夢が叶ったとき。あれから一年。
「もうこれは、奇跡とは言わせない!」
放送史上に残るであろう実況を、自分はビデオで聞いた。その瞬間、スタジアムにいたからだ。
2019年9月28日。ラグビーワールドカップ。日本対アイルランド戦。場所は静岡、エコパスタジアム。
最後の瞬間にチケットゲット!
切符が手に入ったのは、開会式の日の午前中だった。開会式とロシア戦を見るために、午後半休を取っていて、帰宅する途上、ラグビーワールドカップのチケットサイトに習慣的にアクセスしていた。この頃は暇があれば見てみるのが習慣だった。
そうしたら、日本対アイルランド戦に空席あり。しかも連番。場所が静岡なだけに、交通手段を考えなければならないが、まずはチケット確保が先決ということで瞬時にポチってしまった。
全部で15試合チケットを買ったのだけれど、実はこの時が最後だった。開会式直後から、全く空席が出なくなったからだ。
キックオフは午後4時15分。東京を出たのは昼前のこだま。東京駅から、既にホームは日本代表のレプリカジャージとアイルランドのエメラルドグリーンのジャージであふれていた。もちろん最寄りの愛野駅前も。なぜか恐竜までが。
打倒アイルランドを目指した歴史
長い間、アイルランドは日本にとってのターゲットだった。今は「ティア1」というのが強豪国を指す呼び名だが、昔はIRB(インターナショナル・ラグビー・ボード)8カ国というのが強豪の代名詞だった。ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス。
日本がこの8カ国のどこかにアップセットを起こすとしたら、現実的にはウェールズ、アイルランド、スコットランドのいずれかだったからだ。
実際、1983年のウェールズ遠征の時の24-29での惜敗、1991年の秩父宮でのスコットランドXVに対する21-19での勝利(この試合はスコットランド側は正式なテストマッチとしては認めていない)などがあり、ワールドカップで彼らを倒すというのは、南アフリカやニュージーランドを倒すよりも現実性が高い目標だった。(まさか南アフリカ相手にアップセットを起こせるなんて考えられなかった)
アイルランドに対しては、ワールドカップで、1991年の16-32、後半になって一時は7点差まで迫った1995年の28-50の試合があった。
そういった歴史があるので、地元大会で勝ってくれるんじゃないか、と思って、静岡だったけれど、夕方の試合だから日帰りで帰ってこられるので行くことにしたのだった。
忘れられない時間
ハーフタイムにトイレに並んでいたとき、前後の見知らぬ人たちと「これなら行けますよね!」「FW負けてないし行けますよ!」「この湿度だったらアイルランド後半足止まるだろうから勝てる!」と興奮しながら語り合った。
試合の後、1991年や1995年の思い出が蘇ってきて、どうにも涙が止まらなくなってスタンドで号泣した。
帰り、電車の中で、アイルランドのサポーターたちとアイルランドのラグビーアンセム、Ireland's Callを一緒になって歌った。
この日は、とにかく試合に集中するつもりだった。なので一眼レフは持って行かなかった。
あの試合を自分の記録に残したかったという思いはあるけれども、後悔はしていない。
少しでもファインダーをのぞいて、第三者的なメンタルになってしまったら、あんなに泣けなかったと思うから。
ああ。素晴らしい一日だった。スポーツジャンキーとしての自分にとって、最良の一日だった。二週間後に、それをさらに上回る日が待っていたのだけれど。
そして翌日
翌日は東京スタジアムでのウェールズ対オーストラリア戦へ。
この日は比較的リラックスしてみられる試合だったので、撮影重視の観戦。これもまた、素晴らしい試合だった。あの頃、新宿駅で乗る京王線って、とても楽しかったなあ・・・・。
試合前、ウェールズサポーターと一緒に歌うLand of My Fathers。よかった・・・・。
ミッドウィーク:サモア対ロシア(熊谷)
日本対アイルランド戦に先立つミッドウィークには、熊谷までサモア対ロシア戦を見に行った。この試合は見に行くかどうか迷っていたけれど、試合前のシピタウを目当てに切符を取り、休暇を取って見に行った。
試合前の拍子木と太鼓、懐かしいなあ・・・・。
熊谷は陸上トラックもなく、見やすいスタジアムだった。このときはゴールライン裏の席。サモアのトライやロシアの突進を撮ることができた。
次の週は、ワールドカップ期間中唯一のスタジアムに行かない週末だった。東京スタジアムでのイングランド対アルゼンチン戦には惹かれたのだけれど、それに行ってしまうと次の時間のジャパン対サモア戦を見られなくなってしまうから・・・・。