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「男らしさ」という自縛

ジャニーズ事務所の会見を見ながら「芝居がかった話し方」という言葉を思い出した。本人のくせかもしれないが、会見というより舞台を見ている様だった。

私は20代の後半タイのバンコクにいたのだけど、同世代の日本人で集まった時、必ず盛り上がる鉄板ネタが「男が男にセクハラされた」だった。ジムでトレーナーが(頼んでもないのに)丁寧にマッサージしてくれた、バーで西洋人と意気投合して飲んでたらいきなりキスされた、等々。

ご存知の方も多いと思うがバンコクは性に比較的寛容な街で、性嗜好をオープンにして暮らしているゲイ男性が多い。色の白い日本人男性はモテるらしく、日本ではありえない武勇伝あるいは自虐ネタとして話す男性が多かった。女性の方も安心して笑える下ネタとして寛容に受け止めていたと思う。

ただ、いま振り返ってみると、あの場所に深刻な性被害の当事者または同性愛の男性がいたとしたら。いたたまれない思いだったのではないだろうか。深刻な性被害と思われるものは無かったけれど、単にオープンにできなかっただけかもしれない。

でもそこで疑問がわく。どうして男性はセクハラ被害を笑って誤魔化してしまうのだろう。新卒で入った会社(倒産したけど)には若い男性に「お前は童貞だからダメなんだ」的な発言をする部長がいて、私はギョッとしたけれど、当の本人は笑っているだけだった。

何を言われても動じないのが「男」だから?
でもそんな「男らしさ」って、「女らしさ」より幅が狭くないだろうか。

性被害を表沙汰にしないのは「男らしい」が状況を悪くする、と今回の事件が教えてくれた気がする。気分の悪くなるけれど、おそらくこれからも被害報告は出続けるだろう。

長く人前に出る仕事をして来た新経営者が「男らしさ」を捨てるのは容易では無いかもしれない。でもいつかは自分の言葉で、話せる範囲で、自分の話をしてほしいと思う。

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