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カール・マルクス 著『資本論 』第三巻 第五篇 第二十一章~第二十八章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第三巻 第五篇 第二十一章~第二十八章に目次をつけたものを再掲載します。


第三巻 資本主義的生産の総過程

第五篇 利子と企業者と利得とへの利潤の分割。利子付資本

第二十一章 利子付資本

貨幣ーーーここではある価値額が、事実上貨幣として存在するか、商品として存在するかを問わず、それの独立の表現として考えられたものーーーは、資本主義的生産の基礎の上では、資本に転化されることができ、そしてこの転化によって、与えられた一価値から、自己自身を価値増殖し自己を増大させる価値となる。それは利潤を産む。

すなわち、一定量の不払労働を、剰余生産物と剰余価値を、労働者から引出して、我がものとする能力を資本家に与える。かくしてそれは、それが貨幣としてもっている使用価値のほかに、一つの追加使用価値を、すなわち、資本として機能するという使用価値を、与えられる。

ここでは貨幣の使用価値は、まさに、それが、資本に転化されて、産み出す利潤に存する。この可能的資本としての、利潤の生産のための手段としての、属性において、貨幣は一つの一種独特な商品に、なる。または、結局同じことになるが、資本は資本として商品になる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.58). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

商業資本 の 運動 G ─ W ─ G’ においては、同じ商品が、二回、または商人が商人に売るばあいにはさらに何回も、持ち手を換える。しかし、同じ商品のかような位置転換は、商品が最終的に消費に帰するまでに何度この過程が繰返されようとも、いずれも、商品の買いまたは売りという一つの変態を表示する。

他面、W-G-Wにおいては、同じ貨幣の二回の位置転換が行われるが、しかし、商品がまず貨幣に転化され、次いで貨幣から再び他の商品に転化されるという変態を表示している。

これに反して、利子付資本にあっては、Gの第一の位置転換は、全く何ら、商品変態の契機でもなければ、資本の再生産の契機でもない。それは、第二に支出において、すなわち、この貨幣をもって商業を営むかまたはこれを生産資本に転化する機能資本家の再生産でもない。

それは第二の支出において、すなわち、この貨幣おもって商業を営むかまたはもれを生産資本に転化する機能資本家の手において、初めてかような契機となる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.135). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

現実の運動において資本が資本として存在するのは、流通過程においてではなく、ただ生産過程においてのみ、労働力の搾取過程においてのみ、である。

しかし、 利子 付 資本 において は そう では ない。 そして、 まさに この こと が、 利子 付 資本 の 特殊 の 性格 を なす。 自分 の 貨幣 を 利子 付 資本として 価値 増殖 しよ う と する 貨幣 所有者 は、 それ を 第三者 に 譲渡 し、 流通 に 投じ、 資本 として 商品 と なす。 彼 自身 にとって のみ では なく、 他者 にとって も 資本 として、 で ある。

それ は、 それを 譲渡 する 者 にとって 資本 で ある のみ では なく、 初め から 資本 として、 剰余価値、 利潤 を 作り出す という 使用価値 を 有する 価値 として、 第三者 に 渡さ れる。

すなわち、 運動 において 自己を 維持 し つづけ、 そして、 機能 し 終わっ た 後 に、 その 最初 の 支出 者 の 手 に、 この ば あい では 貨幣 所有者 の 手 に、 帰る 価値 として。 したがって、 ただ しばらく の あいだ 彼 の 手 から 離れ、 ただ一時的 に その 所有者 の 占有 から 機能 資本家 の 占有 に 移り、 したがって 支払っ て しまわ れる のでも 売ら れる のでも なく、 ただ、 貸出さ れる に すぎ ない 価値 として。

すなわち、第一には、一定期間の後にはその出発点に帰ること、ただし第二には、実現された資本として、したがって剰余価値を生産するというその使用価値を実現した資本として、帰ること、この条件にもとでのみ譲渡される価値としてである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.219). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、 貸付資本 の 出発点 と 復帰 点、 譲渡 と 返済 は、 資本 の 現実 の 運動 の 前 と 後 とに 行なわ れ て、 この 運動自体 とは 何 の 関係 も ない、 法律 的 諸 取引 によって 媒介 さ れる 恣意的 な 運動 として、 現われる。 資本 の 現実 の 運動 にとって は、 資本 が 初め から 産業資本 家 の もの で あり、 したがって、 彼 の 所有として彼のみ還流するとしても、かまわないであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.340). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 の 現実 の 運動 において は、復帰は流通過程の一契機である。まず貨幣が生産手段に転化される。生産過程は、これを商品に転化する。商品の販売によって、それは貨幣に再転化され、そしてこの形態で、資本を最初に貨幣形態で前貸しした資本家の手に帰る。

しかし、利子付資本にあっては、復帰も譲渡も、資本の所有者と第二の一人とのあいだに行われる法律的取引の結果であるにすぎない。われわれに見えるのは、譲渡と返済だけである。その間に行われることは、すべて消し去られている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.372). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

他 の 商品 に あっ ては、 最後 の 手 において 使用価値 が 消費 さ れ、 それ とともに 商品 の 実体 が 消失 し、 また それ とともに 商品 の 価値 も 消失 する。

これ に 反し て、 資本 という 商品 は、 その 使用価値 の 消費 によって その 価値 と その 使用価値 が 保存 さ れる のみ で なく、 さらに 増殖 さ れる、 という 特性 を もっ て いる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.432). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 の 価格 として の 利子 という のは、 初め から 全く 非合理 的 な 表現 で ある。 ここでは 一 商品 が 二重 の 価値 を もつ。 すなわち、 一方 には 一つ の 価値 を、 他方 には この 価値 とは 異なる 一つ の 価格 を もつ。 価格 とは 価値 の 貨幣 表現 で ある のに。

貨幣資本 は、 差 当り まず、 一つの 貨幣 額 に、 または 貨幣 額 として 固定 さ れ た 一定 商品 量 の 価値 に、 ほか なら ない。 商品 が 資本 として 貸さ れる と すれ ば、 その 商品 は、 一 貨幣 額 の 仮装 形態 で ある に すぎ ない。

なぜ なら ば、資本 として 貸さ れる もの は、 何 封 度 という 綿花 では なく、 綿花 の 形態 で その 価値 として 存在 する これ これ の 額 の 貨幣 だ からで ある。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.514). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

利子 付 資本 に あっ ては、すべてが外面的なものとして現われる。資本の前貸しは、貸し手から借り手への資本の単なる移転として。実現された資本の還流は、借り手から貸し手への利子をともなう単なる再移転、返済として。

さらに、利潤は、個々の一回転において得られる利潤の、前貸資本価値にたいする比率によってのみではなく、この回転期間自体の長さによっても規定され、したがって産業資本が一定期間中に産み出す利潤として規定されている、という資本主義的生産様式に内在的な規定もまたそうである。

このこともまた、利子付資本にあっては、一定期間について一定の利子が、貸し手に支払われるというように、全く外面的に現われるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.585). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十ニ章 利子利潤の分割。利子率。利子率の「自然的」な率

利子 は、 われわれ の これ までの前提によれば、産業資本家によって貨幣資本家に支払われるべき、利潤中の一部分であるにすぎないから、利潤そのものが利子の最高限界として現われ、そのばあいには、機能資本家に帰属する部分はゼロとなるであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.606). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

すべて の 他 の 事情 を 不変 と すれば、すなわち、利子と総利潤との比率を多かれ少なかれ不変と仮定すれば、機能資本家は、利潤率の高さに正比例して、より高いまたはより低い利子を支払いうるであろうし、また支払うことを辞しないであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.648). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

近代産業 が 運動 する 回転循環ー--平静状態、活気増大、繁栄、過剰生産。崩落、沈滞、等々、そのさらに進んだ分析が、われわれに考察圏外に属する循環ー--を考察すれば、利子に低い状態は多くのばあい繁栄期または特別利潤期に、利子の上昇は繁栄とその転換との境界期に、また極端な高利的高さに至る利子の最高限は恐慌に対応することが見出されるであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.674). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

利子率 が 利潤率 にたいして もつ 関係 は、 商品 の 市場価格 が 商品の価値にたいするそれに似ている。利子率が利潤率によって規定されているかぎりでは、それはつねに一般的利潤率によって規定されているのであって、特殊産業部門で支配的でありうる特殊の諸利潤率によってではなく、また、個別資本家が特殊の一事業部面で挙げることがありうる特別利潤によってではなおさらない。

したがって、事実上一般的利潤率は、経験的な、与えられた事実として、平均利子率において再現する、といっても、後者は前者の純粋な、または信憑されうべき表現ではないのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.810). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

すなわち、 利子率 は、 その 大 い さから すれ ば 変動 する とは いえ、 すべて の 借り手 にとって 一様 に 変動 するということによって、彼らにはつねに固定した与えられたものとして相対するのである。

同じく貨幣の価値変動は、すべての商品にたいして同じ価値をもつことを防げない。また、同じく商品の市場価格は日々に変動するが、そのことは、それが日々の価格表に記されることを妨げない。

利子率の全く同様で、やはり規則は正しく「貨幣の価格」として記される。それは、ここでは貨幣形態における資本そのものが商品として供給されるからであり、したがってその価格の確定は、すべての他の商品におけると同じく、その市場価格の確定だからであり、したがって利子率はつねに一般的利子率として、これこれの額の貨幣についてこれこれの額として、量的に規定されたものとして、表示されるからである。

これに反して、利潤率は、同じ部面の内部でも、商品の市場価格が同じでも、個々の資本が同じ商品を生産するばあいの諸条件が異なるにしたがって、種々に異なりうる。

なぜならば、個別資本にとっての利潤率は、商品の市場価格によってではなく、市場価格と費用価格との差額によって決定されるからである。

そして、これらの種々に異なる利潤率は、まず同じ部面の内部で、次には種々の部面そのもののあいだで、ただ不断の諸変動によってのみ均等化されうるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.960). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十三章 利子と企業者利得

利子 は、 元来、 機能 資本家 なる 産業家または商人が、自己の資本ではなく仮入れた資本を充用するかぎり、この資本の所有者にして貸し手である者に支払わねばならない利潤、すなわち剰余価値の一部分にほかならないものとして、現れるのであり。元来そういうものなのであり、また現実にもやはりそうであるほかないものなのである。

彼がただ自己の資本のみを充用するならば、利潤のかような分割は行われず、利潤は全部彼のものである。実際、資本の所有者たちがその資本をみずから再生産過程で充用するかぎり、彼らは利子率決定の競争には参加しないのであって、すでにこの点でも、いかに利子なる範疇ーーー利子率の規定なしには不可能なものーーーが、産業資本自体の運動にたいして外在的であるか、が示されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.981). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

実際、利潤の一部分を利子 に 転化 する もの、 一般 に 利子 という 範疇 を 作り出す もの は、 ただ 紙幣 資本家 と 産業資本 家 とへの、 資本家 の 分裂であるにすぎない。そして、利子率を作り出すものは、ただこの両種の資本家のあいだの競争であるにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.993). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

借入れ た 資本 で 仕事 を する 生産資本家にとっては、総利潤は二つの部分に割れる。すなわち、彼が貸し手に支払わねばならない利子と、利子を超える超過分で、利潤中に彼自身の取り分をなすものとに。

一般的利潤率が与えられていれば、この後の方の部分は利子率によって規定されている。利子率が与えられていれば、一般的利潤率によって規定されている。

そしてさらに、総利潤が、利潤総額に現実の価値に大いさが、各個にばあいにいかに平均利潤から偏倚しようとも、機能資本家に属する部分は、利子によって規定されている。

なぜならば、利子は一般的利子率によって(特別な法的な取決めは別として)確定されていて、生産過程が始まる前から、したがって生産過程の結果である総利潤が獲得される前から、先取りされるものとして前提されているからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1053). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 の 所有 は、 彼 にたいして、貸し手である貨幣資本家によって代表されている。したがって、彼がこれに支払う利子は、総利潤中の資本所有そのものに帰属する部分として、現われる。

これにたいして、利潤のうち能動的資本家に帰属する部分は、いまや、彼が再生産過程において資本をもって実行する諸操作または諸機能から、したがってとくに、彼が企業者として産業または商業において行う諸機能からもっぱら発生する企業者利得として現われる。

かくして、彼にたいしては、利子は、資本所有の単なる果実として、すなわち、資本自体の果実として現われる。それは作業せず機能しないかぎり、資本の再生産過程から抽象された資本自体である。

他方、彼にたいして企業者利得は、彼が資本をもって行う諸機能の専有果実として、資本の運動および過程進行ーーー生産過程についての貨幣資本家の非活動、非参加との対立において、いまや彼にたいして、彼自身の活動として現われる過程進行ーーーの果実として、現われる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1083). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産様式における資本の特殊的社会的な規定性の契機ーーー他人の労働にたいする支配権であるという属性をもつ資本所有ーーーが固定され、したがって、資本がこの関係において産み出す剰余価値部分として利子が現われることによって、剰余価値の部分ーーー企業者利得ーーーは、必然的に、資本としての資本にではなく、資本利子なる表現においてすでにその特殊の存在様式を与えられた資本の特殊的社会的規定性からは分離された生産過程に、由来するものとして現われる。しかし、資本から分離されれば、生産過程は労働一般である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1286). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

利子 にたいする 企業 者 利得の対立から生ずる労働の監督賃金としての企業者利得の観念は、さらに別の根拠を次のことのうちに見出す。すなわち、実際に利潤の一部が労働賃金として分離されることができ、また現実に分離される、あるいはむしろ逆に、労働賃金に一部が、資本主義的生産様式の基礎に上では、利潤の成全的構成部分として現われる、ということがそれである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1322). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

一方 では、多数の産業的および商業的監督者を擁する階級の形成とともに、この監督賃金が、すべての他の労働賃金と同様に、その一定の水準と一定の市場価格とを見出したのにつれて、そうなったのであり、また他方では、特別の訓練された労働力の生産費を低下させる一般的発展とともに、熟練労働にたいするすべての賃金と同様にこの監督賃金も低下するにつれて、ますますそうなったのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1499). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産の基礎の上では、株式企業において、管理賃金をもってする新たな欺瞞が発展する。すなわち、現実の監督者の横と上に、幾人かの管理役員会と監督役員会が現われ、彼らにあっては事実上管理と監督は、株主から巻上げて自分を富ますための口実となるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1523). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十四章 利子付資本の形態における資本関係の外在化

利子 付 資本 において、資本関係は、そのもっとも外的なもっとも物神的な形態に達する。われわれはここでは、G-G’を、より多くの貨幣を産む貨幣を、自己を増殖する価値を、両極を媒介する過程なしに、もつのである。

商人資本、G-W-G'においては、少なくとも資本主義的運動の一般的形態は存在している。もっとも、この形態がただ流通部面内にのみ止まり、したがって、利潤は単なる譲渡利潤として現われるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1537). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣 を、 貨幣 として 支出 しよ う と する か、 それとも資本として賃貸とするかは、すなわち、つねに交換されうる形態にある商品の、所有者の意志にかかる。かくして、利子付資本においては、この自動的な物神、自己自身を増殖する価値、貨幣を産む貨幣が純粋に作り上げられている、そして、それはこの形態にあってはもはやその発生のいかなる痕跡をも留めてはいない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1575). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

利子 は 利潤 の 一部 で あるにすぎないのに、すなわち、機能資本家が労働者から搾り出す剰余価値の一部であるにすぎないのに、いまや逆に利子が、資本の本来の果実として、本源的なものとして、現われ、そして利潤は、いまや企業者利得の形態に転化されて、再生産過程でつけ加わる単なる添加物や付加物として現われる。ここにおいて、資本の物神態容と、資本物神の観念とは、完成される。

G-G'において、われわれは、資本の無内容的形態を、生産諸関係の最高度の錯綜と物化を、すなわち、利子を産む態容を、資本が資本自身の再生産過程に前提されている単純な態容を、もつ。それは、貨幣が、あるいは商品が、再生産から独立にそれ自身の価値を増殖する能力ー--光りかがやく形態における資本神秘化である。

資本を、価値の、価値創造の、独立の源泉として説明しようとする俗流経済学にとっては、もちろん、この形態は見つけものである。この形態においては、利潤の源泉はもはや認識されえず、資本主義的生産過程の結果はー--過程そのものからは切り離されてー--一つの独立的存在を与えられている。

【私見:利潤とは、資本主義的生産過程から産み出された、つまり資本家が労働者から搾取した結果であり、そこから利子が派生してきて、貨幣に転化されるというシステムとなっていることが、見えなくなっている、ということを、マルクスは何度も述べている。

その意味では、金融システムで、経済実体とは関係なく株価を上昇させて、株所有者が、舞い上がっている形態には、マルクスは絶句するしかないだろうね】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1587). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

剰余価値 と 剰余労働 との 同一性によって、資本の蓄積にたいする一つの質的限界が画されている。すなわち総労働日がそれであり、生産諸力と、同時に搾取されうる労働日の数の限界となる人口との、その時々に存する発展度がそれである。

これに反して、剰余価値が利子という無内容形態で把えられるならば、限界はただ量的で、あらゆる想像を絶するのである。

しかし、利子付資本においては、資本物神の観念が完成されている。すなわち、堆積された、そしてなおそのうえに貨幣として固定された労働生産物には、生得の秘奥の性質によって、純粋の自動物として、幾何級数的に剰余価値を産み出すという力が具わっており、したがって、この堆積された労働生産物は、『エコノミスト』誌が言うように、あらゆる時代の世界の一切の富を、正当に自己に帰属するものとして、すでに久しく割引してきたのである、とする観念がそれである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1781). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十五章 信用と空資本

商業 が 発展 し、 ただ 流通 を 顧慮 し て のみ 生産を行なう資本主義的生産様式が発展するとともに、信用制度のこの自然発生的な基礎は、拡張され、一般化され、仕上げられる。大体において貨幣は、そこではただ支払手段としてのみ機能する。

すなわち、商品は、貨幣と引換えではなく、書面にによる 一定 期日 の 支 払 約束 と 引換え に、 売ら れる。 われわれ は、 簡単 に する ため に、 これら の 支 払 約束 を、 すべて 手形 という 一般的 範疇 の もと に 総括 する こと が できよ う。

これら の 手形 は、 その満期 支 払 日 に 至る までは、 それ 自体 また、 支 払 手段 として 流通 する。 そして、 それら は 本来 の 商業 貨幣 を なす。 それら は、 最後 に 債権 債務 の 相殺 によって 決済 さ れる かぎり では、 貨幣 への終局的転化が行われることなしに、絶対的に貨幣として機能する。

諸生産者と諸商人のあいだのこれらの相互前貸しが、信用の本来の基礎をなすものであるように、その流通用具、手形は本来の信用貨幣、銀行券その他の基礎をなす。銀行券等は、金属貨幣なり国家紙幣なりの貨幣流通に基づくものではなく、手形流通に基づくものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1802). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

原料の生産者は、それを加工製造業者に前貸しして、満期日の確定した支払約束書を後者から受け取る。製造業者は、彼の受持作業部分を遂行した後、再び同様な条件で彼の生産物を。

さらにこれに加工せねばならない他の一製造業者に前貸しして、かようにして信用はますます拡がり、人から人を経て消費者にまで及ぶ。卸売商人は小売商人に商品を前貸しを行なうが、彼自身もこれを製造業者または仲買人から受けている。

各人 が 一方 の 手 で 借り、 他方 の 手 で 貸し て いる。 それ は 時には 貨幣 でも ある が、 はるか により 頻繁 に 生産 物 で ある。 かよう に し て、 産業 的諸 関係 において、 互いに 結びつき あらゆる 方向 に 交錯 する 前貸し の 不断 の 交換 が 行なわ れる。 まさに これら の 相互 的 前貸し の 幾 倍加 と 増大 とに こそ、 信用 の 発展 が ある ので あり、 また ここに信用の力の真の所在があるのである。

信用制度に他の面は、貨幣取引業の発展に結ばれ、そしてこの発展は、資本主義的生産においては、もちろん商品取引業の発展と歩調を同じくする。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1864). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

銀行 は、 一面 では 貨幣資本 の、貸し手の、集中を表示し、他面では借り手の集中を表示する。彼らの利潤は、一般的に言えば、彼らが貸出すばあいよりも低い利子で借りる、ということに存する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1883). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

まだ 売ら れ て い ない 商品 にたいする 前貸し を 得る こと が 容易 で あれ ば ある ほど、 ますます か よう な 前貸し は 歓迎され、差当り商品にたいする貨幣前貸しを受けるためにのみ、商品を製造し、またはすでに製造された商品を遠隔の市場に投じようとする試みが、ますます盛んになる。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2030). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十六章 貨幣資本の蓄積、その利子率に及ぼす影響

イギリス では 追加 的 富 の 不断 の 蓄積 が 行なわ れ て い て、 それ が、結局は貨幣形態をとるという傾向をもっている。しかし、貨幣を獲得したいという願望に次いで切実な願望は、利子または利潤をもたらす何らかの種類の投資によって、再び貨幣を手放したいという願望である。

それゆえ、この過剰資本の不断の流入と同時に、その運用部面の漸次的なそして充分な拡張が生じないならば、われわれは、投資を求める貨幣の周期的蓄積に当面せざるをえず、この蓄積は、事情の如何によって、より大またはより小さな重要性をもつ。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2280). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

1847年 の 恐慌 期 における 諸 銀行 の 貨幣 退蔵 について、 地方 の 一 銀行 業者 で ある ピーズ 氏 は 言う。
「 イングランド銀行が、その利子率をますます引上げることを余儀なくされたので、不安は一般的となった。地方銀行は、その所有する貨幣額と、同様にまた銀行券額とを増やした。そして、平常はおそらく僅か数百ポンドの金または銀行券を手持ちしているにすぎないのを常としたわれわれの多くが、たちまち数千ポンドを金庫や机の中に蓄えた、というのは、割引と市場における手形の流通能力とにかんして、大きな不安が支配していたからである。そして、かようにして一般的な貨幣退蔵が生じた」。

委員の一人が言う。
「そのために、最近12年間の原因が何であったにせよ、いずれにしても結果は、生産階級一般にとってよりも、ユダヤ人と貨幣取引にとっての方が有利であった。」

貨幣取引業者がいかに甚だしく恐慌期を利用するかについて、トゥツクは陳述する、「ウォリックシャやスタツフォードシャの金属製品業においては、1847年には非常に多くの商品注文が拒絶されたが、その理由は、製造業者が彼の手形の割引のために支払わねばならなかった利子率が、彼の全利潤を吞みこんでもまだ満足しないほどだったからである」。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2364). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣資本にたいする 需要 は、1847年 には( 10 月 以前 は、 貨幣 の 欠乏ー-- 彼 が 前 に 言っ た「 現存 する 貨幣 の 量」ー-- に かんする心配はなかった)の原因から増加した。

穀価騰貴、上昇しつつある綿花価格、過剰生産による砂糖の販売不能、鉄道投機と崩落、外国市場の綿製品供給過剰、前述のような単なる空手形操作を目的とする対インド強制輸出入。

すべてこれらのことが、工業における過剰生産とともに、農業における過少生産が、したがって、全く相異なる諸原因が、貨幣資本にたいする、すなわち信用と貨幣にたいする需要の増大をひき起こしたのである。

貨幣資本にたいする需要の増大は、生産過程自体の進行にその原因をもっていた。しかし、原因が何であろうと、利子率を、貨幣資本の価値を、高くしたものは、貨幣資本にたいする需要であった。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2464-2466). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣資本 にたいする 需要 と、 したがって「 資本 の価値」とは、利潤が低下しても、上昇しうる。貨幣資本の相対的供給が低下するや否や、その「価値」は上昇する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2475). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

貨幣資本 飢饉 は 存在 し た、 それ は、 現存 資金 に 比し て 過大 な 諸 操作 に 起因 し、 そして、 凶作、 鉄道 の 過大 投資、ことに綿製品における過剰生産、インドおよびシナとの思惑取引、投機、砂糖の過剰輸入、等々の結果である再生産過程の攪乱によって、勃発したものだった。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2481). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

とにかく、 利潤率 は、 比較的 長期間 にわたって 引続き 高い が、 企業 者 利得 は 低下 し て 利子率 は 上がり、 したがって、利子が利潤の最大部分を呑み込むということは、ありうることである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2525). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

とにかく、 高い 利潤率 と 事業 の 拡張 とは、 高い 利子率 の 原因 で ありうるとしても、それだからといって、高い利子率が高い利潤の原因なのでは決してない。

そして問題はまさに、高い利潤率がずっと前に肉体の道をたどってしまった後に、この高い利子(恐慌期に現実に出現したような)がなお存続しなかったか、またはむしろ初めて絶頂に達しなかったか、である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2537). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

利子率 が 非常 に 高く 昂騰し た として も、それはただ、貨幣資本にたいする需要が、供給よりももっと急速に増大したからにすぎない、ということは、別の言葉で言えば、産業生産の拡大とともにその運営が信用制度の基礎の上で拡大されたということに帰着する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2554). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

普通 の 事業家 が 手形 を 割引か せる のは、 彼 の 資本 の 貨幣 形態 を 先取り し、それによって再生産過程を、流動状態に保たんがためである。事業を拡張するとか、追加資本を調達するとかいうためではなく、彼の与える信用を、彼の受ける信用によって相殺するためである。

そして、もし彼の事業を信用によって拡張しようと欲するならば、彼にとって手形の割引は、ほとんど役に立たないであろう、それは実際ただ、すでに彼の手にある貨幣資本を、一形態から他の一形態に転化するにすぎないからである。

むしろ彼は、より長期の固定貸付けを受ける方をえらぶであろう。もちろん、信用騎士は、彼の事業を拡張するために、一つのいかさま取引を他のそれによってやり繰るために、彼の空手形を割引させるであろう。それは、利潤を得るためではな他人の資本を占有さんがためのものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2595). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十七章 資本主義激生産における信用の役割

これ は、 資本主義 的 生産様式 そのもの の 内部 における 資本主義 的 生産様式 の 止揚 で あり、 したがって 自己 自身 を 止揚 する 矛盾 で あっ て、 それ は 明らか に 一つ の 新た な 生産 形態 への 単なる過度点として表示される。

かかる矛盾として、次にそれは現象においても表示される。それは若干の部面では独占を作り出し、したがって、国家の干渉を誘発する。

それは、一つの新たな金融貴族を、発揮人、創立人、単に名目的な重役の態容における新たな種類の寄生虫を、会社創立、株式会社発行、株式取引にかんする山師と詐欺とを再生産する。それは私的所有の統制を欠く私的生産である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2995). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産様式 から 生ずる工場制度がなかったら、協同組合工場は発展しえなかったであろうし、また同じ生産様式から生ずる信用制度がなかったとしても、同様であろう。

信用制度は、それが資本主義的個人企業の資本主義的株式会社への漸次的転化のための主要な基礎をなすのと同様に、多かれ少なかれ、国民的な規模における協同組合企業の漸次的拡張のための手段を提供する。

資本主義的株式会社も、協同組合工場と同様に、資本主義的生産様式から結合生産様式への過渡形態として見られるべきものであるが、ただ、一方では対立が消極的に止揚されているのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3050). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義的生産の対立的性格に基づく資本の価値増殖は、現実の自由な発展をただ一定の点まで許すにすぎず、したがって事実上は生産の内在的な桎梏および制限をなし、そしてこの制限がたえず信用制度によって破られるということである。

したがって 信用 制度 は、 生産 諸 力 の 物質的 発展 と 世界 市場 の 形成 とを促進 する ので ある が、 これら の もの を 新た な 生産 形態 の 物質的 基礎 として 一定 の 高度 に 達する まで 作り上げる こと は、 資本主義 的 生産様式 の 歴史的 任務 で ある。 同時に、 信用 は、 この 矛盾の暴力的爆発を、恐慌を、したがってまた古い生産様式をの解体の諸要素を、促進する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3066). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

信用 制度 に 内在 する二面的性格ー--一面では、資本主義的生産のバネである他人の労働の搾取による致富を、もっとも純粋にまたもっとも巨大な賭博や詐欺に制度にまで発展させ、そして社会的富を搾取する少数者の数をますます局限するという性格、しかし他面では、新たな一生産様式への過度形態をなすという性格、ー--この二面性こそは、ローからイザーク・ペレールに至るまでの信用の主要宣伝者に、山師と予言者との愉快な混合性格を与えるものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3075). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十八章 流通手段と資本。トゥツクおよびフラートン

かくして、 収 入 の 流通 として の 流通 と 資本 の 流通 として の 流通 との 区別 を、 通貨 と 資本との区別に転化することは、全く錯倒である。この言い方は、トゥツクにあっては、彼が単純に自己に銀行券を発行する銀行業者の立場に立っていることからきている。

たえず公衆の手にあって流通手段として機能する彼の銀行券に額(そのつど別個の銀行券から成っているのであるが)は、彼にとっては紙と印刷とのほかには何ものをも要費しない。それは、彼自身あてに発行された流通債務証書(手形)であるが、それが彼に貨幣をもとたらし、かようにして彼の資本の価値増殖のための一手段として役立つのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3306). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

イングランド銀行 によって なさ れる 巨額 の 貨幣 融通 と 同時に 同銀行の通貨が安定しているか、または減少さえするという単なる事実は、明らかに、決して、フラートン、トゥツクその他が(貨幣融通を貸付資本の借入れと、追加資本の借入れと、同一視する彼らの誤謬の結果として)仮定するように、支払手段としても機能における貨幣(銀行券)の流通が増加もせず拡大されもしない、ということを証明するものではない。

かような巨額の融通が必要とされる不況期には、購買手段としての 銀行券 の 流通 は 減少 する ので ある から、 支 払 手段 として の 銀行券 の 流通 は 増加 し え、 しかも、 流通 の 総額、 購買 手段 として 機能 する 銀行券 と 支 払 手段 として 機能する それ との 合計 は、 安定 し た まま で あり うる し、 また 減少 さえ もし うる。

発行 銀行 に 直ちに 還流 する 銀行券 の 支 払 手段 として の 流通 は、 かの 経済 学者 たち の 眼には、まさに何らの流通でもないのである。購買手段としての流通が減少するよりも高い程度で、支払手段としての流通が増加するとすれば、購買手段として 機能 する 貨幣 が、 量的 に 見 て 著しく 減少 し た として も、 総 流通 は 増大 する で あろ う。 そして 恐慌 中 の ある 時期 には、 この こと が 現実 に 出現 する。

すなわち、商品や有価証券が売れなくなったばかりではなく、手形も割引されなくなり、もはや現金支払いまたは商人の言うキャッシュ以外には何も通用しないという、信用の完全な崩壊に際して、出現する。

フラートンその他は、支払手段としての銀行券の流通が、かような貨幣飢饉の時期の特徴であることを理解しないので、この現象を偶然的として取扱うのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3707). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この 【追記:支払連鎖の急激な】中断 は、 信用 の 動揺 と、 それにともなう諸事情、すなわち市場の供給過剰、商品の価値減少、生産の中断等の、一部は結果であり、一部は原因である。

しかし、フラートンが、購買手段としての貨幣と支払手段としての貨幣との区別を通貨と資本との誤った区別に転化していることは、明らかである。しかしその根底には、ここでもまた流通にかんする偏狭な銀行業者的観念があるのである。

なお次のような疑問も起こりうるであろう。そもそもかような逼迫期に欠けているものは、何なのか、資本なのか。それとも支払手段としての規定性における貨幣なのか?そして周知のように、これは一つの論争問題である。

まず第一に、逼迫が金の流出において示されるかぎりでは、要求されるものが国際的支払手段であることは明らかである。しかし、国債的支払手段としての規定性における貨幣は、それ自体価値の充実した実体としての、価値塊としての、その金属的現実性における金である。それは同時に資本である。

しかし、商品資本としての資本、商品の形態における資本ではなく、貨幣(しかも貨幣が、一般的世界市場として存在するすぐれた意味における貨幣)の形態における資本である。

ここには支払手段としての貨幣にたいする需要と、資本にたいする需要との対立は存しない。対立は、貨幣なる形態における資本と商品なる形態における資本とのあいだに存する。そして、資本がここで要求される、そしてただそれにおいてのみ機能しうる形態は、資本の貨幣形態である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3731). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この 金( または 銀) にたいする 需要 を 離れ ては、 かかる恐慌期には何らかの仕方で資本が不足している、とは言われえない。穀物飢饉、綿花飢饉等のような異常な事情のもとでは、そいういうこともありうる。しかしこれらの事情は、決して、かかる時期の必然的または常則的な随伴事ではない。

したがって、かような資本欠乏の存在は、貨幣融通にたいする殺到的需要の存在からは、初めから結論されえないのである。反対である。市場は供給過剰になっている、商品資本で溢れている。したがって、逼迫をひき起こすものは、いずれにせよ商品資本の欠乏ではない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 7 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3747). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.



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