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アメリカの哲学

伊藤邦武著『プラグマティズム入門』に基づいて、アメリカの哲学を学びます。

アメリカの哲学の20世紀は、非常に単純化していえば、プラグマティズムから論理実証主義、そしてネオ・プラグマティズムと流れてきたといえる。

プラグマティズムとしては、主な思想家としてパース、ジェイムズ、デューイの三人がいる。

彼らは、「真理」という概念について、いずれも「事実との対応」という伝統的な理解を厳しく批判するという点では一致していた。とはいえ、それに代わる真理の意味については、三人三様の態度をとった。

パースにとっては、真理とは「科学的探究の最終的な収束点において見出される信念」のことであるとされた。ジェイムズにとっては、真理とは行為において信頼しうる「有用な道具」であると考えられた。そしてデューイにとっては、真理とは探究の共同体において認められる「保証つきの言明可能性」であると分析された。

伊藤邦武. プラグマティズム入門 (ちくま新書) (p.95). 筑摩書房. Kindle 版.

アメリカでは20世紀の最初の頃にプラグマティズムが隆盛を誇ったのちに、1930年代にヨーロッパから移入された「論理実証主義」が、それを凌駕することとなった。その理由は、論理実証主義が形式的な概念の道具立てに関して、プラグマティズムの思想よりもはるかに秀でていたためであった。

しかしながら、論理実証主義はその後、この運動に関わる人々によって、内側からの批判が徐々になされるようになり、その結果として次第に大きな勢力を失っていって、また改めてプラグマティズムへの傾斜が生じることになった。

20世紀の後半には、ネオ・プラグマティズムが台頭し、代表的な思想家として、クワイン、ローティ、パトナムの三人である。

クワインは、論理実証主義者と長期間の理論的な交流を続けてきたが、1950年代に入って、論文「経験主義の二つのドグマ」を発表して、その問題点を指摘すると同時に、改めてプラグマティズム的発想へと回帰した。

ローティは、デューイ的な思想傾向を引継ぐとともに、クワイン以上に徹底したプラグマティズム再生運動を推進した。

ローティは、西洋哲学の歴史において、近代以降、二つの転回がなされたと言う。一つ目は、デカルト以来の哲学の主たるテーマが、それ以前の存在をめぐるものから認識をめぐるものに移行してきた点をとらえた「認識論的転回」です。二つ目は、フレーゲなどの記号論理学に影響を受けて、認識論から言語哲学や意味論に重点が移ってきた点をとらえた「言語論的転回」です。

これに対してローティは、哲学が真理を獲得するための方法という位置づけから、人間の再記述を目指した解釈学へと移行しなければならないと主張した。

ローティは、「基礎づけ主義」に反対していました。「基礎づけ主義」とは、科学や芸術、宗教といったあらゆる文化の基礎には哲学があるという考え方です。

ローティが、「基礎づけ主義」に反対するということは、心は実在の正確な表象をつくるという「表象主義」を否定し、哲学が単に不変の本質を写し取る営みにすぎないという「本質主義」を否定することを意味している。

パトナムは、生粋の論理実証主義たちの科学哲学・論理思想の継承から出発し、そこから目まぐるしく理論的変転し、最終的に、パース=ジェイムズ流のプラグマティズムと後期ウィトゲンシュタインの哲学を重ねることで、彼独自のプラグマティズム的発想へと回帰した。

パトナムは、ローティのように、パースをまったく無視してジェイムズとデューイの二人だけからプラグマティズムを再興しようとするのはむしろ行き過ぎであり、プラグマティズム思想の貧困化を招くことになると考えた。

彼にとってはパースの科学的探究の論理への強い関心をもう一度活用しつつ、極端な相対主義へと傾きがちな多元論に歯止めをかけることが、健全なプラグマティズム的態度の発展にとって重要だと思われたのである。



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