見出し画像

カール・マルクス 著『資本論 』(8)  読書メモ

第一遍 商品と貨幣
 第二章 交換過程①
商品 は、自分自身で市場に行くことができず、また自分自身で交換されることもできない。

したがって、われわれはその番人を、すなわち、商品所有者を探さなければならない。商品は物であって、したがって人間にたいして無抵抗である。

もし商品が従順でないようなばあいには、人間は暴力を用いることができる。言葉を換えていえば、これを持って歩くことができる。

これらの物を商品として相互に関係せしめるために、商品の番人は、お互いに人として相対しなければならぬ。

彼らの意志がそれらの物の中にひそんでいる。したがって、ある一人は、他人の同意をもってのみ、したがって各人は、ただ両者に共通な意志行為によってのみ、自身の商品を譲渡して他人の商品を取得する。

したがって、彼らは交互に私有財産所有者として、認め合わなければならぬ。契約という形態をとるこの法関係は、適法的なものとして進行するかどうかは別として、一つの意志関係である。

この関係に経済的関係が反映されている。この法関係または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2598). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商品 は、 それ が 価値 として実現されうる前に、使用価値であることを立証しなければならない。

なぜかというに、商品に支出された人間労働は、それが他人にたいして有用な形態で支出されるかぎりでのみ、かかる人間労働の性質を受取るからである。

その労働が他人に有用であるか、したがって、その生産物が他人の欲望を充足させるどうかは、だが、諸商品が交換されてはじめて証明しうることである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2689). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

わが 商品 所有者たちは、困りはてて、ファウストのように考える。初めに行いありき。

したがって彼らは、彼らが考える前にすでに行っていたのである。商品性質の諸法則は、商品所有者の自然本能の中に活動していた。

彼らは、その商品をただ価値としてのみ、それゆえにまたただ商品してのみ、相互に相関係せしめることができるのであるが、それをなすのに彼らは商品を、対立的に、一般的等価としてなんらかの他の商品にたいして相関系せしめていたのである。これを商品の分析は明らかにした。

しかし、ただ社会的行為のみが、一定の商品を一般的等価となすことができるのである。したがって、すべての他の商品の社会的行動は、諸商品が全般的にその価値を表示する一定の商品を除外する。

このことによって、この商品の自然形態は、社会的に用いられる等価形態となる。一般的な等価であることは、社会的の過程によって、この除外された商品の特殊的に社会的な機能となる。こうして、その商品はーーー貨幣となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 1 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2705). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【私見:ここで、『資本論』に記述されていることを踏まえて、商品と貨幣の関係を整理してみる。

労働者が工場で生産した物は、売れなければ、使用価値は無となり、つまり売れ残りとなって、廃棄される。

しかしながら、売れるのかどうかの判断がつかぬまま、鉄鋼、車、家電製品、IT製品、化学製品、農産物、食料品等々が、自働機械で、次々と生産されている。

ファウストのように、売れるかどうかを考える前に、まず、生産してしまえとなっている。その結果、売れなくなると、在庫品が溢れて不況状態となる。

ところが、貨幣という商品については、他の商品と違って、あるゆる商品と交換可能な商品であるために、一部の資本家たちのみが、守銭奴のごとく、銀行の金庫に貯め込んでしまい、また企業の内部留保も莫大な量となっており、経済が回っていない。

そして、労働者の賃金は30年以上も沈滞していて、貧富の格差が拡大するばかりで、労働者の購買意欲も減衰し、あらゆる経済的な指標は、どんどん下がっている。もはや、日本は先進国という看板を外さなければならない状態となっている。

そうなると、共産主義のように、分配を強化するとなるが、この政策については、すでに過去にソ連が破綻していて、何処にも行き場のない、ドツボにはまっている。】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?