なんとなく。

よく、写真を言語化する。という。

私はよく感情が言い表せないことがある。
人間だから、複雑な気持ちになる時だってある。
いい時も悪い時も。

それでは『好き』いう気持ちは、
"なんとなく"好きではいけないのだろうか?

家族、恋人、友人、好きな俳優さん、映画等。
そんな好きな理由を全て理由は述べられるのだろうか。そんな面倒くさいことを考えてしまう。

私は、"なんとなく"に悩んでいた。
複雑な思いが沢山あって、言語化がとても難しかった。

多分、写真界隈では、言語化はよく言われることだと思う。私は正直、これにもやもやしていた。

解決したくて、本を読み、沢山写真を見て、沢山写真を撮る人達と交流した。

運良くいい出会いがあった。

濱田英明さんの木漏れ日の記事を読み、
奥山由之さんのBACON ICE CREAMが大好きで、
言葉に表せないけど、何かそこに好きなものがある。

それでいいんだ、と気がついた。
また、私の好きは、好きという言葉にはなっていて、その言葉を細分化出来ないことに悩んでいたのだということにも。

正直なところ、未だによくわからないこともある。実は存在していて、知らないのかもしれないし、そもそも自分の中ではその言葉の受け取り方が異なるのかもしれない。

確かに写真というものを撮る際に、何をどういう目的で撮ったか等明確であった方が、今後の為になることはわかっている。

ただ、そんなに簡単なものではないと"なんとなく"感じている。
私はまだ仕事で写真を撮っているわけではない。
ただ好きという衝動に駆られて、シャッターを押している。
それは狙っているし、狙ってない。

少し話は変わるが、沢山の記憶が無駄だと、日々よく思う。その日に交わした言葉、お洋服、本当に色んなことをよく覚えてる方だ。人に全く覚えていないと言われることが多く、なるほど、と思った。

人より興味が多くあり、色んな観点から物事を見るのが好き、些細な事も好きだ。そしてよく、記憶している。

言葉は、人の考え方で変わるから面白くなる。
簡単に言おうとすると伝わらず、難しく言おうとしたらしたで伝わらない。
細分化したところで、相手には伝わらないかもしれない。
みんながみんな同じ考えだったらつまらないし、自分のことにさえ、気がつく事も困難になるだろう。

言語化する、ということ。

それはとても簡単なようで難しい。

実は言葉が伝わりにくいことが、お互いを尊重していることなのかもしれない。
もしかしたら、ただの考えすぎなのかもしれない。

写真を撮りながら、自分に問いかける。
でも、私の『好き』は複雑で、多くのものは、まだ言葉に出来そうにない。

きっと、いつまでも辿りつかないかもしれない。
もし、仮に答えに辿り着いてしまったら、面白くなくなるかもしれない。

でも、きっと答えは、『好きなものは好き。』
そう言いようしかないだろう。

そんなことを思いながら、辿りつかないことが一生楽しいことなのかもしれない。

今日も明日も、"なんとなく"好きを写真として、私なりの言葉にするのだと思う。


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