節 運輸費

一般的 法則 は、 商品 の 形態 転化 からのみ生ずるいかなる流通費も、商品に価値を付加しない、ということである。それは、価値の実現のための、あるいは一形態への価値の転化のための費用であるにすぎない。

これらの費用に投ぜられる資本(これによって指揮される労働を含む)は、資本主義的生産の空費に属する。その補填は、剰余生産物によって行われねばならず、全資本家階級について見れば、剰余価値または剰余生産物からの控除をなすことは、労働者がその生活手段の購入に費やす時間が、彼にとっては失われた時間である。

しかし運輸費は、きわめて重要な一役を演ずるものであるから、ここでなお簡単な考察を加えておかねばならない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4154). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

運輸 業 に 投ぜ られ た 生産資本は。一部は運輸手段からの価値移転により、一部は運輸労働を介しての価値追加によって、輸送される生産物に価値を追加する。

この運輸労働による価値追加は、すべての資本主義的生産においてそうであるように、労働賃金の補填と剰余価値とに分かれる。

各生産過程の内部で、労働対象の場所変更およびそれに必要な労働手段と労働力ーーーたとえば梳綿室から紡績室に移される綿花や、竪坑から地表に揚げられる石炭ーーーは、大きな役割を演ずる。

完成商品として一つの独立の生産場所から、空間的に隔たった他の生産場所に移されることは、ただより大規模な同じ現象を示すにすぎない。

一生産場所から他のそれへの諸生産物の運輸には、さらに生産部面から消費部面への完成生産物の運輸が続く。生産物がこの運動を完了したとき、初めてそれは消費を待つばかりのものとなる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4178). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産様式は、運輸交通機関の発達により、また運輸の集積ーーー規模の大きさーーーによって、個々の商品にたいする運輸費を減少させる。

それは、まず第一には、あらゆる生産物の大多数を商品に転化することによって、また次には、遠隔の市場をもって局地的市場に代えることによって、生きた労働にせよ対象化された労働にせよ、社会的労働中の商品運輸に支出される部分を増加させる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4223). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

空間における諸商品の流通、すなわち事実上の流動は、商品の運輸に帰着する。運輸 業 は、 一面 では独立の一生産部門をなし、したがって一つの特殊な生産資本投下部面をなす。

他面ではそれは、流通過程に内部における、かつ流通過程のための、生産過程の継続として現われるということによって、区別される。

【私見:約45年前に、海外の水力発電所建設工事現場で、配管工事図作成者として労働していたときがあったが、スケッチのために現場に向かうことがあったので、超大型ダンプ(このダンプと並んで撮った写真があったが、不明なため、参考用として下図を添付しました)と頻繁に、すれ違っていた。

タイヤの大きさも、大人の背丈を超えていて、まるでトラックの怪物というイメージだった。500トンもの岩石を積んで運搬しているので、これは、運輸業務というより、立派に生産過程の一部を担っていたということになるだろう。】

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.4229). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.


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