2020 Day178

夏至の夜空にこんばんわ 

先週末の21日に夏至を迎え、暦としては本格的な夏がやってきた。夏至を過ぎてから、一気に夕暮れが長くなって夜も薄明るい。北欧のヒュッゲのように、ゆっくり沈んでいく夕暮れに、ローソクをともしゆっくりと時間を過ごす。そういうことができる、最適な時期だ。

と、言っても実際は、子どもの夕食、お風呂とゆっくり沈んでいく外の世界なんて関係なく家の中でバタバタと過ぎていってします。

今日は、夫が朝からおらず夕方も遅めになっていた。息子と二人で、先に夕食を済ませ、ひと段落していた頃だったか。
息子を離れ台所で用事をしていたら、ガラガラと、息子が窓を開けたり閉めたりしている音が聞こえる。窓で遊んでいるんだな、と思ってそのまま放っておいたら、今度はなにやら喋っている。ずっと喋っているので、何かと思って行ってみると、空を見上げ指をさしながら「こんわんわ、こんわんわ」と一生懸命言っている。

一瞬何かと思ったけど、「こんばんわ=お月様」(絵本の影響)なので、お月様が見えるんだと思って、一緒に空を見上げてみた。
すると、月明かりの美しい三日月が、ちょうど窓の位置から切り取ったように見えていた。息子はこのお月様を見つけたのだ。
この時期特有のほの明るさの残る夜の空に、美しいお月様が光っていた。風も、涼しく、よく聞けば虫やらカエルの声も遠くで響いていた。

夜道を歩くことが、まずすっかりなくなった。それに伴い、夜空を見上げることもすっかり久しい。季節がこんなにも美しい瞬間を見せてくれているけれど、そういうことに耳を傾ける気持ちすらなかった。

風が優しかった。たくさんん生き物の声は、寂しさみたいなものを吹き飛ばしてくれるような生命を感じる。
お月様に導かれるように、息子は窓の近くに行ったのか。息子のおかげで、夏至の豊かな時間に気づくことができた。
息子を抱いて、しばらく物干し場から月を見上げた。

息子はしきりに「こんわんわ」と言っている。
この夜風や虫の音を情緒深く感じる年頃ではなくて、静かに過ごすなんていうのは、今の私たちの生活スタイルではないけれど、また、いつかローソクを灯して暮れゆく時間を慈しむ時もくるだろう。

夫もそろそろ帰ってくる。
後ろ髪を少し惹かれるようにも思いながらも、蛍光灯の灯る部屋にいそいそと戻る。なんといっても、今はここが私の大事な空間なのだ。
だけど、いつでも、ほんのすぐそばに世界は広がっていることを、息子が気づかせてくれた。いい夜だった。

ちなみに、今年は7月6日までが夏至の期間らしい。もうしばらく、この時間を楽しめるようだ。

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