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ジル・ドゥルーズ著『ザッヘル=マゾッホ紹介』(4)読書メモ

描写の役割②

フロイト において は、 きわめて 多種多様 な 名目 の もと、否認の過程にかかわる抵抗の分析が見いだされる(J・ラカンがその重要性をまるごと示してみせた否定、排除、否認)。

否認全般は否定よりも、また部分的破壊などよりも、遥かに表層的であるように見えるかもしれない。

だがまったくそんなことはない。問われているのはまったく別の操作である。

否認とはおそらく、否定することや破壊することですらない操作の出発点として理解されるべきなのだ。

それはむしろ、一緒の宙吊り、中性化によって、現に存在するものの妥当性に異議を申し立て、現に存在するものを触発する操作の出発点なのであり、この宙吊りや中性化は、所与の彼方に、所与として与えられない新たな地平をひらくことを特徴とするのだ。

フロイトの挙げる最良の事例はフェティシズムである。

フェ ティッシュ とは、 女性 の ファルス の イマーゴ ない し 代替物 である。

すなわち、女性にペニスが欠けているということを、私たちが否認する手段なのだ。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.35).

重要 なのは、『 離婚 し た 女』 で マゾッホ が 述べる よう に、世界が完璧なものだと信じることではなく、逆に「翼をつけ」、この世界から夢のなかへと逃走することにある。

それゆえ問われるのは、世界を否定したり、破壊したりすることではないし、ましてや世界を理想化することでもない。

肝心なのは世界を否認すること、否認しながら世界を宙吊りにすることであり、それによって、それじたい幻想のなかで宙吊りにされている理想に向かって、おのれをひらくことなのである。

人は現実界の妥当性〔適法性〕に異議を申し立てることで、純粋で理想的な根拠を現出させる。

こうした操作は、マゾヒズムの法的な精神と完璧に合致する。この過程が本質的にフェティシズムに通じているのは驚くにあたらない。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.37).

サド の 作品 において、 指令 語 と描写は、より高次の論証機能に向けて乗り越えられる。この論証機能は能動的過程としての否定的なものと、純粋理性としての否定からなる総体に依拠している。

それは描写を温存し加速させながら、描写のなかに猥褻さを充満させてゆくのである。

マゾッホの作品においては、指令語と描写が同じく高次の機能に向けて、神話的ないし弁証法的な機能に向けて乗り越えられる。

この機能は反作用的過程としての否認と、純粋創造力の理想としての宙吊りからなる総体に依拠している。

したがって描写は存続するが、ずらされ、凝固され、ほのめかされ、品位あるものとなる。

サディズムとマゾヒズムの根本的な区別は、対照的なふたつの過程として、すなわち一方の否定的なものと他方の否認と宙吊りの過程として立ちあらわれる。

サディズムが、決して所与として与えられない死の本能を把握する、思弁的で分析的な方法を表象する一方で、マゾヒズムは神話的で弁証法的で、想像的なまったく別の方法を表象しているのだ。
ジル・ドゥルーズ. ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの (河出文庫) (p.39).

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