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交換日記のようなものの話

わたしの日記を読んでいる人は気づいているかもしれないけれど、わたしの元には時々日記が届く。

2月28日。

日記を見せてくれる。日記というかもはやこれは男性目線と女性目線の両方を別の章もしくはもう一冊で書いている小説の男性側を読んでいるようだ。

3月3日。

29日の日記が届く。あの日のあの部屋がそのままそこにあった。同じ場所で同じ時間を過ごしていても、書き記すことが全然ちがう。社会実験みたい。

彼は、日記を書いてわたしに届けてくれる。わたしは、彼を含めた世界中の人が読める場所に日記を置く。同じノートに書くわけではないけれど、必ずそこには2人にしかわからない行間があって、記憶がある。

半分冗談で、日記を書いて見せてと言ってみた。ら、本当に書き始めてくれて、2週間。そもそも言葉にかかわる仕事をしているから?本が好きだから?こんな風にかけるものなのか、と毎回思う。日記なんだけど、わたしへのその瞬間の印象とか考えたこととか、その場の空気とか色んなものがそのままそこにあって、書いた本人とわたししか読まないから、もうラブレターなのだ。

だいたいわたしの方が先に寝てしまうから、朝起きたら日記が届いていることが多い。読んで、救われることも多い。

たとえば3月11日。

日記が届く。今自分がいる空間全てがこれから自分の場所じゃなくなる可能性。私がここに書かない日常が残されている。きっとまたいつか読み返して、この人の在り方に救われていることを思い出す日が来るだろうなと思う。

わたしたちはまだ始まったばかりだし、一緒に住んでいるわけではないし、たまたまわたしがかなり文章を書く時期だし、という条件が色々重なっているんだろうなと思うけど、でも、だからこそのこの幸せに感謝〜!という気持ち。

相手側からの世界をのぞけるのは楽しい。素直に書いてくれていて驚かされる。本当は自分の日記やTwitterで、書いてくれていることをみんなに自慢したいくらいだ。でも読んでいいのはわたしだけ。

会って話して、離れているときはLINEして、日記を書いて。Twitterにインスタにnote。コミュニケーションのレイヤーがたくさんある。わたしは最近色んなところに言葉を置いているので尚更。わたしが自由に書くことを嫌がらないでいてくれてありがたいなと思う。

いつまで今みたいな日記を書き続けられるかわからないけど、今と同じじゃなくても少しでも書き残していけたら楽しそうだよねと話している。

一緒にいた時間をひとりで思い返して文字に残す。その時間も、相手の反応も、読み返すのも全部含めて、交換日記は楽しいぞ。

5年日記に書き残していくのもすてきだなあ。


最後までありがとうございました。