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繋がれてきた命



人は生まれて一人で生きていけないと言うけれど
1人ででも育てていけないと私は思いました。

それは病児育児や転勤の経験を経て
とても強く思いました。

私はそうは思っていても、やはり子供は子供。
わかりませんよね。

でも長男はたくさんの人から愛情をもらって生きてきているのをわかっている。と思っていました。

長男はマイペースで自己肯定感が高いです。
それは周りの人が絶対的味方な方ばなりで愛情をたくさん貰ってきた環境で育ったからです。

また入院や手術の時にも本当にうちの親族には助けられました。

両親や祖父母、先祖を辿ればですが
我が子の命を、孫、曾孫の命を繋いでいく
そう思いました。

祖父母は入院中、私のお弁当や洗濯をしてくれたり
両親と旦那は休みの日には来てくれました。
叔父叔母も

初めての子、生後半年の小さな我が子の大手術。
私は身も心もボロボロになっていましたが友達からの応援や
私の親族に助けられ支えられ無事に手術も終わり退院できました。



また次男の妊娠中、切迫早産で入院した時に
旦那と長男だけで暮らしていた時がありました。
しかし長男の体力の限界が来ました。


当時は手術をしたとはいえ
朝7時半〜18時までの保育時間は長男にとって無理でした。

でも旦那以外に誰も頼れる人がおらず
とうとう長男は体調を崩し園を休むようになりました。
旦那も仕事を休みはじめ限界を感じたそうです。


当時母親は花屋を閉めてから介護職をしていました。

コロナ禍と介護職ということもあり
なかなかこちらに来られない状況でしたが
会社に訳を話し
休みを取ってきてくれました。

その期間3ヶ月とちょっと
コロナ禍です、介護職、かなりの期間の休み
本来なら仕事はもう来ないでくれと言われるくらいの長期間でした。

でもいいよ、大切な孫が大変な時に、
生まれてくる命には替えられないし
と言っていました。

母親の会社の方も以前お世話になっていた取引先で
お姉ちゃん入院してるの?
いいよ、こっちも大変だけど
それどころじゃないね、行ってあげて!と宮城から静岡へ送り出してくれたそうです。

お陰様で長男は母親がいるので通常の保育時間に戻り
旦那も通常通り仕事に行けるようになりたした。
そして次男は無事に産まれました。


転勤で引っ越してきてコロナ禍になり頼れる人もおらず
どうしようもなくなっていた我が家
助けてくれた母親に本当に感謝しました。

私の周りには愛情深い方が多いです。
苦労してきた方も。
だけど母と子の絆をとても感じます。
頼れなかった、頼る人がいなかった
それでも我が子を必死に守ってきた。

そんな先輩達に励まされ子育ての辛い時に頑張っていました。


きっとみんな、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さん達に大切にされてきたんですよね。
片親だって関係なく愛に溢れている
それが受け継がれている

最近これが命を繋ぐ

という事と思いました。



だから長男に今回お話しました。
お盆に帰省したときに長男が従兄弟達がいる旦那の実家から出たくない。
と言い、なぜか次男の前でうちの実家を否定するような事を言ってきました。

何度かうちの実家に来るよう
旦那や長男にも言いましたが
行きたくない。

旦那の実家も
従兄弟がいるのだからうちにいた方が長男も楽しいよ!
と言われ
帰省して4日が過ぎましたが
うちの実家に来る気配がなく

とうとう母がうちに旦那と長男は今回一度もこないの?
と聞かれました。

もちろんブーブー言われ
私も来ないの?と聞いているし

長男がうちの実家を否定するようなことを言ったり行きたくない
従兄弟と遊んでる!

と言われた時に悲しくなりました。


友達が
従兄弟と遊ぶだけの為に帰省してる訳じゃないよね?

従兄弟と遊ぶのはいいけど
まずは相手の家に挨拶に言ってからじゃない?
などと言ってくれて励まされました。

さすが地元、近くに友達がいるって心強いです。

何とか最終日の前日に長男がうちの実家に来ると
父親も母親もとても嬉しそうでした。

次男は旦那の実家に挨拶に行ってからはうちの実家にいたので父親と母親に遊園地に連れて行ってもらったりしてましたが
長男が来るとやはり嬉しそうでした。


繋がれてきた命
今回のお盆に強く思いました。

ご先祖さまが繋いできてくれた命
代々愛情をたくさん注いで育ててくれてきたこと、親子の絆
そう感謝しながらお墓に手を合わせました。

そして繋がれてきた命
自分も大切に
子供達も大切に
愛情をたくさんかけて
向き合っていきたいと思います。

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