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ジル・ドゥルーズ& フェリックス・ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症』 読書メモ(18)

10 1730年ーーー強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること・・・・③

・群れの選択的要素である変則者は、家庭的で精神分析的な「お気に入り」の個体とは似ても似つかないのである。かと いっ て 変則 者 と は種 を にない、 純粋 この うえ ない 状態 で 種 的 特性 や 属 的 特性 を あらわし たり する わけでもない。

つまり変則者とは、モデルや唯一絶対の模範ではないし、模範的な完全性を具現するのでもなければ、一系列の優越項となるのでも、また絶対に調和的な照応関係を支えるわけでもない。

変則者は個体でも、種でもなく、ただひたすら情動をになうものである。ありふれた、あるいは主体化された感情を含むこともなければ、特定の、あるいは意味深長な性格を含むこともないのだ。だから思いやりの情も、人間的な分類も、同じく変則者には無縁である。


・魔術師 は、 野原 や 森 の 境界 で、 常に 変則 者 の 位置 を 占め て き た。 魔術師 は 境目 に 出没 する の だ。 魔術師 は 村 の ボーダー に、 あるいはまた村と村のあいだにいる。

重要なのは、魔術師が同盟や契約と親近性をもち、これによって系統関係とは逆のあり方を得ているということだ。変則者との関係は同盟の関係なのである。魔術師は、変則者の力能を体現する悪魔と同盟の関係にある。

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