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いかなくても見れる今だからこそ、足を運んで見にいきたい。

もうこの一文で終えてもいいくらい。(終わりません)

スマホかパソコンか。何か一台でもあれば大抵のものがすぐに見れるこのご時世で、物やら出来事への頓着も愛着も薄くなってる気がする。

サブスク型のコンテンツが増えてわざわざCDを見にいく手間も必要も無くなって。場所に関わらず見たいものが見れる。すごい便利だよね、今。

でもこの便利さに喰われてるものって確実にあると思うのです。

携帯なんて持ってない頃の、CDを買って直帰するワクワクとか。今感じないよね????ね????

性分の問題なんだろうけど、手間をかけるのが嫌いじゃないから欲しいものは歩いて探すし行きたいところには足を運ぶ。結果見つけて買って、手にして後悔したことなんてほとんどない。初めて買いに行った本もCDも、初めて行ったライブも全部覚えてるし多分忘れない。

これってかけた時間と手間の分だけ色濃ゆ〜く頭ん中にあるからだと思います。

つまるところ

「最近感じたこと、何年後かに思い出せる?」って話で。

何年か前からフィルムカメラだったり絵葉書だったりレコードだったりと、手間と時間のかかる不便なものがまた使われ始めてるじゃないですか。

これって便利に慣れたからこそ、不便の良さに気づいて手間への抵抗がなくなったからだと思うんです。自分もだけど。

こうやって手間隙かけた物って上でも書いたように、思い入れが深い「ひとつ」になるんじゃないかなぁ。それを見ただけでなにか思い出すような。

だからこそ簡単に手にしてすぐ忘れるのは寂しいし、手間を好んでかけてやる。忘れないように物事ひとつひとつにストーリーを作ってやらねばなって次第です。

便利が悪いとか不便がいいとかではなくて、便利だから不便が愛せるし、不便があるから便利さに気づく。

なので僕は物も音楽も、足を運んで直に感じたいと思います。日々の100を探せるくらいに歩き回って、感じることを忘れないように。

そうしてできればこのまま便利と不便の狭間でずっとふらふらふわふわしてて欲しいなぁって。

とりあえず言えるのは、一個一個を大切にしていきたいねってことです。

これ何の話???

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